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夕空の霹靂

#√ドラゴンファンタジー #ノベル #夏休み2025

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 異世界への扉を潜る前。見上げた空に入道雲が高くそびえ立っていた。
 真っ白な雲と抜けるような青空とのコントラストはどこまでも夏を思わせて、うだるような熱気と対照的な爽やかさに思わず緇・カナトは目を細めた。
 夏だな、なんて当たり前の感想が浮かぶ。けれども同時に襲い来る暑さにうんざりしたように眉を顰め、異世界への扉へと歩み出す。
 これから仕事だ。暑さで体力が奪われる前にさっさと行って帰ろう。
 そんなカナトの想いを見透かすように、傍らのトゥルエノ・トニトルスがひょいと先に扉を潜ってカナトを呼ぶ。
 もう一度カナトが振り仰いだ先で、入道雲が高く空の彼方へと手を伸ばしていた。

 ――そうして仕事を終えて帰路に着いたのは夕刻のこと。
 異世界の扉を潜れば青と橙がグラデーションを描く空が二人を出迎えてくれる。
「よし、用事も済んだ事だし今日は解散か」
 ようやく慣れた景色に戻って人心地ついたトゥルエノが息を吐く傍ら、カナトは黒い狐面を外して大きく背伸びをした。
「だな。さァて疲れたし帰ってさっさと寝るとするか」
 朝に出掛けたと思ったらもう夕方だ。慎重に慎重を重ねなければならない依頼であったし、潜む敵は強敵だったが、大きな怪我もなく事を済ませられたのは僥倖であった。
 とはいえ潜入からの人質の奪還、走りっぱなしの脱出からの戦闘で流石にカナトも疲労を隠せない。
 この後はもう真っすぐ家に帰ってシャワーを浴び、さっさと寝るに限る。夕飯はこの時間なら安売りもしているはず。どこぞで適当に買い込むのが手軽だろう。
 そうやって帰りの算段をつけて、いざ解散と口にしようとして。
 ――ふと、風に雨の匂いが混じった。
「おや」
「……なんだか嫌な予感というか、イヤな音がしてるんだが」
 明るかった空がどんどん暗さを増していく。
 出掛ける前は高く聳え立つ入道雲に夏らしさを覚えたものだが、そういえばそう。入道雲とはつまり積乱雲で、それが発達するということはつまるところ雷雨を呼ぶわけで。
 ちらと見上げた空をあっという間に暗雲が覆い、ゴロゴロと不穏な音まで響き始める始末。
「トールの呼び出してる雷雲じゃないだろうな……?」
「いや? これは夕立というヤツだなぁ」
「デスヨネー」
 一瞬傍らの雷精を疑ってみたが、目を細めて口の端を上げるばかり。しかしトゥルエノが否というのならば否なのだろう。そんな問答をしている間にも雲はあっという間に頭上を覆い尽くし、雫が零れたと思えばそれは一瞬で号泣になった。
「あー……」
「夏の風物詩といったところだが、主の運の無いこと~」
「ニヤニヤすんな。……面倒だけど濡れて帰るか」
 悪戯に笑うトゥルエノを軽く小突いて、カナトはたった今立てたばかりの計画を脳内から打ち消した。
 トゥルエノもカナトも雨具なんか持ち歩く性質ではない。これから仕事という時にわざわざ邪魔になるような雨具を持ち歩くわけもない。はじめから雨が降っていたら別だったかもしれないが……ともあれ今は二人共雨具の持ち合わせなどないのである。
 生憎この異世界の扉の傍には雨をやり過ごせるような店もない。となれば、この土砂降りの中濡れて帰るよりなさそうだ。
 けれどもトゥルエノは、「主」と呼んですぐ傍の大きな木を指差す。
「その辺で雨宿りしていくのも良いのではないか? ちょうど良い樹もある事だしな」
「そんな高い樹の下で雨宿りする方が悪運被害に遭いそうなんだが……」
「だいだい我が避雷針となるので無問題……!」
 大きく溜息を吐いた。雷光は先程から止むことを知らない。いつ落ちてもおかしくないような雷雨の中、高い樹の下で雨宿りをすることがどれほど危険なことか。……ということなどトゥルエノは理解しながら言っているのだ。
 役に立つだろうと言いたいのか、軽口を楽しんでいるのか。もしかしたら両方なのかもしれない。
「ハァ……逆にどっと疲れてきたな」
 早々に追及と突っ込みを諦めたカナトは、降参とばかりに諸手を挙げてトゥルエノが指差した大樹の幹に背を預けた。

 ――落雷があったらお前が避雷針になってくれるんだろう。

 本当に木の下に入ると思っていなくて目を丸くしたトゥルエノに、そう言わんばかりの視線を投げかける。
 そこに確かに宿る信頼を感じて、トゥルエノの口の端が知らずに弧を描く。どこか誇らしげに胸を張ってカナトの隣に並ぶと、トゥルエノは空を見上げた。
 大樹の生い茂った葉の隙間から、防ぎきれなかった雨が零れ落ちてくる。暗雲の下で幾度となく稲光が走り、大地を打ち鳴らすような雷鳴が迸るけれど、トゥルエノとカナトにとってそれは怖れるようなものではなかった。
 ただ、そう。
「しかしまぁ、此処ぞと言うときに雷に出会うものよな」
 ぽつりと呟いたトゥルエノの言葉に、カナトは視線だけをそちらに向ける。
 きっと、二人が出会った『あの日』のことを言っているのだと分かった。

 √ドラゴンファンタジーには三方を山脈に囲まれ、開けた一方が海に面した湖がある。
 特殊な地形が雷雲を生みやすく、一年を通して高頻度で雷が発生するその湖を人々は『雷の領域』と呼んで怖れた。
 彼の地はきっと雷竜や雷獣が居るのだとか、何かの怒りに触れて年中雷が落ちる地になったのだとか、色んな噂が独り歩きしていつしか滅多にひとが立ち入ることはなくなった。
 だからこそ、その地は|雷精《トゥルエノ》にとって大層住みよい地だったのだ。
 山を駆け、湖と海を眺め、雷と共に長い年月を過ごした。

 そうしてある日。トゥルエノはそんな雷の領域に迷い込んできた、|夜のように黒い狼男《カナト》に一目惚れをした。
 
 あの日からトゥルエノは押しかけるように傍に居り、頼まれてもいないのにカナトに力を貸すようになった。
 献身のつもりはない。ただカナトに幸いあるようにと、それだけを祈っている。

 懐かし気に思い出を語るトゥルエノに適当に相槌を打ちながら、カナトもまたその日々に思いを馳せる。そうしているうちに雷が遠ざかり、雨脚が弱まる気配を感じてカナトはおもむろに大樹から背を離した。
「まあもしかしたら主は忘れておるかもしれんが」
「……別にあの場所の景色はキライでもなかったし」
 カナトは記憶を残しづらい。だから出会いの日のことを覚えていなくたって、トゥルエノが覚えていればいいのだと笑おうとして、告げられた言葉に目を見開く。
 なにか問いたげな、けれど何を問おうか迷うトゥルエノを振り返るカナトの表情は、雲の切れ間から差した一筋の夕陽の陰になって見えない。
 その顔を伺い知られぬままに、カナトはまた空の向こうに目線を戻した。
(雨上がりの夕暮れ空も……独りで眺めるよりかは違った景色であったんだろうな)
 風に流れ、雲の切れ間から顔を出す茜色の空。独り眺める景色と、己が錨と定めた者と見る景色はきっと彩が違うのだと思う。
 何をどう、とは敢えて口にしなかった。口にせずともいい気がした。
「……晴れたし帰るか」
「まだ帰らずに……もう少し留まっても良いのだぞう」
「腹減ったし疲れたんだよ」
 ゆっくりと晴れ、そして夜の帳を下そうとする空を眺め続けたっていいのだと。主の思うままにすればいいと告げるトゥルエノにゆるりと首を横に振り、歩み出す。
 雨上がりの湿った風が揺らした水溜まりに映った夕空を、覚えていられるだろうか。
 ――覚えていたいと思った。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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