夜空に想いを馳せて
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外に出ると、さっそくセミの鳴き声がプロキオン・ローゼンハイムの耳に飛び込んできた。
「夏だなあ」
朝の陽ざしはまだ真昼のそれほど凄まじいものではないが、それでも歩いているうちにじんわりと汗が滲んでくる。
休日の日課となった散歩。気分転換にいつもと違うルートを歩いていたところ、街の掲示板に貼られたポスターに興味を惹かれて立ち止まった。
「プラネタリウム? こんなところにあったんだ」
家からさほど遠くない場所のようだ。これなら行ってみようかと考える。それに何より、今日は珍しく兄と平日の休暇が被ったのだ。
今日なら空いていて快適な状態で星を鑑賞できそうだし、多忙極める|警視庁異能捜査官《カミガリ》と医療従事者の余暇としてはいいかもしれない。
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――などと思いつつ家につくと、その兄、シリウス・ローゼンハイムが床に転がっていた。プロキオンがドアを開けた音に反応し、怠そうな様子で寝返りを打ちこちらに顔を向けてきたが、起きてくる気配はない。
「ああ、ロキ。おかえり」
「……兄さん、何してるの」
「冷房で冷えた床が気持ちいいんだ」
オンの時のきりっとした表情はどこへやら。完全に溶けきっている。
「外は暑かっただろう。そんな中ロキは散歩だなんてえらいな。俺は仕事以外で外には出たくない。今日は休みだ。つまりずっと外に出たくない……」
「……『休日のお父さん』かな……」
せっかく二人一緒の休日なのに勿体ない。
「ねえ兄さん、一緒にプラネタリウムに行かない?」
「行く」
先程までのだらけっぷりが嘘のように一瞬で返事が返ってきた。途端にしゃきっと立ちあがり身支度を整え始める。他でもない|可愛い弟《ロキ》の誘いなら断る理由がないといわんばかりだ。
なかなかの豹変ぶりだが、それを見守るプロキオンの表情にも驚いた様子はない。兄からの溺愛には慣れているといわんばかりだ。
服を着替えながら、ふと思いついたようにシリウスは星詠み達の予報に目を通した。
「あの男は……うん、暗躍してる様子はなさそうだな」
「Anker狩りだね」
「折角二人で出掛けるのに巻き込まれるのはもう勘弁だからな」
これ以上プロキオンを危険にさらしたくないし、とも言外に付け加えた。
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そのプラネタリウムは、とある商業施設の中にあった。
「プラネタリウムはいいな。どんなに外が暑くとも涼しい場所で星が見られるんだから」
平日とだけあって他の客が少ないのもいいとシリウスは云い、プロキオンも同意する。
「どこに座ろうか?」
「ここがいいんじゃないか」
シリウスが一番前の席に陣取った。
「えっ、そこ?」
「寛げそうだろ?」
一番前なら他の客の姿が見えず映像に集中できるし、何よりそこはソファ型のペアシートなのだ。家で映画でも見ている時のような感覚で過ごせて、確かにシリウスの云う通り寛げそうだが――
(「普通、こういうのはカップルが座るものなんじゃ?」)
微かに疑問に思いつつ、兄の意見を否定はせず隣に座るプロキオンだった。今日なら人の目もそんなにないし、なによりプロキオンにしても兄のすぐそばでゆっくりできる時間は楽しみだ。
席に座って暫くするとドーム内の照明が落とされ、上映が始まる。
アップテンポな音楽と共にオープニング映像が流れ、タイトルが表示される。今回のテーマは“日本の空、日本の四季”であるらしい。
すぐさま星空が投影されるのかと思いきや、最初に映し出されたのは迫力満点の打ち上げ花火。これには意外さに二人揃って目を瞠ったが、なるほど“日本の夏の夜空”を語るには欠かせないというわけか。
音楽に合わせて赤や青や緑の花が一斉に爆ぜ、空を覆い尽くす。花火が炸裂する音も迫力満点で、火薬の匂いまで漂ってきそうな錯覚を感じた。
(「成程な、混雑する祭りの会場に行かずとも花火がゆっくり観られるわけだ」)
デジタル投影が主流となった現代だからこそのサプライズだともいえる。
五分ほどで花火はクライマックスを迎え、柳が次々に炸裂しては空を覆い尽くしていく。
その余韻も消えていき、漆黒に戻った空に、ぽつぽつと星空が投影されていった。
夏の代表的な星々――夏の大三角やさそり座のアンタレス。
それを基準に、星座を辿っていく。
美しい満天の星にプロキオンは目を輝かせた。
(すごいな。本当に本物みたいだ。こんな景色を兄さんと見られたらいいな)
見惚れているうちに気づけばシリウスに身を寄せていた。シリウスが頭を撫でてくれて、心地好さに目を細める。
(これじゃ本当に家でくつろいでいるみたいだ)
空調が少し効きすぎていて寒いからだとか、ソファの座り心地がよすぎてだとか、言い訳を考えたが、一瞬で頭の中から消えていった。
兄の手は優しくて、このあたたかさを享受したかったから。
星空が巡り、秋の夜空を投影する。ペガサス座にカシオペア座、ペルセウス座にアンドロメダ座など。
神話も交えて話は進み、空はやがて冬を迎える。
空に映るのは冬を代表する大三角形。どちらからともなく「あっ」と二人にだけ聞こえる小声が漏れた。
南東の夜空に凛と輝く三つの星。
おおいぬ座α星、シリウス。
こいぬ座α星、プロキオン。
そしてオリオン座α星、ベテルギウス。二人の名前の由来らしき星たち。
(僕たちは、何を祈られこの名前を付けられたのだろう――)
それを訊ける両親たちは、もういない。
もっと話しておけばよかった。そうしたら彼らの記憶を持たない兄に話してあげられる事も増えたのに。
感傷に浸っているうちに、ふと思った。
(兄さんと、僕。それからもうひとつが三角を模っているのなら、この星とも縁があれば面白いな)
大きく赤い星に想いを馳せながら兄を見ると、真剣な眼差しで空を見つめる横顔が目に入った。
プラネタリウムが春に映っても、プロキオンはそのことを考えていた。
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大満足のうちに上映は終わり、二人はドームを後にした。
「来てよかったね、兄さん」
「おかげで有意義な休日になった、ありがとう」
「ふふ、どういたしまして。せっかく外に出て来たんだから何か食べない?」
併設されているカフェを指差すプロキオン。
「星や星座にまつわるドリンクやスイーツがあるんだって」
「それは是非に行きたいな」
スイーツの四文字にシリウスが反応する。わかりやすいなと笑みが漏れた。
「それにしても、冬の大三角か」
シリウスがぽつりと呟く。
「俺達と近しい人にベテルギウスの名を持つ者はいるのだろうか――なんてな。そんな訳はないか」
「兄さんも思った?」
「ロキもか?」
「いたら面白いなって」
うーん、とシリウスが考えて思い付きを口にする。
「俺達の知らない兄弟がいるとか?」
「それは色々問題じゃない? せめて従兄弟とか」
「血のつながりがあるとは限らないな。案外宿敵かもしれないぞ」
「それは本当にありそうで怖いなあ」
楽しい与太話に花を咲かせつつ、二人の姿は喫茶店に吸い込まれていった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功