辺涯にて
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空など見えない迷宮の中に、流星が降り注いだ。
数百と落ちる星は光の濁流の如く。数多の箒星が巨大なキマイラを撃ち抜いていく。断末魔すら上げられず倒れ込んだ巨体はやがて空気に溶けるように消えて、後には戦いの残響だけが遠く響いていった。
辺りに満ちた静寂に蠢く者がいないことを十分に確認して、シンシア・ウォーカーは詰めていた息を鋭く吐き出した。血に塗れたレイピアを鞘に納め、痛む足を引き摺って歩む。巨体が倒れた場所の奥には、壁と同化させるような迷彩を施された扉があった。身体で押し込むようにしてその扉を開ければ、まるで神殿めいた部屋がシンシアの目に飛び込む。
このダンジョンに足を踏み入れたのは、この部屋が目的だった。正確には『番人たる怪物が守る部屋がある』という噂の真偽を確かめに来たのだ。
ダンジョンで番人が守るものは宝物だと相場が決まっている。換金できるようなものであればよし。そうでなくとも情報だけでも持ち帰れば、情報屋あたりが買ってくれるかもしれない。
満身創痍の身体を引き摺ってシンシアは部屋の中を探索する。幸い、持ち帰ることが出来るような装飾品や装備品があった。残りは書物や何かの研究のようだったので最低限の情報になりそうなものだけを鞄に仕舞う。
「……っ」
立ち眩みがした。膝から力が抜けて、その場に座り込むと足の傷がズキリと痛んで呻く。
血が止まらない。破れたハイウェストスカートからは、凶悪な爪で抉られた痛ましい太腿が覗く。ブラウスの肩には大きな噛み痕があって、左腕はぴくりとも動きやしない。放っておけば間違いなく死に至る傷だ。
溢れる血と痛みに歯を食いしばりながら、シンシアは|√能力《Be a lady.》を発動した。周囲に漂うインビジブルを傷口と融合させて止血し、じっと耐える。そうしていれば、10分のうちには完治しているはずだ。
「ふぅ。よく……生きてたなあ……」
無茶をした自覚はあった。事前情報からしてある程度の苦戦は予想していたし、しっかり準備もしてきたつもりだ。けれどまさかここまでの難敵だとは思わなかったのだ。
獅子の頭と山羊の身体、蛇の尾を持つキマイラは物語の敵としては馴染み深い。だが実際に相手取ってみると、その厄介さに臍を噛む。死角を補いあう二つの頭。強靭な四肢は巨体の割に素早く、爪と牙で縦横無尽に襲い来るのだ。
厄介だったと、痛みと酸素の欠乏でろくに回らない頭で考える。能力によって加速された論理的思考力を使って脳内で繰り広げる思考や感想の渦は、痛みと待つ間の時間を一時忘れさせる手慰みだ。
(あの攻撃を避けられなかったからかな……ううん、ここに来るまでに余計な戦闘をしすぎたのかも。それとも、自分の力量を見誤っちゃったかしら……)
結論は出ない。きっと血を流しすぎたせいだ。鼓動と共に疼く傷は集中をさせてはくれず、熱に浮かされた頭は思考を加速して尚ぼんやりと霞みがかっている。
――いたい。肩も、足も。いたい。
ソロの冒険者としてそれなりに活動してきた。なにもこういった事態は初めてではないし、それくらいのリスクを負う覚悟は出来ている。
(いたい、けど。それでも、気楽)
ぼんやりとした頭で天井を仰いだ。
ひとりなら自分の痛みは自分だけのせい、と割り切れる。仲間が居た方がリスクが減ることはわかっているけれど、それ以上にこの気楽さが手放せない。
とはいえ死んでもいいと思っているわけではなくて。いくら√能力者は絶対死を迎えない限りは蘇生出来るとはいえ、経験上死ぬ事は避けたい。
今日拾ったアイテムだって、きっと売却したなら臨時収入としては良い額になるだろう。なのに死んでしまったらまた回収しに来るのは面倒だ。その間に誰かにかすめ取られる可能性だって捨てられない。報酬を独り占めできる機会があるなら、その機会は逃したくはないのだ。
「うぅ、まだ痛い……」
とはいえ、怪我をすれば痛いものは痛い。こうして自分で怪我を治せるからいいものの、ここまで大きな怪我を負えば痛みも尋常ではない。麻酔なんてものもない。だからひたすらに耐えて、必死に耐えて待つことしか出来ない。10分という時間は待つには長いものだ。
「帰ったら美味しいお酒沢山飲もう……一番好きなやつ飲もう……」
そのくらいのご褒美はあって然るべきだ。だってこんなに痛い思いをしながら頑張ったのだもの。
飲酒はシンシアの生きる意味合いの上位にランクインする。死を予感する程の傷を負ったのだから、取り返すくらいに生を感じなければ。
美味しいものを食べるのもいい。思い切って夏の旅行に出かけるのもいいかもしれない。ともかく臨時収入を手に入れたなら、そうして生を謳歌しようと心に決める。
「……ぅ、ぐ……」
――そんなことを考えて、未来に希望を見出さなければ。こんな痛みにあと何分も耐えられることなど出来やしないのだ。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功