【結城家のダンジョン・第0階層】冒険者、立つ。
さて、銀縁眼鏡をかけた長身の男が今置かれていた状況と言いますのが。
「……自宅、だよな」
非常に奇妙で、些か不味いものでした。昨日あたりまで自宅だったはずのものです、確か今日も昼頃までは一般的な一戸建の住宅――白い壁の木造二階建で。それが今はどうでしょう、変貌しているような状況だったのです。玄関から入って右手のリビングの扉が――開けてみたら、異様な光景が広がっていたものですから。それがダンジョンだと気づくまでに、そんなに時間はかからないのです。
「どこまであるんだこれ……まさか、地下100階まで、とか言わないよな」
後々そう推測できただけに、気が遠くなりそうだったのです。地方都市の郊外。√ドラゴンファンタジーで|白狼《ウィンターウルフ》に突きつけられし、難しい問題なのです。
そんなこんなで、自宅を失ったという意味では、結城・凍夜も運が無かったのです。しかし、それ以上にずっと幸せなのです。
近所に位置する定食屋「ときの」に居候させてもらっていて。
「……こっちの伸縮機能は問題無く動くな。これでスノーホワイトは終わりだ、こっちのヘブンリーブルーは照準の補正チェックとそれからマガジン、竜漿の機能が正しく通っているか……」
二階の部屋、数多の道具の整備を一つ一つ進められる程度には手際が良かったものです。恵まれていたのです、そうでなければあの推定100階層のダンジョンを制覇することなんて、まず不可能だと考えていたでしょうから。そんなもしもさえ吹き飛ばすように、一つ一つ整備の問題を細部に至るまで見て、解決していたのです。
かかる時間――その間に、みるみる点検が完了していって。
「……よし、マガジンの装着も問題無い。その他も全部確かめた、道具もOK、あとは全てを整理し直して|あっち《ダンジョン》に持っていけば……」
準備が完了したというので、一息をつくのです。
さて、定食屋「ときの」と言いますのは、身長が166cm、黒く長く伸びた髪を三つ編みにした、ウマ獣人に分類される生命が看板娘を務める場所であったのです。赤い色が好きでして、ぱっと笑うと笑顔が花のように咲いて綺麗なのです。今だってほら、凍夜の様子を見に来た時に目が合って――にこっと笑ってる。だから凍夜も自然と笑顔になるのです、笑顔は人から人へと伝わって増えるものなので。しかし土岐野・仁美、心配事があるのです――ダンジョンの件は、仁美の知る所ともなっていましたから不安が生まれないわけではないのです。少しばかり曇る|表情《かお》。
「本当に行くの?」
「ああ。あそこは私の家だから、ね」
全てが整っても尚、色々な可能性が仁美の脳裏を過ぎるものです。
「この手で、取り戻さないと」
そう言って握りしめる拳に徐々に力が篭っていく、そんな凍夜の頑張りを、その目で見てきたのは他ならぬ仁美なので、その力が強く鋭く冷たく研ぎ澄まされてきたことも|理解《わか》ってはいるつもりなのです。しかしダンジョンは数多のモンスターを中に抱える場所でもある、それが√ドラゴンファンタジーの摂理だったのですから何が起こるか予測がつくものでは無いのです。
(もしかしたら、そこで予想だにしない何かが待ってて、)
というところまで考えてしまう――戻って来るという保証も、無かったのです。
(ダメ、そんなこと考えちゃ……)
首を、ふるふる。ふしあわせは考える程に寄って来るものでして。でも、
「……大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」
そんな不安さえ読み取って吹っ飛ばしてみせる、それが|雪の牙《スノーファング》。彼に出来ぬことなど無いと証明することが必要だというのです、必ずここに戻って来ると|予約《やくそく》をするからこそ。
「焼肉定食、予約しておくから、サービスしてくれると嬉しいな」
春が訪れるかのように――仁美の心に暖かさを齎すのです。良い未来の訪れを告げるは、そんな意志なのです。
「……うん、分かった。お肉一枚、余分に付けてあげるね♪」
「ありがとう。嬉しいよ……必ず、戻って来るからね」
さあ、道具も武器も防具も。必要な全てを持って、その身に纏って。そして旅立つのです、それほど遠くなく、しかし簡単ではない旅路へ。行って来ますの声をしっかりと届けて――その背を仁美が手を振って見送るのです……こみ上げてくる涙は我慢して、笑顔で見送って。
(どうか。彼が無事に帰ってきますように)
いつか戻ってきた時に、笑顔で迎えられるように。
目指す場所であったのです――我が家、地下1階。かけてあった玄関の鍵を開けて、入って右手の。
「……よし」
リビングの扉を開けて。
100続く苦難の入り口の景色を見るのです。
そのまま、踏み入って、
Path chosen.
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功