奇妙な友人
いつ来ても、ここは空いているな……
ゼロ・ロストブルーは、黒々とひび割れたセメントの埠頭に立って、海藻の絡むテトラポッドを見下ろしながら呟いた。
奇形の貝がびっしりと張り付いた廃船が、近くの|係留杭《ボラード》に繋がれて、穏やかな波間でぐらぐらと揺れている。
遠くの海面に、時おり魚影が通り過ぎるが、他に釣り人は一人だけだった。
まさに、絶好の釣り場。ここは、怪異によって町一つが廃墟と化した区域にある内湾だ。
辿り着くのはコツが要り、倒れた摩天楼を踏破し、ビルとビルの隙間を這いつくばって、断裂したケーブルの暖簾をくぐり抜けてようやく、到着する。ずいぶんな物好き以外、近づこうとすら思わないだろう。
ゼロの肩には、いつものカバンの他にクーラーボックスが掛かっている。塩水と氷で満たしたそれを埠頭に置いて、中からスポーツドリンクを取り出した。
酸味のある、ややヘンテコな甘味のそれが、汗をかいた夏には旨い。
針先にルアーを取り付けつつ、ゼロは遠目に釣り人を観察した。どうやら、そこそこ釣れているらしい。
負けてはいられない……と、競争心が目覚めるのを自覚しながら、ゼロは勢い、魚影の辺りにルアーを投じた。
……
動きのないゼロを杭と勘違いしたのだろうか。着陸した鳥が、道すがらオブジェを眺めるように背後を横切っていく。
数尾の小魚を透視でもするかのように、ゼロは苦笑しながらクーラーボックスを見つめた。
「……はは。釣れないんだよなぁ」
朝ぼらけの空と、煌めく水面を眺めながら、手持ち無沙汰にスポドリを流し込む。
釣りがヘタな訳ではない――と思う。もしかしたら憑かれているのか、とありそうにもないことを考えながらも、粘る。
たまに釣れるワカメに何とも言えない気分を抱きながら、ゼロはいつの間にか近くにいた、もう一人の釣り人を見た。晴れているのに白色のレインコートを被って、深くフードを下ろした顔は謎だった。
釣り人は、入れ食いのように釣った魚を、足元の|魚籠《びく》には入れず、ただリリースとキャストを繰り返している。
そしてよく見ると、ちらちらとゼロを窺っているのだ。フードから見えるひび割れた頬は、肌というよりは石のようだった。
りん、と潮風に『君影護』が鳴って、ルポライターの勘が冴えた――絡まるワカメとの格闘をやめ、口を開く。
「あの――」「それ」
ほとんど同時に、それはしわがれた声で喋る。
「ワカメ、は、要らない、の?」
風が、石の間を抜けるような声だ。
「? ああ……うん。捨てるつもりだ」
「交換」
ズズ、と足で動かされた魚籠の豊漁ぶりにぎょっとして、ゼロは相手を見返そうとした。
その時にはもう、糸に絡まっていたワカメごと釣り人の姿は消えて、支えを失ったレインコートが、一拍遅れて地面に落ちた。
朽ちた木が擦れ合うような音が響いて、どこかで何かがバタンと閉じる。
「おっと……」
なんとも、妙な怪異だ。まさかと思い、魚籠をもう一度眺めてみても、魚の代わりに石やゲテモノが詰まっていたりという、ありがちなオチでもない。どの魚もしっかり締めてあるところを見ると、悪い奴ではないらしかった。
「うん…これは、面白い調査ができるかもしれないな」
「ンナア」
いつしかゼロの真後ろに、コワモテな野良猫がやって来ていて、魚を奪われるか差し出すかと言いたげな声で鳴き始めた。
魚籠から、太った真アジを一尾やって、他の中身をクーラーボックスに移し替えると、もうずいぶん荷が重い。
「また来るよ」
レインコートを預かって、次の記事はどうしようか、魚はどうやって振る舞おうか、と想像を広げながら、ゼロは廃湾を後にした。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴 成功