淙々
真理に暗く――黄金のように思えたとしても、神々しく思えたとしても、蓮の花の上、坐してみたところで世の中は真っ黒いか。黒々とした場所から、泥濘とした底から、陽光を求めたとしても、眩暈。暈かされてしまった原因に対して言及をしたばかりに、深みとやらに嵌まってしまう。ならば、そう。まさしく影こそが、闇こそが、人にとっての|楽園《EDEN》なのではないだろうか。黄昏の色に抱擁されている|世界《√》が存在しているのだから、難儀、忘れてしまうのが宜しい。幾らかの果実を――汁気たっぷりで、鮮度の良いものを――選りすぐって、手を伸ばす。もぐ側も、もがれる側も、それが愉しみなのであれば、まったく至福なのであった。誑かすのではなく、泳がせる。泳がせるのではなく、誘って受け取る。まさか、流水を渡れないだなんて、そのような迷信を彼等は赦しているのだろうか。まさか、枕を濡らすのではなく、シーツを濡らしてあげるほど、彼等は拗らせているのだろうか。禁忌とは如何して存在を証明されているのだろうか。証明をしてやらなければ『ない』に等しく、狂おしいほどにも――酩酊するアスモデウス。
陽光を呑み込んだ暗黒――三月のウサギの飛び跳ね――青々とした宝石に振盪が宿る。粘つくかのような心地の良さは腹の音に近しくも思えるだろうか。ベッドから転げ落ちるようにして、フラフラと女。銀がざわめくと共に、言の葉とやらが現れる。……お腹空いたわぁ。よろよろと、汗に不快感を覚えつつも、女は化粧をする為に手洗い場に身を投げた。汗は嫌いだけれども夏は好き。自然と、色白さをアピールできるから。魅せるだけで、美味しいものが釣れてくれる。吊られた男のような想像――騒々しくも愛らしい『お兄様』を脳裡に浮かべながらも、今日のお顔もばっちりか。これなら、今日も『美味しいもの』にありつけるわぁ。ベッドの上に置き去りとしてやった眩暈――アスモデウスを従者として、銀のオーロラを残す。
女は強かであった。強かであると同時に、|無垢《●●》だった。纏っている衣の薄さと謂ったら、成程、秀逸なまでに声を掛けやすかった。それだけでは勿体ないと、折角、置き去りにしていった『もの』が有るのだから、それを|活用《●●》しないワケにはいかない。……大丈夫? こんな遅くに一人なんて。壁にもたれかかっているなんて。貧血……? 親切な方。声を掛けているクセに、情念だけは丸見えとわかる。大丈夫よぉ。問題ないわぁ。私は退屈しているだけですもの……。カラ元気のフリ。よかったら、飲まない? ほんの少しだけ悩んでみせて、ゆっくりと、にっこりと、微笑みを見せつけながらの「喜んで!」とても素敵な夜になりそうだと、お互いに、頷いたか。
レディーキラーを寄こすだなんて、わかっている男。故にこそ、女にとっては丁度いい。他愛もないお喋りから始まって、徐々に、徐々に、壁とやらを崩していく。ふふっ……乾いていらっしゃるのねぇ。私に『これ』を飲ませると謂う事は、そういう意味なのよねぇ? 喜んで。酒に飲まれるなど勿体ない。溺れるべきは夜なのだと、男の心臓だけがヤカマシイ。二人きりの方が都合がいい。がたりと、支払いを済ませた男を掴んで、蝙蝠――飛んで火にいる夏の虫……。
男は俎板の上での鯉であった。恋煩いすらもナンセンスとして、故意に、女の全てを欲しがった。ベッドよりも柔らかな身体や、薔薇よりも艶やかな唇の園。女は応えるのみ。応えるだけではなく、まるで、肉を叩くかのように――滂沱をし易くする為の、お呪い。……初対面だってのに、如何して尽くしてくれるんだ。落とそうとしたクセに、殺そうとしたクセに、今頃になって宣う。対して女は――善意とやらで、Win-winとやらで、囀った。私は渇きを満たしてあげたいだけなのよ。満たして、満たされて、そういう関係って、幸せだと思うのよねぇ。男の背中に腕、首筋へと唇を――牙を。じわりと、痛みが、赤が、女の……吸血鬼の舌を濡らしていく。理解が追い付くよりも前に男は意識を手放した。悲鳴も無いほどの蒼白――喪失。眩暈は此処にも存在していた。
ごちそうさまでしたぁ。
目の玉をぐりんと、肌色のようにしている男。前髪を弄びながら|吸血鬼《おんな》、己の身形を整えようと立ってみせた。直して、今度は、と、男の額に掌をやる。ふふ、いいきもち? 私も幸せ、あなたも幸せ、世界って素敵ねぇ。楽園なのだから、失くした流れすらも戻ってくるし、記憶とやらには消去がかかる。この空間の中では|吸血鬼《おんな》は主人公――お腹いっぱい、幸せいっぱい。
今日も、私のまわりの人々はみんな笑顔でした。|吸血鬼《おんな》に有るのは多幸感。誰かを幸せにしてあげた、善き行いへの、無明のような想い。眠っている男を置き去りにして再びの闇――今夜もリウィアは「良い子」にしましたわ、お兄様!
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功