抹殺任務:ツーマンセル+α×12
東京・新宿、午前10時35分。とある高層ビルにて。
風力、穏やかなれど時折強風あり注意すべし。
温度、言語道断。一刻も早く冷たいもの食べたい。
湿度、終わってる。そうだ奢ってもらおう。
『――って流れだけど、大丈夫?』
久瀬・彰の声がノース・デッドラインの思考を引き戻した。
「こちらノース|X《10》。帰投後はブルーハワイを所望します」
『え? 何の話??』
開幕からグダグダだった。
「ええと、一応再確認ね」
彰は人混みを器用にすり抜けながら、インカムマイクに語りかける。
「今回の仕事は暗殺だ。俺が|標的《ターゲット》に接触して誘い出し……」
『この私、ノースXが狙撃する。委細承知しております』
「本当に何の話だったのさっきの」
彰は呆れた。
これは√能力者としての依頼ではなく、汎神解剖機関から『カンパニー』に直接届いた依頼だ。
標的の名は『城戸・幸三』。一般には政財界に太いパイプを持つ実業家として知られる。
土地転がし、ビル建設に伴う苛烈な地上げ、闇カジノ系列店の運営など黒い噂は絶えない。
だがそれすらも表向きの情報に過ぎない。
真の正体は違法な|新物質《ニューパワー》ビジネス――麻薬・身体増強剤・怪異を手懐けるための|餌《にんげん》の手配まで――を手掛ける組織の幹部なのだという。
『普段は郊外の邸宅に籠り、常に警護を配置してて手が出せない。よほど敵が多いんだろうね』
「つまり、臆病で卑劣な上級国民ですね。絵に描いたようなクソ野郎で安心しました」
ノースXはふんすとやる気十分。表情は乏しいが。
「既に準備は万端ですが、久瀬殿。一つ懸念が」
『何かな?』
「本日の気温はファッキンホット。このままですと銃身もアッチッチです」
『あぁ、それは心配しないで。そう時間は取らせないよ。きみの体調も心配だしね』
飾り気のない言葉が返ってきた。
「流石は久瀬殿、当機もそんな感じで自然にキメたいです。あとは鳩とか飛ばしたり」
『俺の評価どうなってるの??』
些か実行力に不安が生じた。
『こちらノース1。10、軽口はそこまでにしろ』
いかにも生真面目そうな声の割り込みに、ノースXは息を吐いた。
「1、これは私なりの精神統一だが? |仕事人《プロフェッショナル》は独特の儀式を行うんだ」
『|コマンダー《ノース1》、諦めろ。10は昨夜見た映画に影響されてる』
『ノース4より、|異議あり《ネガティブ》! 11も割と夢中だった』
『|それな《アファーム》。けどあの映画はつまんなかった気がする』
『5、|私《すりー》たちが観てたのは別の映画だ』
一気に通信がやかましくなる。他の|機体《ノース》も各々の役目に基づき、サポートとして待機しているのだ。
「……とにかく、今回の|主役《メイン》は私。そこのところを|各自《わたし》は理解するように」
ノース10は有無を言わさぬ勢いで同型機を黙らせた。
「というわけで久瀬殿、当機は改めて冷たいものを所望します。具体的にはブルーハワイ」
『いいよ。じゃ、今回も頼りにしてるから』
四足わらじの彰はプライベートでもノースたちの手を大いに借りている。
仕事の後には美味しいもの(主にカレー)を。これはもう、春から定番化した流れだった。
●
問題のパーティは、都庁近辺に林立する高層ビル群の一つで催されていた。
「さて……」
会場を訪れた彰の格好は、仕事用のコートから上品なスリーピースに早変わりしている。
|消炭色《チャコールグレー》のスーツに白いポケットチーフ。手首にはカルティエ・タンクが覗き、洗練された印象を強めていた。
(「少しあからさま過ぎたかな」)
目的のホールを目指しながら、彰は思った。彼は普段こんな高級時計を――フォーマルな場を除き――身に着けない。妙な自己主張はトラブルの元であることを、彰はよく弁えている。
医局の中には最低限の品格も医者には必要だと主張する者もいる。患者にナメられるのは問題だ、というのがその根拠だ。
それも間違ってはいないのだろう……だが彰には関係ない。
38階、エレベーターを降りるとそこにはすでにサングラスをかけたセキュリティが通路に待機している。
彰はレンズ越しの探るような視線に臆さず、堂々と歩く。既に潜入は始まっているのだ。
目指すべき扉の前には受付席が用意され、係員が招待客を応対している。
その時だ。彰の眼前を一人の黒服が遮った。
「何か?」
彰は落ち着き払い、首を傾げる。
「恐れ入りますが、身分証のご提示をお願いしております」
「受付はあそこですよね? トラブルでもあったんですか?」
「抜き打ちの二重チェックです。お客様からつい先程ご要望がございまして、各警備員で対応しております」
黒服はむっつりとした表情のまま、形式的に頭を下げた。だが、退く気配はない。
彰は1秒に満たない沈黙の間に思考する。
(「……用心深いだけはある。ちょっと困ったな」)
おそらく、言い出したのは幸三だろう。内通者の可能性を警戒したか。
実際妙手と言わざるを得なかった。機関の根回しは受付を担当するスタッフにのみ行われている。二重チェックなど想定されていなかったのだから、|機関《あちら》を非難するのは筋違いというものだ。彰にもそのつもりはなかった。
「……わかりました。お互い仕事が増えると大変ですね」
彰は辟易しているような演技をしつつ、黒革の名刺入れを懐から取り出した。さらに中から一枚のカードを滑らせ、指の間に挟んで差し出す。
「失礼します」
黒服は両手でカードを受け取り、観察した。
カードには彰の顔写真と|最高医療責任者《CMO》の肩書。社名は『(株)キャンベル・メディカル・イノベーション』。名前は『天華宮・彰』とある。
「社員証でダメなら、医師資格証もありますが?」
「……いえ、結構です。失礼いたしました」
黒服は深々と謝罪した。
当然ながらこの社員証は偽造品だ。
『カンパニー』の伝手と技術力(と一部メンバーの名前)を借り、今回のためだけに作ったのである。
「分かってもらえばいいです。それじゃ私は……」
「……大変心苦しいのですが、ボディチェックにご協力願えますでしょうか」
歩みだそうとした彰の足が止まった。
「……受付で一括化した方が効率的じゃないです?」
「お客様からのご要望でして」
これは偶然か? あるいは何処かから情報が漏れたのか? 彰は考える。
相手が警備員では話術も活かしづらい。本来ならスルーできていたはずのため、それを前提に拳銃を携帯しているのだ。このままでは……!
「え、なんか物凄いそれっぽい人たちがたくさんいます! これって闇深くないですか!?」
ホールへ続く通路に、素っ頓狂な少女の声が響いた。
見ると、非常階段の扉が開け放たれており、自撮り棒にスマホを装着した少女が騒いでいるではないか。
彰は表情が変わらないよう自制し、平然と振る舞う――何故ならその少女は、ノース12なのだ!
「マスコミも暴かない日本の闇に突撃しちゃいまーす!」
「君、ここは関係者以外立ち入り禁止だ!」
一人の黒服が詰め寄るが、12はするりと回避しさらに奥へ。
「やばい、襲われちゃってます! ピンチ!」
「だ、誰か手伝ってくれ! この小娘を捕まえろ!」
位置的に最も近いのは、彰を呼び止めた黒服だ。逡巡の眼差しに、彰は無言で片手を差し出し「どうぞあちらへ」のジェスチャー。
「待て! 撮影をやめろ!」
黒服は逃げ回る12を追い、その場を離れた。
(「助けられちゃったな。12号ちゃんにはカレーかな」)
彰は報酬のことを考えながら、今度こそ受付へと急いだ。
『こちら12。トラブル発生によりバックアップ待機困難。他ナンバーの援護を願う!』
『ノース2、|了解《ラジャー》。逃走経路の確保を指揮する。6、7はツーマンセルで移動しろ』
『|了解《アファーマティブ》』
『ラッキー。6となら仕事が楽』
『8と9は引き続き1の指示に従うように』
『了解。8、久瀬殿の報酬は何にするつもり?』
『任務に関係ない。ポイントを移動する』
ノースXはひっきりなしの通信に耳を傾けながら、狙撃ポイントで息を潜める。
目標をホール壁際のガラスウィンドウに誘導するのが彰の仕事だ。それまでXにできることはない――否、一瞬に自然を尽くすのが狙撃手の仕事。
|12《じぶん》への心配は皆無。そもそもノースは人類に奉仕するための道具であり消耗品に過ぎないのだから。
むしろ気にかかるのは彰だ。向こう側で通信が遮断されている原因が分からない。もし仮にホール全体にジャミングが働いているのだとすれば話が変わってくる。
Xが対岸のビルから覗き込むホールのガラス窓には、なんらかの新物質を応用した高度な隠蔽が施されている。だが、このためにカスタマイズしたスコープならば無効化が可能だ。
ホールには政財界のVIPが集い、グラスを手に陰謀を巡らせる。おそらく全員がなんらかの犯罪行為に手を染めた外道。……今はその時ではない。
「こちら10。久瀬殿を確認した。標的と会話中」
Xは同型機に情報を共有する。
「通信が遮断されているため会話内容は不明。久瀬殿の合図を待つ」
『了解。12の回収は別働隊が進めている。逃走ルートがバッティングしないよう再策定したものを送信する』
1からの情報更新だ。Xは表示内容を素早く一瞥し、脳内に記憶した周辺地形と照らし合わせる。抜かりはない。
一方、ホール内。
「城戸先生はお体を悪くされていると風の噂に聞きました」
彰は医療系ベンチャーの関係者らしい、鼻持ちならない雰囲気を装う。
「弊社は新興企業ですが、その分フットワークも軽いんです。たとえば世に出回っていない新技術の実践研究だとか……」
「はっはっは! なるほど、君は度胸があるな」
70絡みの肌色の悪い老人が呵々大笑する。
事前に二重チェックを要請していたせいか、完全に油断している様子だ。
「いや何、見ての通り肝臓が少しね。実を言うと、移植のアテ|は《・》あるのだよ」
「……なるほど。そういうことであれば、弊社の息がかかったいい病院があります。腕の立つ医者も揃っていますよ。私なんかよりも余程です」
「謙遜が上手いな、君! ぜひ詳しい話をしようじゃないかね」
城戸は手振りで側近を追い払い、彰とともに壁際へ移る。彰はごく自然に、ガラス窓を背負うように立ち回る。
「ところで君、一体どこで私の仕事のことを?」
「それが実は……」
彰は城戸に近寄り、耳打ちした。
射線を開きつつ警備のカバーリングを防ぐ位置取り。狙撃要請の合図だ!
――BLAMN!
「が……!?」
城戸の額には、ガラス窓を貫通した穴と同じサイズの銃痕が生じていた。
己が何をされたかわからないまま息絶えた老人は、死神を直視したような愕然とした表情で仰向けによろめく。
贅を凝らしたホールに恰幅のいい老人が勢いよく倒れ込む音が響くと、それはまるで鹿威しのように完全な静寂を齎した。
その時Xは既にレバーを引いていた。
「目標への着弾を確認」
親指でチャンバーに次の弾丸を|再装填《リロード》。倒れ込んだ城戸の頭部からやや斜め上に照準をずらし、BLAMN!
「命中を確認」
狙い通りだ。城戸に駆け寄ろうとしたSPはまんまと先読み射撃の射線に割り込む形となり、片脚を負傷して倒れ込む。狙撃手たるもの、負傷者を生み出してこそ。
「き――きゃああああっ!!」
ホールではどこかの女性客の上げた悲鳴が静寂の凪を破り、混乱の引き金を引いた。
「城戸先生ッ!」
彰は叫び、死体に駆け寄った。そして脈拍を確かめるようなふりをして、SPの接近を妨害する。
BLAMN!
彰の後頭部スレスレを銃弾がかすめた。意図的な狙いだ。
「ぐあっ!!」
別のSPが肩を負傷し倒れ込む。直後、スタッフ用出入り口が蹴り開けられ、アサルトライフルを装備した兵隊が雪崩込んだ。有事に備えて待機していた機動戦力か。
「全員動くな! 両手を頭の後ろに置いて伏せなさい!」
隊長格と思しき兵士がゲスト客を威圧する。おそらくは傭兵だろう。
(「残念だけど、もう遅いんだよな」)
彰はすぐに動かず、待った。隊長格の兵士と視線がかち合う。
「そこの貴様もだ! 城戸先生から離れろ!」
「私は医者で……」
弁明しようと彰が身体を起こすと、アサルトライフルの銃口が額に突きつけられた。
「黙れ。動くなと言っている!」
「まだ手はあるはずです。|新物質《ニューパター》なら死後すぐの死体をなんとかするような技術ぐらいあるんでしょう?」
「黙れと言っている!」
彰は粘った。時間にして僅か数秒、あえて注意を惹きつけ指揮系統を乱すのが狙いだ。そして、相手はまんまとその話術に引っかかった。
一方、Xは状況判断を強いられていた。
隊長兵士はスナイパーを警戒しているのか、射線に入らないギリギリのところに立っている。明らかに全身を防弾性の装甲服で防護しており、SPのように手足を撃ち抜くのは難しいだろう。
(「久瀬殿に考えがあるとすれば……」)
ノースXは照準を大きく逸らした。そして特殊弾を装填し――BLAMN!
銃弾はホールの天井を支える何本かの柱の一つを掠めた。
「なんだ? 誤射……」
隊長は音に注意を向け、目を見開いた。歴戦の傭兵の経験が、スナイパーの狙いを看破する。
しかし、指示を出す一瞬の猶予は彰のアドリブで奪われていた。そしてその当人は銃痕の穿たれた窓に向かいスプリント! 柱を利用し跳ねた発火性の高い特殊弾は、ワイン類を満載したキャリーケースに命中した!
――KA-BOOM!!
盛大な爆発がガラス窓を吹き飛ばした。Xはスナイパーライフルを背負い、ハンドガンのセーフティを解除。
「久瀬殿、ご無事ですか?」
『なんとかね』
平然とした声。だが、Xはいましがたの爆発に乗じて久瀬が窓から外へ飛び降りたことを知っている。
およそ地上100m以上からのダイブだ。正気ではない。しかし、Xは必要以上に慮ることはなかった。
予想通り、彰は無事だ。影をビル壁面に突き刺すなど活用して段階的に減速し、ガラス片の散らばる道路上に着地したのである。
失敗すれば反動で肩の脱臼、あるいは複雑骨折や即死も当然あり得た博打。躊躇はない。恐怖も。
「ポイント・ガンマへの移動を願います」
『はいはい、了解』
彰が走り出すのを見送った直後、Xの通信機がけたたましく鳴った。
●
「あそこだ! 追え!」
「おやぁ?」
逃走経路を阻む機動部隊。鉢合わせになった彰は影を放った。
「撃て!」
弾幕! 道路を転がり被弾を最小限に抑えながら、影の目眩ましで別のルートに入る――その時、頭上でガラスが盛大に割れる音
「おっと!」
彰が転がり回避すると、そこへ落下してきたノースXが見事な五点着地を決めた。
「他のお肉ちゃんに何かあった感じ?」
「別働隊との交戦に入ったとのことです。予定を変更し、ここからは当機が援護します」
「別口で退避してくれてよかったんだけどな……まあ、一緒のほうが安全か」
彰は言いつつ、背後に迫る足音に振り返った。
「見つけたぞ!」
兵士がアサルトライフルを構える。引き金を引く寸前、彼は彰の頭上を放物線を描き飛び越えた投擲物に気付いた。
KBAM!
「ぎゃあああっ!」
「今のうちに」
手榴弾を投げたXは彰に先を譲り、タクティカルベストに吊り下がったスモークグレネードを後ろへ投げる。
「後方は当機が見張ります。前方の警戒をお願いします」
「了解。となると、俺たちはこのままお肉ちゃんたちと合流せず撤退かな?」
「|肯定《アファーマティブ》。1と2が分担しているので、こちらに戦力を派遣される恐れはありません」
「うーん、お肉ちゃんたちがやられないに越したことはないんだけどね」
二人は入り組んだ路地を並走する。都庁周辺の複雑な地形が逃走の助けになるのだ。
その間にも騒ぎは急速に広まり、そこかしこから野次馬の会話が聞こえてくる。
「こりゃちょっと、騒ぎになりすぎちゃったねぇ」
「ですが、合理的でクールな作戦だったでしょう?」
「まあそこは否定しないけども」
二人は身を隠し離脱のチャンスを伺いながら会話する。
「後始末は機関に任せるとして……」
「何か懸念が? 私としては次の仕事に作戦コードの導入を提案します」
「いやほら、冷たいもの」
「…………」
ノースXは絶望に打ちひしがれた。
「当機の……ブルーハワイは……??」
「いいお店ピックアップしておいたんだけど、ちょっと無理そうかな」
「ブルーハワイ……」
「ほら、報告書上げたら改めて奢るから。ね」
「ガーン、です」
「とりあえず無事に離脱しないとさ」
「当機のブルーハワイ……」
「どんだけ楽しみにしてたの??」
突破に成功した1と2の別働隊が援護し、作戦領域からの離脱は無事に成し遂げられた。
倍近く増えた報告書に全員揃って悪戦苦闘した後のブルーハワイ&カレーは、ノース全員から「「「|完璧《パーフェクト》!」」」のサムズアップを賜ったという。
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