エンカウント・ブルー
帰り方がわからないなら、いっそどこまでも、どこへでも進んでしまえばいいのだと思った。
首が痛くなるほど見上げた空は、息が止まるような夏の青を広げている。
浮かぶ雲さえ眩しそうに輝いて、吹き抜ける風のまま流れていくのを花牟礼・まほろ(春とまぼろし・h01075)は目を細めて見送った。
ここはどこだろうか。また気まぐれに歩くうちに、違う|世界《√》に入り込んだのかもしれない。
まほろの足もとには線路がある。ずいぶん錆びれていて、おそらくはもう使われてはいないのだろう。それでも線路はずっとまっすぐ続いていて、果ては見えない。
周りにはなにもなかった。建物ひとつ、人っ子ひとりいない。青い空と、捨てられた線路と、その上を歩くまほろしかここにはいなかった。
音は時折強く吹く風と、線路や砂利を踏む子どもの軽い足音だけだ。
そんなはずはないのに、世界にまほろひとりきりになったような気がする。それともここは、そういう世界なのだろうか。
「……どこがゴールなんだろう?」
ひとりこぼした声が、そのまま青空に吸い込まれていく。こたえる声は当然ない。けれども不思議と、不安はなかった。
「うん、行ってみよう!」
首にかけていた麦わら帽子をきゅっとかぶり直して、まほろは線路の上を歩き出した。
そうだ、夏だから麦わら帽子を買おう、なんて安直な思いつきが楽しくて、確かどこかのお店で買ったところだった。向日葵の造花とリボンがついたその麦わら帽子が夏らしくて可愛くて、うれしいままにスキップをして――そうしたらこの場所にいた。
ならきっと、これは夏がくれた冒険のひとつに違いない。だって、そう思うほうがうんと楽しい。
「誰もいないんだね。まほろしかいないのかな? きれいなのにもったいないね」
上を見れば視界を遮ることのない青が広がっていて、前を見れば線路が吸い込まれていく青い地平線があって、夏の陽射しがまぶしくて、足もとには影がついてきてきれている。
目に灼きつくような静かで眩しい夏の景色を、まほろだけが見つめて、歩いていっていた。
「……そうだ! スケッチブックに描いておいたらいいよね」
はたとして、まほろは肩に掛けていた鞄からスケッチブックと画材を取り出す。こんなにも静かで眩しくて、終わりみたいな青を上手に描けるかはわからないけれど。
しばらく夢中で描いて、指先や手のふちまで青くなったあたりで、やっと満足した。
「できたー! 誰かに見せられるといいよねっ」
ぴょんと跳ねて、スケッチブックを大事にしまって、またまほろは線路を歩き出す。もしも誰にも見せられなくても、いつか|帰る《・・》ときの思い出のひとつになったら、それで大満足なのだ。
「……そういえば、振り向いちゃだめって道、『ね』の国にもあったかも」
しばらく歩いて、ふとそんなことを思い出した。
相変わらず、景色は大きく変わらない。ずっと青くてずっと果てしなくて、いつ途切れるかはわからないまっすぐな線路が続いている。
まほろがかつていた『ね』の国は不思議な森だった。友達の動物たちがいて、いろんな話を教えてくれるおしゃべりな猫だっていて、嘘か本当かはわからないけれど、進みだしたら振り向いてはいけない道がある、という話を聞いたことがあるような気がする。
「まほろは行ったんだっけ? ……どうだったかな?」
誰もいないのと、いつも動物たちに話しかけるくせのせいで、ひとりごとが多くなる。いまいちすっきり思い出せないから、首を左右にひねってひねって、結局「まあいいや!」に帰結した。
そもそもまほろは、あまり振り向くようなつもりもないのだ。だって通って来た道はもう未知ではなくて、未知はいつでも知らない先にあるのだから。
機嫌よく進み続けるまほろを引き留めるように、強い風が前から吹きつけた。わ、と咄嗟に目を瞑った瞬間、
「あっ」
ごう、と風が青空に麦わら帽子をさらっていく。見上げたときには、麦わら帽子は手の届かない高いところに向日葵を咲かせていた。青と白と黄色のコントラストが眩しくて、また目を細める。
「きれい」
思わず呟いて手を伸ばす。吹き戻された麦わら帽子を追って、振り向こうと線路の上で足を動かした。その一歩で。
「……あれ?」
気づくとまほろは、賑やかな街のなかにいた。目の前には帽子屋があって、足もとに線路はなくて、手には麦わら帽子がある。白昼夢でも見ていたような感覚にぱちくりと目を瞬かせた。
けれども、麦わら帽子を持つ手に視線を落とせば――画材の青がうつったままあった。鞄を探ってスケッチブックを開けば、夢中で描いた青がある。
「……じゃあ、いっか!」
ぱたんとスケッチブックを閉じて、まほろはまた機嫌よく歩き出す。
記憶のなかに残る青がまだ眩しくて、きっとあれは、大人にはわからない色をしていた。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功