子の刻に、お屋敷の騒動ありしこと
|熙《よろこび》。それは遠い昔に、十二支の物の怪に憑かれた家系であった。
――約束を違えれば、熙家は悲惨な運命を辿る。
そんな呪われた言い伝えの元、一族のものは十の時に物の怪と血の契りを結ぶ。
長き時を経て、儀式は形骸化したかに思われていたが、熙家の末子である|笑壺《えつぼ》が十を迎えた時に、異変は起きた。
『この|契り《あい》の』『邪魔を、するな』
――十二支の物の怪すべてが、彼に憑いたのだ。
生死の境をさまよった笑壺は、丸一年も眠り続けることになった。しかし、物の怪たちを封印し再契約を交わすことで、どうにか事なきを得た――筈、であったのだが。
●騒動
「……最近屋敷が騒がしいな」
縁側に腰を下ろすと、熙家の長男である|海神《わだつみ》が神妙な顔つきで言った。季節は夏。夕暮れの残照が庭園の樹木を黒々と浮かび上がらせるなか、どこからか虫たちの鳴き声が響いてくる。
「なんでも、夜に不審な出来事が起きているみたいだよ。誰もいないはずの部屋から音がしたり、物が荒らされていたり……変な影が見えたりとか」
そこで三男の|日和《ひより》が、海神の疑問に答えた。人当たりのよい性格のため、屋敷の使用人たちから上手く話を聞いたのだろう。虫除けの香を持ち、長兄の隣に腰かけたところで、今度は反対側からちゃらついた声が上がる。
「何だよそれ、どうせ見間違いとか勘違いだろ~?」
着崩した浴衣姿で足を組み、へらりと口角を上げるのは|爛漫《らんまん》で、兄弟の中では次男に当たる。彼の言う通り、最初は「気のせい」で片づけようとしたらしい。しかし今も不審な出来事は続き、それが屋敷の空気にも影響してしまっているのだ。
「それなら爛漫、今晩にでも調べておいてくれ」
「は!? 俺!?」
海神が熙家の当主として、静かな青の瞳を向けつつ命じると、彼は妙に大きな声を上げて反論した。目の上のたんこぶとして海神を煙たがるのはいつものことだが、それにしては頑なな気がする。
「今の時期、店の方が忙しいのは知っているだろう。親族やお手伝いさん達の手を煩わせるのは避けたい。……御前も熙家の一員なんだ。家の問題くらい対処してみせろ」
「なんで?? 日和でいいじゃん」
ものすごい正論をぶつけられても、爛漫が頷く気配はない。咄嗟に日和のほうを見て逃れようとすると、彼は団扇を仰ぎながらのんびりと言った。
「あ、僕は別にかまわないけど――らんくん」
よっしゃ、と言わんばかりにガッツポーズをする爛漫。しかしその後、自分の名前を意味深に呼ばれたことで、その恰好がぎこちなく固まった。
「……なんだよ、日和」
ブタさんの形をした線香入れを眺めながら、日和がにこやかに首を振る。
「ううん、なんでもなーい」
――それから一夜明けて、次の日の朝。
庭の朝顔を眺めていた海神の元に、日和がやってきて調査の報告をした。
「昨夜は何もなかったよ、海神くん」
「そうか、毎晩という訳ではないようだな。だとすると暫く、何日かは確認する必要があるかもしれない」
「……(そっ)」
そんな二人の傍を、素知らぬ顔で通り過ぎようとするのは爛漫だった。
「ああ、でも二日連続は、流石に寝不足になりそうだよ」
「…………(そそそっ)」
欠伸をかみころす日和にも知らぬ振りを決め込んで、彼が向かう先には末っ子の笑壺がいた。何かを探しているのか、廊下を歩きながら辺りをきょろきょろ見回している。
「――あ、笑壺~~!」
大きく手を振り、そのまま駆け出そうとした爛漫の首根っこを、そこで海神の手がむんずと掴んだ。むぎょ、と変な声を上げた彼は、その場でじたばたと暴れ始める。
「なんだよ!? 変なとこ掴むなよな!?」
身長差があるので、思うように逃げられないのだった。そうしている内に笑壺がやって来て、彼らの妙なやり取りを見た少年は思わず問いかけた。
「……兄さんたちどうしたの?」
かくかくしかじか――と、そこで屋敷での異変について説明を受ける。黙って聞いていた笑壺だったが、ややあって首を傾けながらぽつりと言った。
「ふーん……おばけが出るってこと?」
そうと決まったわけじゃないよ、と日和が安心させるように微笑む。昨夜は何も出なかったけど、これから何日か見張りをするつもりなのだと続ければ、爛漫はにやにやと、何だか悪い遊びに誘うみたいな顔をして弟のほうを見た。
「笑壺~調べてみるか? 夜遅くまで起きてられるぞ……って待て待てこわいこわい」
直後、海神と日和からの圧を感じて飛び退るも、笑壺はちょっぴりそわそわした様子で――それでも怖さもあるらしく、銀の瞳を伏せて考え込んだ。
「――うーん……」
「いや、えっちゃんは早く寝ていいからね? 夜更かしして体調崩したらいけないし」
笑壺の身を案じた日和がフォローする。ようやく快復して、以前と同じ生活が送れるようになったのだ。一年間目覚めなかったことを思えば、彼に無理はさせられない。
元々、歳の離れた弟を溺愛していた兄たちだが、儀式の一件があってから、さらに過保護っぷりに磨きがかかっていた。
「でも、皆が困っているなら……」
黒い眼帯に覆われた、笑壺の片目にちらりと目を遣り、海神は何ごとかを考えているようだったが――やがて彼は、弟ふたりに向かって静かに言った。
「……なら、爛漫と笑壺で一緒に調べてみるか?」
「「えっ」」
●夜警
蝉の合唱が辺りに木霊するなか、爛漫と笑壺は異変の調査に乗り出していた。
まだ昼間だが、見張りをするならもっと情報が必要だろうということで、ふたりで屋敷を駆け回っているのだ。
「あー、暑い。笑壺、もう休もーぜ」
すっかりだれた様子の爛漫が、木陰に座りこむ。しかし笑壺のほうは懸命に、何か手がかりはないかと言うように、あちこち探して回っているようだ。
熙家の屋敷は広く、兄弟の他に親族やお手伝いさんも大勢いる。そんな中、異変の起きる場所は一定ではないようで、話を聞いていくと「何か」が屋敷をうろうろと動き回っている感じらしい。
「……小動物でも迷い込んだんじゃねぇの? リスとかネズミとか」
そうは思ったものの、足跡も見あたらないし何かを食べ散らかした跡もない。
生き物、ではなく別のもの。実体のない幽霊や妖の類なのでは、と使用人たちは不気味に思っているようだ。
「うっ――ないない、それはないだろ」
不意に背中がぶるりと冷えた気がして、爛漫は慌てて首を振る。そこへ笑壺がやって来て、異変についての噂を教えてくれた。
「もしかして、ポルターガイストって悪霊が、出たんじゃないかって」
「!!」
精一杯平静を装う爛漫だが、その口元は引き攣っていた。
今は音を立てたり物を荒らしたりする程度だが、悪霊の仕業だとすると、これからどんどん被害がエスカレートしていくのでは――そんな話を聞いたらしい笑壺は、瞳をかすかに潤ませると上目遣いに爛漫を見上げた。
「その、夜の見回りまで……らん兄の部屋にいていい?」
うっ。可愛い弟が頼りにしているのだ、知らぬ顔もできまいと爛漫は覚悟を決める。
と、言うよりも――、
「お、おう、むしろ一緒にいてくれ、笑壺」
夜が更けるのを待って、爛漫と笑壺は屋敷を見張ることにした。
万が一の被害に備え、張り込むのは蔵の近くにした。今宵は虫の声も静かで、ふたりは無言のまま茂みの奥に目を凝らす。
「どっ、どうした笑壺? きょろきょろして」
「あ、らん兄……その、」
そんな中、笑壺はしきりに辺りを見回していた。そう言えばずっと、何かを探しているような素振りだ。ずいぶん熱心だな、とその姿を見つめる爛漫だったが、その時、近くの茂みがガサガサと揺れ出して「ひっ」と息を呑んだ。
「お、おい! 笑壺、あそこ!」
何かがいる――と彼が指させば、そこから黒い影がぬっと姿を現わす。
まさか、屋敷を騒がせている不審な影か――!?
「……あ、らんくん? ちゃんと真面目にやってる?」
――ではなく、影の正体は日和だった。後ろには、仕事を終えた海神の姿もある。
「あっ、海神兄さんと日和くんだ」
「えっちゃんもご苦労様。心配になって見に来ちゃった」
そう言ってほんわり微笑んでみせる日和は、怖いものを全く気にしていない様子だ。長男の海神も、膨大な妖力の持ち主ということもあってか、この手の話には動じない。
ちなみに、次男の爛漫はと言うと――、
「あばばばばば」
変な声をあげながら、ガクガクと震えていた。今まで恐怖を表に出さないよう必死に頑張っていたものの、ついに限界を迎えたのだろうか。
「もう、らんくんはしょうがないなぁ」
何だかんだいいつつ仲の良い日和が、きょうだいを宥めようと近づくが――その尋常ではない怖がり方を訝しんで、視線の先に目を向ける。蔵のほうを見ているのだろうか。カツンカツンと、何か固いものが跳ね返るような音が、何度か聞こえた。
――そこで、白いぼんやりとした影が、さっと蔵の前を横切る。
「あっ」
何かに気づいたらしい笑壺が、声をあげた。
きゃっきゃと、動物のような甲高い鳴き声が庭に響く。直後、蔵の扉が震えるようにして一気に開け放たれると、中から様々ながらくたが飛び出して辺りを舞い始めた。
その中央、仄かな光に包まれて、ふわふわと宙に浮かんでいるのは――。
●命名
「御前は――」
それはどこか神々しささえ感じる、白いネズミの物の怪だった。小さなガラス玉を抱えて、笑壺のほうをじぃっと見つめている。
そう、あれは――十二支の物の怪を封印した、笑壺の宝物であるラムネ玉だ。
(ひとつ、なくなっているのに気づいて、ずっと探していた……)
屋敷が慌ただしくて言い出せず、ひとりであちこち見て回っていたのだが、まさかあの子が騒ぎを起こしていた張本人だったのか。
「お、おい、笑壺に手を出すんじゃねぇ!」
ふわふわ浮かぶ物の怪たちから笑壺を庇うように、震える足で爛漫が前に出る。儀式の際に弟に憑りつき、大変な目に遭わせた物の怪の一支なのだ。また良からぬことをする気か、とネズミの妖を睨みつけるが、一方で長兄の海神は、やれやれと言うように肩で大きな息を吐いた。
纏う光がさらに強くなったかと思うと、白いネズミが笑壺に飛びかかる――!
「――うお!? え、……あれ?」
爛漫が振り向くと、ネズミは甘えるような鳴き声を響かせて、猛烈な勢いで笑壺にじゃれついていた。めちゃくちゃ懐いている。力を失ったがらくたが、ころころと地面に転がった。その様子を見ていると、騒ぎを起こしていたのも、笑壺に構ってもらいたくて駄々をこねた――というのが真相らしかった。
「……やれやれ、仕様がない奴だ」
十二支の“子”――熙家に伝わる覚書では、その真名を|玄枵《げんきょう》という。
物の怪たちを従えるほどの妖力がまだ笑壺には備わっていないため、ガラス玉から出てはならないと厳命していたのだが、そんな海神の言いつけを破ってまで、笑壺と一緒に遊びたかったのだろう。
「でも……玄枵くん、無理に出てくるとえっちゃんに負担がかかるからね」
日和が優しく言い聞かせるが、ネズミの子はぷくっと頬を膨らませて笑壺にしがみつく。こんなに大好きなのにどうして一緒にいられないのかと、納得できていない様子だった。そのうち名前を呼ぶのにも反応しなくなって、困った笑壺は何とか話を聞いてもらえないかと、懸命に知恵を振り絞る。そうだ、新しい名前をつけてあげるのはどうだろう。
(海神兄さんから聞いた、十二支の話……子は、はじまりを表わす)
――『子』とは、植物の種子の中に新しい生命が『|萌《きざ》し』はじめる状態を指す。
なら、この子を新しく呼ぶとしたら――、
「……きざし。御前は、|萌孳《きざし》だ」
笑壺がその名前を告げた瞬間、白いネズミの物の怪は嬉しそうにひと声鳴いた。
「おれ、ずっと見つけようと探してたから。御前のこと、ちゃんと気づいてたから」
続く彼の想いも、きっと伝わったはずだ。今はまだ使役に至らずとも、いつか十二支すべてを従え、一緒に過ごせる時がくるから、と。
小さなガラス玉に戻っていく物の怪を見送りながら、萌孳、と笑壺はもう一度、彼の新しい名前を口にして言った。
「だから……もう少しだけ、待っていて」
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