野晒しの夢
この地の、一見何の変哲もない建物が一歩足を踏み入れれば道理の通じぬ『奇妙建築』である様に、何処かから伝わった|骨牌《カルタ》遊びはどれも同じ様に見えて、そこかしこで一種独特の進化を遂げている。
同じ札を使えども地域と言わず地区、胴元を変えれば全く別種の|遊び《・・》となり、呼び方さえ異なる。その場その場に合わせてルールの増改築を行い、最早その原型を誰も知らぬまま、賽子を転がして骨牌を取る。大きな金が動き、歓声に紛れて誰かが密かに首を括る。
そういった|催し《・・》に夜毎出かけ、酒と共に情熱を注ぐ。狂騒は夜明けと共に忽然と消え失せ、頭痛と懐に反映される余韻を懲りずに、翌日も誰からともなく誘い、連れ立って行く──。
骸小路・夜千代(空髏・h07152)の思うに、それは底知れぬ深い穴を一握の砂を運んで埋める作業に似ている。
砂を運び、穴に落とす。埋まったかと屈んで覗き込めば縁は崩れ、穴は拡大して決して埋まることがない。それ故、さらに砂を運び、自重で縁を崩す。『欲』と纏めるにはもう少し深く、根深いものがあると薄ら思えども、いまだ穴の正体は分からぬ。
特定のものが『欠落』と呼ぶそれを夜千夜が知る事もなく、穴はただ|嘲笑《わら》いも憐憫もないまま深い口を開け、虚ろに、しかし確かに内に存在している。
さて、目の前に切られた骨牌と賽子。
指で遊ばせた滑らかな六面体は、古には家畜の、踵の骨を工夫して作ったのだと誰かが手札の悪さを誤魔化すように博識をひけらかして言った。
ふと一昨日、安酒と共に喰らった何とも知れぬ生き物の『脚』を思い出せば、不揃いな|それら《・・・》は想像するに、出目は平等でなかったろう。
けれども、正規の賽子が存在しない世界であれば結局、誰しもが骨で代用するのだから物事は一周して平等なのかも知れない。
手元で賽を遊ばせながら、夜千夜は時折その話を思い出す。
かつて存在したそれらの加工品に親しみを覚えることも、羨望もないが、既に誰もが忘れたであろう台詞がいやに片隅に残り、忘れてはふと思い出す。思い出しては忘れるの繰り返し、そんな折にふと思う。
|血肉を得て《・・・・・》無明長夜に迷う己と違い、不本意であろうとも死してなお何かの役に立つのであれば、その在り方で良いのかも知れぬ。家畜の方が余程上等の、己には到底至らぬ境地である。
卑下に近しい、無意識に見出した一種の慰めは、空虚を満たすには程遠く、あまりにも暗いものがある。
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古今東西、世には『風変わり』がおり、理外の頭で世界を見ている。
現実を捨て置いて夢の世界に生き、作り上げた幻想に埋没する。その道理に外れた思想は賢しい者であれば過去、何かしらの原因があっただろうと推測するだろうに、恐らく大多数は気にも留めぬ。
故に益々風変わりはひとりの世界へと没頭し、不可思議な|法《ルール》と共に己の内に創り上げた王国へ君臨する。
その|人物《・・》の王国は、骨であった。
他者と関わる事を極度に恐れ、道で拾い上げた何かの骨を話し相手にしている内にかれの認識は物言わぬ、しかし『他者』の残り香を抱くそれに傾倒していく。並々ならぬ愛着を抱けば次に欲するものは自ずと知れて、森や野原、名も知れぬ街へ『採取』をしに出掛ける。
そうして持ち帰った『友』で部屋を無作為に埋め尽くし、全てに名前をつければ夜毎橈骨に慰めを見出して小さな椎骨を並べて生前を推測し、手首の骨があと一つ足りないと涙を流す。犬歯の真珠の様な柔らかさに恍惚した後、肩甲骨の滑らかさを堪能する。
人物の築いた比類なき王国は完璧であり、幸福に満ち満ちていた。
──人物が、骸小路・夜千夜を知るまでは。
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「骸小路さん」
|店《・》を出た所に声をかけられて、夜千夜は振り返る。夜更けに近しい時刻で人通りは疎らであれども、この界隈ではまだ宵の口。それに──。
「|賭け事《・・・》、お好きなんですね」
新たな|勧誘《さそい》か、脅しの類いか。こうして見知らぬ者に声をかけられる事は珍しくもない。けれども十中八九面倒事であれば夜千夜は手を振って相手をしない意志を伝え、背を向けて歩き出した。
「煙草は何を吸われているんですか」
「警察なんですよね」
「お食事は|中《・》で済ませたのですか」
後ろから|それ《・・》は着いてくる。
無言にも堪えることなく矢継ぎ早に質問を放ち、しかし問いはボソボソと、投げかけると言うよりは独り言のような曖昧なものである。
そして──。
「どうして、動いているんですか?」
夜千夜は立ち止まる。
「貴方は──『骨』なんですよね?」
振り返れば相手の顔は見えねども同じように止まり、少しの距離を置いてもう一つ声をかける。
「貴方は、貴方みたいな|ひと《・・》がいるから」
「私は、|困って《・・・》いるんですよ」
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『受肉』した餓者髑髏の珍しさは一体如何なるものか。兎も角、人物が知るには夜千夜が初であった。
数少ない付き合いをする男が言うには「近頃、面白い男がいる」と。何がと聞けばお前好みだろうと続け、それは餓者髑髏なのだと言った。
無理解からの善意は、人物の世界を根底からひっくり返した。
勿論妖怪の蔓延る世界にての道理は不可思議に、人の知るそれとは違うだろう。死人が『化けて出る』事も、髑髏が『生き返る』事もありうるだろう。
けれど人物の道理はこの世とはまた違う世界にある。そこでは『骨』は物言わぬ、命とは切り離された崇高な『友』であった。
それが何故に生き返て、あまつさえ肉体を纏い、感情のままに動いているのか。
かの人物には到底許せる道理ではなかった。ややもするといつしか部屋の愛すべき『友』が血肉を纏い、動き出すやもしれぬ──一度よぎった考えはどうにも払拭出来ず、なれば全てが以前と同じように、愛おしく見えなくなった。
王国は崩壊の危機にある。
それを阻止するには、異分子を世界から排除するしかない。
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言葉と共に懐から合口を取り出せば、そのまま人物は夜千夜へと突進する。
恐らくその顔はこの世の憎悪に憤怒、殺意──兎も角それら全てを凝縮し煮詰めた熱された石炭の様な眼差しをしていたに違いない。
けれども夜千代は九寸五分を難なく避ければ、鼻っ面に遠慮会釈なく拳を叩き込んで支離滅裂な音を出して騒ぎ立てる|それ《・・》の喉を掴む。そのまま持ち上げて力任せに側に流れる溝川へ投げ込む。何か、乾いた枝を折るような音が響き、遅れて飛沫が上がった。
夜千夜は短くなった煙草を捨て、新しいものを咥える。遠くどこかの座敷から三味線の音が微かに響き、夜風と共にか細く流れ、消えていく。誰一人騒動を気にせず、駆け寄るものもいない。
「人のせいに、すんなや」
燐寸を擦り、新しい火を灯して吐くと紫煙と共にただ一言、何の感情も見えぬ言葉を吐き捨てる。
ふと、人物の落とした合口の隣、石の様な欠片──月状骨を見つけて拾い上げれば珍しげに眺め、何とはなしにいつぞやの賽子の話を思い出した。
再び地面に置くには気が咎めた、或いはただ億劫に、それを手に遊ばせたまま夜千夜は歩き出す。
吐いた紫煙を戯れに目で追えば燻んだ空に星が映り、手に持ったそれは歪に滑らかで──それでも相変わらず満たされぬまま『穴』は深い口を開け、虚ろに、しかし確かに埋まる事なく存在している。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功