罪業のマトリョーシカ
必要とされていない罪であった。
罰する事すらも出来ない盲目であった。
琥珀色の果実を収穫する際、さて、必要不可欠は道具とは何であろうか。転がっている適当な得物とやらで、一枚、一枚、丁寧に、獲物の皮とやらを剥いてやるのが手っ取り早い。されど、折角の日々なのだから、いつも通りの戯れだから、偶には、ひと思いにやってやるのも悪くはないのかもしれない。成程、確かに、俺は脳天から爪先まで悪人なのだろう。悪人であると同時に、おまえの、育ての親のような『もの』なのだろう。熟しても熟さなくても構わないのだと、俺はおまえに、そう『思い』を告げるつもりなど皆無だが、撓む枝を切り落とす事くらいは容易なのだ。これを、暴力だと罵ってくれるなら、これを、慾の受肉だと受け取ってくれるなら、俺はそれでも十分だと、笑っていられよう。だとしても、幾ら、俺のような解剖士でも、理性と謂うものは――常識と謂うものは――インサニティを隠す程度には備え付けられている。たとえば、真面なのか如何かを確かめるテスト、これを『良い具合』に突破する事など朝飯前なのだ。だからこそ、俺は、直面している事態に、イレギュラーの中のイレギュラーに、驚きとやらを隠し切れない。いや、おそらく、表情とやらには出ていない筈だが、しかし、絶対的に見透かされているのだと直感する他にない。脳髄だ。脳髄に手を入れた瞬間に、俺は、嫌な予感に支配されていたのだ。仮に、これが願いの根源なのだとしたら、これが想いの患いだとしたら、俺は『これ』を切除できるとは考えられない。せめて、俺が出来る事と謂えば、そう、この巣窟を、未曾有を、狂った独楽のように、捏ねくり回してやるくらいであった。……師匠……ねえ、|師匠《●●》……|僕《●》が、何を考えているのか……わかりますか? それとも、僕が、何を考えているのかを……当ててみましょうか……? 考える時間が必要だった。返事をするだけでも数秒、必要だった。これは、果たして、俺が拾ったあの『娘』なのだろうか。これこそが、俺の拾った『実験動物』の正体なのではないか。……なら、最初に訊いておく。おまえは『何者』だ。四之宮・榴か。いいや、違う。この気配、この予感、絶対的な違い。暴力よりも暴力的で、脅威よりも驚異的な――ある種の魔性を孕んでいる、邪悪を称えた、赤色の眸――。やだなぁ、柘榴ですよ……|柘榴《●●》です……まさか、忘れたなんて、謂いませんよね……? 根こそぎ拾うつもりだった。根こそぎ暴くつもりだった。肚を裂いて、腸を晒して、あらゆるものを材料として扱うつもりだった。その予定が、その結果が、この遭遇なのだとしたならば、俺は悉く――風呂敷を畳まなければならないのだ。
良いですよ――ええ――構いません……僕が、そのような事をされて……諦める事なんて、出来ないと、知っての事でしたら……。貼り付けられたのは笑顔か、或いは、ドロドロとした精神の泥そのもので在ったのか。何方にしても、俺の前に存在していた『それ』は、柘榴と自称した『もの』は嗤ってみせた。俺の心の中とやらを、脳髄の痛ましさとやらを、完膚なきまでに読み取って尚、そうやって言の葉にしたのだ。成程、こうなってしまえば、後は俺の『腕』次第なのだろう。俺の『解剖士』としての力次第なのだろう。だが……俺の腕を把握して尚、俺の力を理解して尚、そう、囀ってくれたのだから――俺の巧妙さもヒヨコ同然と認められたところか。……俺が|挑戦《●●》する側だったかよ。なあ、柘榴とか謂ったな。おまえは、俺の何処までも、底までも、知り尽くした貌をしているが、目の色をしているが、それは、本気でそう思っているのか……? やせ我慢だ。空元気のようなものだ。俺は、この娘を前にしても『俺』である事を辞められなかった。……その通りです……と、謂いますか……僕の全部を暴こうと、晒そうと、しているのです……師匠なら、出来てくれないと、困ります……。倫理の欠片もないのではないか。人間性の化身なのではないか。悪意が骨と肉と皮と、服を纏って、歩を進めているのではないか。不平不満に際限なく、一切の悪徳を押し付けられた胎児は――不安定な絶望とやらを胸に抱き、大罪の殆どをたいらげていく。最早、簒奪者だ。いや、もしかしたら、ある種の王の器とも祀り上げられるかもしれない。要らないものの全てだ。不必要なものの全てだ。それが、この脳髄に蓄えられていると謂うのならば……臭い物に蓋をするしかない。わかった。俺は、おまえのような存在に屈したりはしない。たとえ、おまえが、どのようなカタチで戻って来ようとも、俺は俺に誓って、おまえを……倒さなければならない。……師匠、ええ……師匠、僕は……負けるつもりも、倒れるつもりも、ありませんので……師匠、次に会った時のこと、考えておいて……ください。考えておく気はない。考えたくもない。故にこそ、全身全霊を以て――無間地獄をひとつ、娘の頭の中に|構築《●●》するのだ。
√能力者――その特性については――俺は、痛いほどに、いや、痛くするほどに知っている。√能力者の厄介な点は、そう、死んだら、殺されたら、欠落以外の何もかもが元に戻る事であった。故に、俺はひとつ実験を試みる事にした。最早、実験というよりかは行き当たりばったりな『実践』なのだが、兎も角。人工的に『欠落』を作る事が可能か否か、である。この試みはおそらく、万に一つもなく『失敗』に終わるだろうが、しかし、奇跡か何かが起きて『欠落』が生じる場合もなくはない、か。榴は……いや、柘榴は……特製の麻酔とやらを、ニタニタと、ニマニマと、嗤いながらも受け入れてくれた。横たわっている肉の塊とやらに、露出している脳髄ひとつとやらに、俺は、俺の脳髄に詰まった何もかもを注いでやる事とした。……これは、いよいよ『実験』でも『実践』でも、無くなりつつあった。俺がしようと考えているのは、思考停止の先にあったのは、嗚呼、投身自殺も吃驚な自暴自棄。……まったく。勘弁してほしいものだ。俺が鍵でコイツが戸口とすれば、さて、俺は『俺』そのものを蓋とする事しか赦されないのだ。……そろそろ、やってしまおう。丁度、数日前に鹵獲し、改造した手術道具代わりの怪異がいる。ソイツにひとつ命令してやれば、あとは何もかも、神の賽とやらに任せるしかないのだ。……おい、やってくれ。俺の脳髄とコイツの脳髄、俺の精神とコイツの精神、文字通りに――融合させてはくれまいか。勿論、この行為は|柘榴《●●》を封じる為の術だ。しかし、俺がやりたい事は、それだけではない。榴の、柘榴の、精神構造とやらは……人間の、精神の世界への門とも解せるのだ。もしも、それに干渉する事が出来たのならば、俺は、より上等な研究にありつく事が出来る。人体の神秘、精神の正体、余す事なく味わえるのならば――一石二鳥なのではないか。脳髄と脳髄が摘出され、精神と精神が癒着し、|混沌《カオス》の大渦巻きへと墜ちていく。
師匠がいなくなった。その代わりとして、不意に、坐してくれたのは分裂したかのような|己《●》であった。|石榴《●●》と名乗った彼女に対して、幾つかの質問を投げかけたが、如何やら、迷路のような有り様としか解せないらしい。なんでも『監視』の為に、安全装置として『存在している』のだとか、なんとか。師匠の行方については、嗚呼、彼女も知らないようではあった。ならば、おそらく、僕の中では「死んでしまった」とした方が、都合が良いのかもしれない。……榴、石榴として僕は……ここにいるつもりです。僕は……榴が、振り回されているところを、じっくりと観察するつもりですので……如何か、ご覚悟を。頭の中で、精神の中で、自分自身との会話で、こうも目眩がするとは想定していなかった。それでも、石榴、彼女の事は何故か――理由のない、信頼のようなものを抱く事が出来たのだ。……ええっと……はい……そうですね……? 僕は……何も、出来そうにありません……ので、あの……お手柔らかに……手加減を……して、くださると……嬉しいです……? 悪意は残されていた。残されてはいたのだが、精々が、小悪魔と呼べる程度の代物であった。四之宮・榴はこの先、石榴にいぢめられる事になりそうだが、少なくとも――|悪魔《ダイモーン》からは逃れる事が出来たのであった。
魂の奥の奥、脳髄の奥の奥、底無しには何が潜んでいるのか。
対処不能な災厄の絶叫――窓の裏――現在とせよ。
原罪の|異形《いけい》。目の色が赤くなっている。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功