はくちょう印の一匙
「ということで試食してみてくれ。」
大きな男の第一声と共に、机上にずらりと色とりどりのジェラートが並ぶ。そんなこんなで、突然の一声に思考を停止させた男と片眉を上げた男がいる。
現在地は七・ザネリ(夜探し・h01301)の屋敷、はくちょう座のキッチン。広いキッチンに大きな影が全部で三つ。広くはあるが随分と狭く見えてしまうのは、この場にいる三人がザネリの屋敷であるはくちょう座でも大きな三人だからこそ、そうさせているからだろう。
さて、まずはなぜこの場に大きな男が三人も揃ったのかを説明する所からはじめよう。
――――遡ること数時間前。
ここはザネリの屋敷の中にあるキッチン。キッチンには、常日頃からはくちょう座の世話役として働いている理が、雇い主であるザネリのためにと食事を作ってはいるが、何やら今日は分厚いレシピとにらめっこをしているようだ。
外では蝉が鳴き、蝉の鳴き声に合わせて子どもたちのはしゃぐ声も聞こえてくる。室内にいるからというのもあるが、窓から見える景色は外の暑さを容易く想像させる。隣の家の屋根が、太陽の光りを反射して妙に眩しく見える。風が吹いていないのか、木は揺れることをせず、時折こちらを観察する子どもと視線が重なる。木の影で休憩でもしているのだろう。それにしても暑そうだ。
連日、最高気温は更新して行くばかりで、今朝方見た天気予報でも、とうとう北の地が尋常ではない気温を示していた所だ。異常だと告げるお天気お姉さんの表情が清々しかったのも記憶に新しい。
ともすれば、今日は何か冷たい物でも作ろうか。この屋敷の仲間も随分と増えた。いつもより多めに作った方がいいだろう。冷たくて、量もそれなりに作れて、疲れた身体を癒すような物。その場で立ち止まり、理は暫し思考を巡らせる。
そんなことを考えていた時だ。つけっぱなしのテレビから陽気な音楽と共に、かわいいキャラクターたちがアイスを持って踊っている姿が流れ始める。どこぞのアイスの夏限定フレーバーの紹介だろう。レモンやスイカなどのさっぱりとした果物が添えられている。
「……これだ。」
これならば皆で分けることも出来る。イタリアンジェラートなら、食べ慣れていない者も多いだろう。それにジェラートなら、理も馴染みのある味だ。普通にアイスを作るよりも、味や工程を思い出しながら作れるに違いない。
テレビを切る傍らでイタリアンジェラートに思いを馳せ、早速作ってみることにした。味はどうしようか。イタリアでしか再現できない味も勿論ある。この地で作るなら、ここで仕入れることの出来る物を使わなければならない。ひとまず十種類まで絞ってはみたが、レシピが分厚い事になってしまった。
右に左に動きながらレシピに書かれている物を取り揃え、早速ジェラートを作ってみる。果物は鍋にかけ、同時進行でピスタチオを砕く。時間はかかるが、思っていたよりも随分と簡単に作れそうだ。生クリームに砂糖を入れて泡立て、更にミルクを入れて混ぜる。これで大元は完成した。あとはソースやペーストを入れて混ぜて、そこから冷凍庫に入れよう。合間にホワイトチョコを砕くことも忘れずに。
窓にぴったりと顔をくっつけて、理の様子を眺める少年にも気付かないくらいには、理はジェラート作りに集中をしているようだ。
「よし。」
漸く完成したジェラートはレシピ通りに全部で十種類。しかし、初めて作るものだから、これが本当に美味しいのかどうかが分からない。並べられた十のジェラートとにらめっこをしたまま、理は次なる壁をどう打開するかを考える。
(うまく出来ているかを見てもらうには、味見が必要となれば……。)
理の脳裏に二人の顔が浮かぶ。一人は雇い主であるザネリ、もう一人は同じ従業員の夜一。この時間なら、二人とも暇を持て余しているのではないだろうか。二人を探すべく、理は廊下へ出ようと扉に手をかけた。
――――一方その頃。
ここはザネリの屋敷の中にある温室。温室とは言え、外で元気に鳴く蝉の声は良く聞こえて来るもので、蝉の大合唱を聞きながら二人の男は煙草を燻らせていた。一人はベンチに凭れ、もう一人は花に水遣りをしている。
口には煙草、片手に如雨露。おまけに水遣りをしている男の目は死んでいるのだから――比喩などではなく実際に死んでいる――何とも真面目に水遣りをしているようには見えないが、そこはこの屋敷の日常でもあるのだから気にしないでおこう。
「クソ暇だ。最近この辺をうろつくガキ共の声が増えたと思ったら、夏休みが来たのか。」
「らしいな。今も蝉と戦ってんだろ。」
ジジ、と蝉の逃げる声と、声をあげながら走り回る子どもの足音が温室にも届く。なんとも元気なものだ。
「ひひ、元気なのはガキの特権でもある。しかしここまで暑いと、何もやる気が起きねえな。」
如雨露の中の水を全て注ぎ終えたのか、煙草を咥えたままの夜一は如雨露を片付けに動くも、傍らのベンチに背を預けたザネリは微動だにしない。身体の代わりに、煙だけがもくもくと天井へと立ち昇る。ああ、これは何か良からぬことを考えているな。とは、夜一がザネリと幾度か話を交えるにつれて理解したことでもある。
「お前さん、また何か企んでんのかい。オレはやんねぇからな。」
だから先手を打っておいた。ちなみにこの先手が役に立ったことは、今の今まで一度もない。雇い主の思いつきと気紛れで、幽霊の今日が決まる。煙ばかりが動くザネリの視線の先は、この屋敷のキッチンのある方角だ。
常日頃からキッチンでは世話役がザネリや皆のためにと菓子やつまみを作っている。そう言えばと、温室に来る前も世話役である理が、キッチンに籠っていたのをザネリは思い出していた。
夏は極力外には出たくない。ここに引き籠るにしても、我楽多たちに構ってやれば、忙しない一日を過ごす事にもなる。暇ではないが暇だ。なら、と昨年漬けた梅酒の存在が脳裏を過った。今日はいよいよあの梅酒を解禁する日にでもしよう。
「んじゃ、オレはそろそろ姫さんの相手をして来――。」
「夜一。」
今まで微動だにしなかったザネリのピンクの瞳がぎょろりと動いた。口の端を不気味につり上げたまま、煙草を灰皿に押し付ける。ああ、この顔は何かいい事を思いついた顔だ。とは口にはしないが、夜一はそれを理解した。呼び止められた幽霊の男は、肩を竦めて両手を挙げる。降参のポーズ。
「なんだ?キッチンで美味いもんでも強請ろうって話かい?」
「ひひ、仕事を頑張った従業員に、昼間から呑むことを許可しようって話だ。」
「今日は昨年漬けた梅酒の解禁日とする。夜一も呑みてえだろ。」
「真っ昼間から、って理に怒られても知らねぇからな。」
それからというもの悪は急げと言わんばかりに梅酒を取りに戻るザネリと、世話を任されている姫さんに食事を与えた夜一は二人バラバラにキッチンに繋がる廊下へと辿り着く。タイミング良く顔を合わせた二人の前には、キッチンから出て来たばかりの理が現れる。なんて良いタイミングなのだろう。つまみを強請るべく声をあげる訳だが。
「おい、理。この酒にあう、ツマミくれ。」
「ちょうど良かった。」
「おー、お前さん何か作ったのかい?」
偶然にも脳裏に思い浮かべていた顔が揃って目の前に現れた。二人の顔を見るや否や、理は問答無用でダイニングへと引き摺り込む。声をあげる間もなく、ザネリと夜一はダイニングへと引き摺り込まれ、ご丁寧にも椅子に着席させられたのである。
「ということで試食してみてくれ。」
こうして話しは冒頭に戻る。
机上に並ぶのは酒のつまみではなく、鮮やかなジェラートたちだ。この季節にはぴったりの冷たさと甘さを持つ一品が、理の手により丁寧に並べられて行く。その数おおよそ十程。
ここまでの理の素早い行動と予想外のジェラートに一瞬だけ思考を停止させたザネリと、十種類ものそれらをまじまじと眺める夜一。各々反応を示した所で、理が声をあげる。
「試作したジェラートだ。皆に出そうと思って作ってみたが、俺の味覚が皆にとって正しいのかどうかよくわからん。」
もちろん自分も食べるとは添えておく。作った手前、実際に食べてみなければ今後の役にも立たない上に改良のしようもないのだ。
「………仕方ねえ、呑み会は延期してやってもいいが、……何種類あんだ?紹介しろ。」
持って来た梅酒をジェラートの横に置き、座ったままで理を見上げる。
「手前から、イチゴ、ピスタチオ、抹茶、チョコ、レモン、バニラ、チョコチップ、ミント、ティラミス、リンゴ。イタリアで定番のメニューとこちらの定番?の抹茶を入れてみた。」
「へぇ、聞きなれた名前も多いが、ピスタチオはあんま食ったことがねぇ。どんな味の食べ物なんだ?」
「ピスタチオは――。」
理が説明をする最中、ザネリは両腕を組みながら並べられたジェラートを見つめていた。イタリアンジェラートの作り方は知らないものの、一人で作るには時間のかかるものだと言う事は想像に容易い。一種類なら兎も角、これだけの種類があるものだから感心を通り越して困惑にまで至ってしまう。
(ここに置いておいていい人材なのか……?)
もちろん口には出さない。ザネリは素直ではないからだ。まだまだ理の説明は続いてはいるものの、そんな中でも遠慮もせずにボウルに添えられたヘラに手を伸ばす。説明を聞くことも大切だが、本人が気にしているのは味だ。食べてみない事には感想も言えない。ちょうどピスタチオの説明もしている所だ。ボウルの中におさめられた薄緑のジェラートをカップに掬い、一口だけ含む。
「ピスタチオにはホワイトチョコを入れてみた。ピスタチオそのものの味も良いが、ホワイトチョコを入れることによって甘さも増し、食べやすくなる。」
口に含んだ途端、舌の上にピスタチオのコクとホワイトチョコの甘さが広がった。定番でありながらも、ホワイトチョコを加えることにより再現できたコクときめ細やかな甘さ。これは大変美味い。理が説明をする中で、無意識のうちに頷いてしまうのも仕方が無いと言うものだ。
「さっさとカップに詰めろ、すぐに。売れるぞ。」
「……は?おいおいおい、何言ってんだ?」
「いいから食え。」
一瞬にして目の色を変えたザネリは、既に椅子から立ち上がり物珍しそうにジェラートを見つめながら浮遊をする夜一へとピスタチオのジェラートを寄越す。常から煙が主食などと告げる男に、このジェラートの美味しさを今すぐにでも堪能させてやらなければならない。ザネリに言われるままにジェラートを口にした夜一は口の中で溶けて行く甘さを堪能し、理へと顔を向ける。
「これは確かに美味いな。ザネリが売れると言いたくなるのも分かる。ありふれた感想だが、ピスタチオの味を知らねぇ俺でも食べやすいと思った。」
二人の感想に胸を撫でおろした理は早速カップにジェラートを盛り付け始める。今回は試作ゆえに、カップは無地の白いカップだが、皆が揃った時にはかわいらしいカップを用意するのも良いかもしれない。今朝見たキャラクターのカップなんかは、はくちょう座にいる子どもたちにも喜んでもらえるだろうか。
そんな事を考えながら盛り付けている理の向かいでは、真剣な表情を晒したままのザネリがイチゴ味を口に含んでいる所だ。白いカップにはくちょうのシール。白を基調とした上品なデザインに加えて、シールはポップにしたら子ども受けも良いかもしれない。新しいビジネスチャンスの気配がする。
「見事なクオリティだった。」
「素直に褒めるなんざ珍しいな。それほどまでに良かったってやつかい。」
「いや……。俺たちが食う分が減る……か。中止だ。」
「中止……?」
バニラに舌鼓をうっていた夜一がスプーンを齧り、じっとりとした視線を向ける。
「まーた良からぬことを企んでいたのか。」
「ひひ、ビジネスチャンスに乗っかろうとしたが、食う分が減るとなると話は別だ。」
「なるほどな……。まぁ、ビジネスは雇い主様が踏み止まってくれたんでなしにはなるが……店を出せるんじゃねぇかと思うくらいには美味い。」
「はくちょう座カフェでも開店するか。」
盛大な溜息を吐き出す夜一と、冗談を交える理がそれぞれ視線を向ける。まだまだジェラートは沢山ある。残りの味も堪能するべく、ザネリは皿に盛り付けられたチョコチップへと手を伸ばした。鼻唄でも歌い出しそうなほどに機嫌が良い。
そんなザネリの様子を見た理もまた、甘い物ばかりでは飽きるだろうと、クラッカーやチーズも揃える。
「これも良かったら。甘い物ばかりでは飽きるだろう。」
どちらも箸休めにはちょうど良い一品だ。クラッカーの上にジェラートを乗せて食べると、甘さで満たされた口に塩っ気が良く馴染む。早速チーズを手にした夜一も、満足そうに頷く。
自分の味覚に偽りはなかった。このジェラートは確かに美味しい。理はどこか得意げに胸を張り、同じようにジェラート頬張る二人へと更にカップを寄せる。
「この数を作るのは今回だけだが、最初だから三種類くらいに抑えておくか…。二人が気に入ったものを教えてくれ。」
二人してジェラートを見つめながら黙り込む。三種類というのも中々に悩ましい物で、盛り付けられたカップと見つめ合う事、数十秒。最初に声をあげたのはザネリだ。
「この中からどれかを選べと言うのは、非常に悩ましい。」
「だな。どれも美味ぇからよ。」
「どれもこれも、美味い。全部だ、全部。」
二人の中で全ての味が美味しいと結論が出た。とてもじゃないが、三種類には絞れなかったのだ。改めて二人の口から回答を得てしまうと、やはり嬉しくなるものだ。理もジェラートを口に含み、嬉しそうに眦を緩める。
所で、そんなジェラートパーティーを羨ましそうに見つめる影があることを、理は気付いていないのだが。ふとザネリが視線を向けた先に、窓にぺったりと頬をはり付けている少年と目が合った事で、漸く認識をしてもらえたようだ。理が慌てて窓の方へと駆けだしたのは三人のみが知る話である。
昨年の梅酒の解禁日は遠退いたが。それでも暇潰しにはちょうど良い日になった。イタリアンジェラートの美味しさも考えれば、暇潰しどころではない話だ。
すっかりジェラートを気に入ったザネリと、子どもへと向かう理の間で浮遊した幽霊が、白いカップを片手におかしそうに笑っていた。
後日、はくちょう座では理による手作りジェラートが振舞われたのだが――。
「大人はダメ!」
「ひひ、かわいくねえガキだ……。」
子どもたちの列の中に背高のっぽの姿が見受けられたとかなんとか。
太陽がぎらぎらと照りつける暑い日。手作りジェラートが一層美味しく感じるそんな夏の日の出来事。
はくちょう座は今日も今日とて大変賑やかだ。
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