天鼓色をなす
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√汎神解剖機関では|警視庁異能捜査官《カミガリ》の仕事は尽きない。
『クヴァリフの仔』に関連する事件のみならず、怪異の力に魅せられて犯罪に手を染める者、力を求める代償や材料に一般人を『活用』するような事件も後を絶たず、賀茂・和奏は日々捜査や制圧任務に赴いていた。
今日もまた任務を無事やり遂げて。その安堵に浸ることもなく、和奏はすぐさま携帯端末で解剖機関の職員を呼ぶ。
戦闘が終わっても現場でやるべきことは山積みだ。諸々の手続きと手配の為に到着した機関の職員と連絡を交わし合ったあと、和奏は自身が制圧したはずの廃ビルの中へと踵を返す。
――刑事さん、女の子は無事ですか。小学生くらいの子が居たんです。
ストレッチャーに乗せられた被害者のひとりが、和奏とすれ違いざまにそう問うた。
救急車に乗せられていく被害者を見送りながらも、和奏の眉根はゆっくりと顰まっていく。
救出した人々の中に子どもはいなかったはずだ。大人ばかりの中にそんな子が混じっていたら絶対に気づいたし、きっと優先して保護したはず。
どこを見落としたろうか。どこかに隠れているのか。声をあげるべきか。
歩きながら逡巡していると、和奏の耳が微かな音を捉えた。即座に思考を中断して立ち止まり、耳を澄ませる。
「どこに……?」
聞き間違いではない。確かに子どもの弱々しい泣き声がする。声を頼りに駆け、最後の角を曲がった時。和奏の目に映るのは怪我をして座り込む少女と、少女の背後から襲い掛かろうとする異形の姿。
考えるより先に身体が動いた。
凶爪を振り上げた異形と少女の間に無理矢理割って入る。防御など考える余裕はなかった。背に強烈な衝撃が走ったと思った瞬間、激痛と熱が一気に全身に走る。
「いった……いけど、無事かい?」
「お、おにい、ちゃ」
「怖かったよね、もう大丈夫だから」
少女を抱え上げ、怖いものが見えぬように頭を自分の胸に押し付ける。そうして稲妻が如き速度で怪異の脇をすり抜け、様子を見に来た職員に少女を託すと、振り返りざまの一閃で追い縋った怪異を斬り払った。
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「……久々に大きめのもらったな」
大きく吐いた息が震えた。
早めに機関に戻って治療しますと告げ、満員の救急車に何とか乗せようとする職員をやんわりと宥め、大丈夫ですからと念を押したのがつい先程。
なんとか説得に成功し、職員や被害者が撤収した後の廃墟でひとり、和奏は座り込んでいた。
背に受けた鋭い爪痕からは未だ血が溢れ、熱持つ傷口とは裏腹に身体が冷えていくようだ。緩慢な動作で服を脱ぎ、和奏は急ぎ怪我の具合を確かめる。
……痛いには痛い。血も相当出ている。それでもまだ我慢は効く。
火雷神憑きの和奏にとって痛みとは『日常』だ。憑神と融合するたび、反動の痛みが身体を襲う。それに耐えることもまた日常となり、必然的に和奏は痛みに対して我慢強くなった。
だから、まだ大丈夫。
携帯している包帯で圧迫止血をし、最低限の処置だけ済ませるとさっと服を着直す。
流血が酷く目眩がするけれど、それでも足に問題はないのは幸いだった。どうにか自力で帰ることは叶いそうだ。
一般人と一緒の救急車に乗るわけにいかなかったのは、普通の病院に行くわけにはいかない身だからだ。故にこういう怪我の時は、機関に居る医師免許を持った既知の解剖士に頼むのが通例となっているのだが。
『こら、この阿呆が!!』
血が足りない頭でぼんやりと考えていると、喝をいれるような大きな声が体内から響いた。
「わぁ、今日はすごく良く聞こえるなぁ」
呑気に驚くともう一度雷が落ちる。今日の|彼女《・・》は相当ご立腹らしい。
『迂闊なことを! 突っ込むよりはよう呼べばあんなもの防げたろう!』
「物事には優先事項があってですね……あの子が傷少なく助かって、良かったじゃないですか」
あの少女は逃げる途中足を挫いて、咄嗟に物陰に隠れたのだという。和奏が間に合ったおかげでそれ以上の怪我はなく、無事に保護されていった。それで良いではないか。
あとは先生に縫合してもらうだけだから、と立ち上がろうとして。
『我は、あやつは好かん!』
バチンと体内で雷が弾けた。
『お前を治す時、ついでにこっちを調べたくてうずうずしておるのがわかって気持ち悪い』
「あの……痛い痛い痛いです。稲ちゃんと先生の相性合わないのはわかったんですけど、今流石に雷は勘弁してもらっていいですかね……」
融合している神霊『稲』は気まぐれ且つ苛烈な神霊だ。腹が立ったり不機嫌になると宿主にでも雷を落とす。
常ならそれも甘んじて受け入れるけれど、今は話が別だ。なにせ思い切り怪我をしている。血も足りていない。傷の痛みに耐えることは出来るが、雷撃の痛みまで加算されるとなると流石の和奏とて諸手を上げて降参せざるを得ない。
『前に補充された仙丹があろう、あれ飲め。解剖士頼って霊糸縫合なんぞせんでも最低限塞げば、あれに調べられるぐらいならこっちで埋めてやっても良い』
ふんと鼻を鳴らした稲が言っているのは、もしもの時の応急手当にと支給されている『乾燥怪異粉末配合薬』のことだ。震える手でポケットから取り出した瓶に視線を落とせば、思わず苦笑いが零れる。
「これまずくて嫌いなんだよねぇ」
名の通り怪異そのものを含んだ薬だ。回復効果は保証付きだが、そもそも作り方からして本当に重症な場合以外にはあまり乱用したくはない。
蓋を開けるのを躊躇っていると、またバチンと雷が弾けて呻く。痛い。
『しょうもないことを考えるな。優先順位で言うならお前自身を優先しろ。良い具合に育つまで、くたばられては困るぞ』
ぴしゃりと言われて、出かかった言葉を飲み込んだ。
稲はとっくに見抜いているのだ。先程襲い掛かってきた怪異に嵌められていた枷に目を取られ、一瞬防御が遅れたことを。
憑神とは身体を共有しているのだ、視界だってそうなのだろう。和奏の表情が苦く歪む。
「わかってる。わかってるけど……やっぱり今回は、塞ぐのは先生に頼ませて。それ以上調査はしないでって頼みますし」
どうしてもこの薬を飲むのは気が進まない。
和奏が怪異に抱く感情は複雑だ。怪異に親を奪われ、けれども和奏の命を救ったのも別の怪異で。元より人を害するものであれば躊躇いはないが、怪異だからと一括りでは考えられない。
人類の黄昏を暁天へと導く鍵というだけでなく、人と違う生き物である彼らのことを知りたい。そう願うからこそ、積極的に怪異を摂取など出来ようもなかった。
「お願いします、稲ちゃん。なんでも、好きなもの作りますのでここは一つ」
『お前は……阿呆が!』
また雷が弾ける。反動で硬直した背で傷が痛んで、今度こそ呻いた。
『一回だけだ。山盛り稲荷、忘れるな』
ばちん!
最後にもう一度雷が弾けて、稲との念話が途切れた。訪れた静寂に小さく息を吐いて、和奏はふらつきながらもゆっくりと立ち上がる。
「ごめんね、ありがとう」
いらえはない。ただ、雷が落ちないことが了承の証なのだろう。
脈打つ痛みに耐えながら、研究所への道を歩き出す。霊糸で縫合してもらったら、エネルギー補給の為にたくさん食べなければ。
治りきるまで力が落ち着かないだろうから、部屋に誰も入れず一人眠ろう。
「治ったらすぐ……山盛り稲荷と山盛り報告書だなぁ」
そう思ったら少しだけ笑えて、力が抜けた。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功