シナリオ

ラケシスの指先

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 気持ちの良い風が夏の並木道を吹き抜けていく。
 さやさやと揺れる銀杏は未だ濃い緑色をしていて、秋になればきっと見事な黄金に色付くのだろう。黎明の空を切り取ったような長い髪を抑えながら、如月・縁は閑静な住宅街を歩む。
 地図を頼りに歩んだ先で、果たして見つけたのは懐中時計の形をした看板時計。小洒落たそれの下には『Beweis -Uhrenshop』という見慣れぬ文字列があった。けれどもその看板時計が何より、この店の正体を雄弁に物語っている。
「あった……」
 辿り着けたことに安堵して、胸を撫でおろす。そうして一つ深呼吸をしてから縁は店の扉を開くと、木製の店内が織りなす穏やかな香りがベルの音と共に縁を出迎えた。
 まろい日差しを受けて壁掛け時計や置時計、ショーケースの中の懐中時計や腕時計が静かに時を刻んでいる。秒針の音だけが響く店内は、まるでここだけ時の流れ方が緩やかでいるようだ。アンティーク調でまとめられたインテリアがその印象を助けているかもしれない。
「いらっしゃいませ、ようこそベヴァイス時計店へ」
 珍し気に店内を見渡していると、奥から柔らかな低音が歓待を紡ぐ。振り向けば、ブラウンチェックのスーツに身を包んだ壮年の男がカウンターで穏やかな笑みを浮かべていた。
「お邪魔します。とても良い時計店があると伺って……」
「おや、それは嬉しい。店長のエンデ・ベヴァイスと申します。本日は時計を御求めですかな?」
 会釈すればにこにこと人好きのする笑みを浮かべるエンデに、縁は少しばかり眉を下げた。時計店であれば必然、時計の購入を検討していると思うだろう。けれども縁がここを訪れたのは別の目的があってのことだ。
「こちらで時計の修理をお願いすることは出来るでしょうか」
「ええ。アナログ時計に限りますが、承れますよ」
 ゆるゆると首を横に振って問えば、すぐさま是が返る。ならばと鞄から取り出したのは金の懐中時計だった。
「壊れて動かなくなってしまって……それとリューズがいつまでも空回りしてしまうんです」
「ふむ。少々お借りしても?」
「ええ」
 エンデがポケットから取り出したベルベットの布の上にそっと時計を置く。オープンフェイスと呼ばれる蓋のないタイプの懐中時計だが、先日の戦闘で見事その硝子部分が割れていた。幸い文字盤は無事だが、針はピクリとも動かない。裏を返してケースを検分し、男は白い髭を撫でつけた。
「メーカーの刻印がありませんな。失礼ですが、どちらで購入されたものでしょう?」
「実はわからないんです」
「ふむ?」
 首を傾げるエンデに、縁は少しばかり言い淀んだ。事実は単純だ。だが、それを伝えたことで修理を断られやしないだろうか。
 迷って、迷って。しかしその間もエンデは笑みを浮かべて根気強く待ってくれるものだから、遂には縁も勇気を出すことにした。
 曰く、縁が天上界から堕ちて初めて入ったバーで酔い潰れて眠ってしまい、目が覚めた時に隣に置いてあったのがその懐中時計なのだという。誰のものかもわからないが、不思議な縁を感じてそれ以来持ち歩いているものだ。
「だからこれは私のものじゃないのですが。直さないといけない気がして……」
 購入場所はおろか、そもそも自分のものではないから修理出来ないと断られるやも。それでも直さなければいけないという気持ちは焦燥にも似て、たまたま噂を聞いたこの店を頼ったのだと言う。
 自らも困惑しながら、それでも直したい気持ちは本物だと真摯に告げる縁に、やがてエンデは深く頷いた。
 メーカーを知りたかったのは内部機構のアタリをつけたかったからだ。だがわからないなら蓋を開けてみればいいだけのこと。エンデは縁に一言断りをいれてから、奥の作業場でケースを開けてムーヴメントを検分していく。
「時計……直りますか」
 口に出した問いに不安が隠せない。もしも直せないものであったならばどうしようと眉が下がる。けれどもエンデが翡翠色の瞳を撓めて告げたのは、是。
「多少部品交換の必要はありますが、1週間程で元通りにして差し上げることが叶うかと思います。……お客様のお心は十分に伝わりました。是非僕に直させて頂けませんか」
「……ええ、ええ。ぜひともお願いします」
 嬉し気に目を細めた縁の黎明の髪が、俄かに朝を思わせる光に揺らめいた。


 待てば長いと思っていた一週間も過ぎてみれば早いもの。縁が再び時計店を訪れると、エンデは変わらず穏やかな笑みを浮かべて椅子を勧めた。
 使い込まれた飴色のカウンターの上で、あの懐中時計が天鵞絨のベッドに横たわっている。その姿は惨憺たる有様から見違える程に美しくなっていて、黄金が光を柔らかに反射していた。
「お待たせ致しました。無事に修理出来ましたので、一緒にご確認下さいますか?」
 そう言って差し出した納品書に書かれた内容を、エンデはひとつひとつ丁寧に説明していく。
 まず、割れていた風防はサファイアガラスに交換をした。正式名称をサファイアクリスタルという人工ガラスで、ダイヤモンドに匹敵する硬度と耐熱性を持ち、不純物がないため透過率が高いという特徴を有している大変優秀な素材だ。
 内部機構を取り出し、歯車やパーツを全て超音波洗浄した上で動かなくなった原因を探った結果、歯車のひとつの軸が折れていたので新品と交換した上で摩耗による鉄粉や汚れの除去も行った。
「たったひとつの歯車の軸が折れただけで、時計って動かなくなるんですね」
「ええ。それからリューズが巻き止まらなくなっていた件ですが、此方は中のバネが折れていましたので新品と交換いたしました。表面も綺麗に補修して磨いています。……いかがですかな?」
 柔く問う声に頷いて、縁は両手の中にある懐中時計を見つめた。金色の中で静かに時を刻む赤い針。無惨に割れたガラスと動かない針を見た時は青褪めたけれど、またこうして美しい姿でまみえたことで胸に湧き上がるのは安堵ばかり。
 どうしてこんなにも心配だったのか、こんなにも安堵するのかもわからないけれど。縁はただ時計を胸に抱いて何度も頷いた。
「……それにしても、美しい秒針ですね。赤い宝石で作られているようですが……もしやお客様が身に着けているその石と同じものでしょうか?」
「多分、おそらくは」
「でしたらこの時計の元の持ち主は、お客様と何かご縁があるのかもしれませんね」
「え?」
「時計の針としては類を見ない素材です。無論偶然はあるものですが、これが忘れ物ではなく敢えてお客様の傍に置かれた時計なのだとしたら、何かメッセージが込められているのかもしれません」
 時計を贈る時、ひとは『時』に関する意味を込めるものだとエンデは言う。節目の祝いであったり、『同じ時を共有したい』『未来への展望』などの想いを込める。
 何の言葉もなく、ただ置かれていた懐中時計。もしそれが偶然ではなく、意味のあることだったなら――。
「……つまり、どういうことなのでしょう」
「その答えはお客様ご自身の手で見つけるのがよろしいでしょう。僕から言えることはひとつ。この時計がお客様にとって意味のあるものならば、いずれ答えに辿り着くことも叶うでしょう、ということです」
 もしも縁が答えを探し続けるのなら、いずれきっと歯車は答えへとあなたを導いてくれるだろう。
 たった一つ、されど一つ。手がかりは既に縁の手の中にあるのだから。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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