Happy ever after
夜を思わせるいろに、ぷかりと浮かぶレモンピールの月。
人が眠りに誘われる際に羊の数をかぞえるように、彼女は酒に酔い痴れながら夢に溺れるのだ。
だから今宵も例外なく、ふわりと仄か酒精馨る酔いどれの女神は、いつものように眠れぬ夜にグラスを傾けていた。
そして今夜も如月・縁(不眠的酒精女神・h06356)は、店長不在のバーの店番をしながらも。
グラスに満ちる夜色のカクテルの甘香や味わいを嬉々と楽しんでいたのだけれど。
まだ飲み始めたばかりで、酔い潰れる前であったことは幸いだといえるだろう。
刹那、そっと開かれた店の扉から姿をみせたのは、知った顔の男性であった。
けれど、縁は彼の姿を見て小さく首を傾ける。
これまで彼がこの店に来る時は、客としてではなかったのだから。
そんな彼の名は、アメデオ。
いつもバーに酒を届けに来てくれる、穏やかな印象の酒屋の男性であった。
「あら、こんばんは、いらっしゃいませ。何か一杯、いかがですか?」
使い込まれたマホガニーのカウンター席にストンとひとり座った彼に、縁がそう声を掛ければ。
じゃあ、おすすめのものを……なんて言う彼は、何やら酒が目的ではないようだ。
何だか真剣な表情を宿して、暫くそわそわと落ち着きない様子をみせていたが。
ふと意を決し、こう縁へと切り出してきたのだ――貴女にお願いがあります、と。
「お願い、ですか?」
そう言われても全く見当がつかずに、再び首を傾ける縁だけれど。
そんな彼女に、アメデオが告げたお願いというのは。
「僕達の結婚式で、縁さんに牧師の代役をお願いできないでしょうか」
何やら、結婚式で牧師をお願いしていた牧師が、急病で来られなくなったとのことだが。
新婦のたっての願いで、その代役を縁にお願いしたいのだというのだ。
けれど、縁はさらに大きく首を傾けてしまう。
だって、自分を牧師にと指名してきた新婦と自分は、面識がないのだから。
アメデオの話によれば、新婦はハンナという名前の女性で、穏やかな彼を引っ張るしっかり者の女性なのだという。
でも話を聞いても、やはり彼女に心当たりはないし、新婦本人も縁とは面識だと言っているようで。
なのに何故自分に、牧師の代役を新婦が熱望するのかがわからず、最初は躊躇してしまった縁だけれど。
でもアメデオは真面目で穏やかな印象の青年で、いつもバーに酒を運んでくれる日頃から世話になっている酒屋さんであるし。
何より、その誠意に押されて、縁は牧師の代役を引き受けることにしたのだった。
それから、自分の返事にホッとする彼の前に、縁は作った一杯を差し出す。
それは――カシスリキュールとシャンパンを組み合わせた、キールロワイヤル。
シャンパンカクテルは『祝福』というカクテル言葉があって、華やかな見た目と味わいは、お祝いにぴったりだから。
それから酒を口にすればほろ酔いで、アメデオは結婚相手のことなど沢山喋ってくれたのだけれど。
それを聞いてもやはり、ハンナという女性は縁の知らない人で、記憶には全くない。
けれど……何故かわからなくて、言われたときは驚いたものの。
それでも、幸せそうなアメデオを見れば、自分で力になれるならと。
幸せの手伝いを担えればと、縁もそう思うようになったのだった。
そしてやって来た、結婚式当日。
会場へと足を運んだ縁は、はじめて新婦と顔を合わせることになったのだけれど。
ウェディングドレスを纏った新婦は確かに、縁とは、面識はなかった。
そう――縁とは、面識はないのだけれど。
「ティア! 久しぶりね。引き受けてくれてありがとう」
「! えっ、もしかして……ビーチェ?」
天上界に在った時の、グラーティアという名であった自分は、彼女のことを知っているのだった。
いや、知っているなんて程度の仲ではない。
ビーチェという愛称で呼んでいた彼女・ベアトリーチェは、天上界にいた頃の親友で。
グラーティアが『神様が与えてくれたもの』であるならば、ベアトリーチェは『喜びを運ぶもの』。
だが天上界が崩壊し、それぞれが地に堕ちて久しく、会っていなかったのだ。
いや、それ以前に。
「ビーチェが転生していたことも、地上にいることも知らなかったわ」
「私もよ。でもアメデオから、バーにいる翼がある女性……貴女のことを聞いた時に、ピンときたの。縁はきっと、ティアだって」
ハンナという名は、転生した後の地上での彼女の名なのだという。
そして縁は、何故彼女が自分に牧師をしてほしいとお願いしてきたか、これで腑に落ちたのだった。
それは、天上界の女神としてふたりが在った時。
よくベアトリーチェは、グラーティアへとこう言っていたのだから。
『ティア。私が結婚する時は貴方が証人になるのよ?』
――最高に幸せな私を見せつけてやるんだから、って。
そしてその言葉がまさに今、現実となったのである。
当日まで自分がベアトリーチェであるということを内緒のサプライズにしていたのは、昔と変わらない彼女らしいお茶目さで。
同様に変わらない芯の強さ、そして、過去をすべて忘れなかったという確かな絆……ずっと交わしていた約束が今、互いに果たされる時。
縁は牧師として、親友の幸せを一番近くで見届けて。
新郎新婦が紡ぎ合う誓いの言葉を、しっかりと聞き届ける。
そんな親友の目に宿るのは確かな幸福と、静かな誇り。
そして転生したことで得た、穏やかな愛。
喜びを与えていた女神が、祝福を今は受ける側に立っているのだと思えば、胸が熱くなって。
最高に幸せな姿を言葉通りに見せつけられれば、縁も最高の笑顔になってしまう。
それから改めて、縁も誇りに思うのだった。
祝福の光が降り注ぐ中――彼女達の誓いの証人になれたことを。
それから、滞りなく結婚式が終われば、教会から退場する新郎新婦。
縁はふたりの証人として、最後まで見届けようと、その背へと視線を向けるも。
数歩進んだところで、再び新婦のサプライズ。
教会の人に彼女がそっと手渡されたのは、ピンクをメインに紫の花が添えてあるウエディングブーケ。
そしてくるりと一瞬だけ振り返れば、祝福の空に、花咲くブーケがふわりと舞って。
「……!」
それを、ぽふりとキャッチした縁が、再び彼女を見れば。
自分に向かって親友がたったひとこと、告げた言葉。
――ティア、貴女にも祝福を、と。
それから、新しい門出へと歩み出すふたりを改めて見送りながらも。
縁は手元にあるブーケ、自分とお揃いの彩りを咲かせるスイートピーの花たちを見つめる瞳をそっと細める。
そんなスイートピーの花言葉は――「優しい思い出」、そして「永遠の喜び」。
そして縁は、心から祝福し見届けるのだった。
親友のベアトリーチェの……いや、ハンナ達の、これからの幸いと道行きを。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功