マフィン売りは何でも知ってる
常の住処からバスを乗り継いで一時間と少し。冷房の効いた車内にいたとしても、海岸線を走る間に強さを増した午後の日差しは容赦なく窓の外から降り注ぐ。降車するなり、シルヴァ・ベル(店番妖精・h04263)はくらりと眩暈う感覚に自分の頬をぺちぺち叩いた。
移動に時間が掛かるのは分かっていたから、午後の『星の鍵』は臨時休業だ。どうしても急ぎで取り寄せたいと言われた注文の発送手続き、気難しい品々の今日の気分に合わせた身なりの整備、帰りが遅くなっても大丈夫にするためのお掃除なんかやっつけていれば、あっという間にバスの時間がやって来る。慌てて飛び込んだ先、しばらく眠った方がいいと自分でも分かっていたのに、トンネルを抜けた先に夏の海がぴかぴか光るのが見えた瞬間から窓に齧りついてしまったのが敗因だ。
「(だってきれいだったんですもの)」
クォーツを鏤めたように、波間へチカチカ輝く透明な銀。夏空を映して真っ青に染まった穏やかな水面。今だってそうだ。目的の時間までどこかのカフェで休憩を取った方が良いって分かりながら、シルヴァは内心に言い訳しながらバス道のすぐ傍に迫った海を遠く見通して、すっかり歩みを止めてしまっていた。
記憶のなかで、海を見るのはこれが二度目か三度目か。視線遠く、海岸線のカーヴに沿って作り付けられた遊泳エリアではしゃぐひとびとの声が重なり合って、なんだか途方もなく楽しそうに賑わって聞こえて来る。たとえば妖精の翅を仕舞って飛び込んでみたならどうなるか、試してみたい気持ちばかりが大きくなる。
――誘惑を振り切れたのは、眺める間にも刻々と強さを増してゆく日差しの激しさに耐えかねて、喉が急激な渇きを主張してくれたお陰だ。すぐ近くのアーケードの日陰まで急いで飛んで逃げ、一時の翅休めに選んだのはレトロな木造りの喫茶店だった。ティータイムの盛りも過ぎた店内は客もまばらで、ランプ頭の店主はシルヴァを快く受け入れてくれた。
店側にわざわざ|小さいひと向け《妖精サイズ》の席を用意させずに済むよう、ヒトの姿まで身丈を転じたら、まずは冷たいお水で一息。カウンター席にメニュー表の設置はなくて、掲げられた黒板のラインナップから選ぶスタイルだ。代わり、各座席にはシルヴァの目的地でもある|夜市《マーケット》のパンフレットが据え付けれていて思わず手が出た。一枚モノの大判用紙に店舗情報の細かく印字されたそれはまさしく宝の地図だ。
「ようこそ、すてきなお嬢さん。お買い物かい?」
「そうなんです。日が傾くまでの間、席を貸してくださる? もちろん、良いお客様になるつもりはありますわ。テイクアウトはショーケースのケーキ以外にも焼菓子があると見掛けたのですけれど」
「いいとも。都会から出て来てくれた分、後悔させないようにもてなすよ」
そんなやり取りと共に、チェリー・ピンクのクリームソーダはやって来た。細長い専用スプーンで、ソーダの境とあいまいに混ざり合ったバニラアイスを味わう瞬間の幸福なこと。最初の数口でしっかり体が冷え出したことを確かめてやっと、シルヴァは店主へ首を傾げた。
「どうしてわたくしが街から来たと?」
「お嬢さんみたいなかわいい子をこのあたりで見たら忘れないから。――ってのが気持ちの話。|推理《ミステリ》の種なら、俺はお嬢さんのことを一方的に知っているから」
ランプ頭が気取った仕草でシルヴァを指す。どこから発語したとも知れない声が滔々と語る。ご存知の通り、ここはバスの本数が少なくて。夏場は特に、長く揺られて来た乗客はいちばん近いうちに来る。この時刻だけでどの方面から来た客かは当たりがつく。お嬢さんの服装からしてアマリリス通りの住人だ。
「オマケのネタとして、俺は案外内装に凝るタイプで、となると品揃えの良い店の情報ってのは自然耳に入って来る。遠出のウィンドウショッピングがてら、気になる店の中を覗くことだって。――お嬢さん、『星の鍵』のシルヴァ。そうだろ?」
最後にぱちんと指を鳴らして、パフォーマンスはすっかりおしまい。シルヴァが思わず拍手すれば、店主の笑い声に合わせてランプの明かりが強弱を揺らがせた。
「名探偵のようでした! もしかして、本当に事件を解決していらっしゃる?」
「まさか。お喋りと、人を驚かせるのが好きなだけだよ」
「でしたら、わたくしのお喋りにもどうぞ付き合ってくださいな。ご店主様がお詳しいと言うなら渡りに船です。探しているのは、わたくしの着られるサイズの服と、生活に使える|家具《ミニチュア》ですの。服や小物はいつも手縫いで作るのですが、ここでならばレディメイドの品が手に入るのではないかと」
カウンター上に広げたパンフレットをふたり覗き込む。目を輝かせながらランプ頭が薦める店に夢中で丸を付けていくシルヴァの隣、クリームソーダが自らの存在をアピールするようにカランと鳴った。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功