孤なる祈りは焔となりて
■■■■■というドラゴンプロトコルは、産声を上げたその時から、涙を流せなかった。この世に生まれ落ちた不安を、発露することが出来なかったのだ。
家族はそれを、気味悪がった。
当然と言えば当然だろう。HDBECなる標語が生まれ、あらゆる人族の平等思想が広まったその後も――依然、人の心に隔たりは絶えない。彼の白銀の尾や角、翼や鱗は、異形と呼ぶに足りえた。
あまつさえ、人としてあるべき感情すらも欠落して見えたのならばきっと――彼の孤独は、運命づけられていたのだろう。
「でも大丈夫。僕には、貴方がいます」
肉親に縋れずとも、彼には祈りの対象があった。自らの祖――竜への信仰である。
現実に苦しめば苦しむほど、孤独が深まれば深まるほど、彼の信心は、より強固になった。
やがて彼は神聖祈祷師の頭角を現し、教会の勤めを認可される。
竜に仕える人々は、彼を理解してくれた。聖職者も、信者も、信心深い彼に、優しい言葉を投げてくれた。内向的に育った彼にも、ようやく信頼できる人々が出来た。
そうして、祈りをささげる安らかな日々が続き、暫時。
■■■■■が19の折であった。
ドラゴンプロトコルは――ほとんどの場合、力とともに記憶を失う。
だが、『|御子《みこ》』と呼ばれるあるドラゴンプロトコルは、その点において別格であった。
彼は人の身でありながら、竜の記憶を有していたのだ。
まさしく、『御子』の言葉は竜の一言であり、信心の篤い聖職者であるほど彼の教えに従った。
だから、当事者である■■■■■以外は、これから起こる惨劇に、躊躇はあれど疑問は抱かなかっただろう。
『御子』は、■■■■■の噂を耳にすると、彼を人払いさせ、関係者にこう言った。
「騙されるなよ? 奴は、その身に邪なる竜を宿した災厄の子だ。陽の当たらぬ地下で、死なぬ程度に嬲り続けるといい」
ある夜。
宿舎で寝静まっていた■■■■■は、信頼していた人々に手足を拘束され、訳も分からぬまま地下室へと幽閉された。
「どうしてですか? 僕が何か、教えに背いたことを?」
震える手に殴りつけられ、胸に燭台の火を当てられたその時。■■■■■は恐れよりも、ひどく懐かしい感覚を覚えた。それは、もう捨てたはずの『孤独』の味だった。火の熱が、胸に沁み込む。
(ああ、そうか。そうなんだ。僕は……僕はきっと)
(生まれてこなければ、よかったんだ……)
胸を食い破るほどの悲しみにも、涙が伴うことはなかった。
そしてもう二度と、誰かを信じることはないという確信とともに、彼はその心を、永劫に閉ざした。
〇
床にこびりついた血の痕を、真新しい血がべたべたと上塗りしていく。
もう、何度も見た。地下室と自分を画材にした、絵画のようだと思った。
涙一つこぼせず、四肢を縛られ、床に這った姿勢からは、そんなことを考えるよりほかにやることが無かった。
何日が経ったのだろう。
聖職者らは日中――僕と笑いあっていた頃と同じく――祈りをささげている。
逃げるならば、今だ。
だがどうやって? 誰も助けには来ないのに。
――祈ることだ、と思った。
肉体を縛られ、自由を奪われ、頭の中以外に、逃げる場所がないのならば。
僕は彼ら以上の信心をもって、祈りをささげよう。
なぜならば、現実が苦しいほどに、孤独が胸を埋め尽くすほどに。信仰は強くなるものなのだから。
例え、世界の誰も信じられなくても。僕には信じていたものがあったじゃないか。
「ああ。だから竜よ、この暗い地下から、私の声が聞こえるのならば。どうか私をお救いください。【私をここから、逃がしてください】」
――突如。
光なき地下室に、白銀の煌めきが満ちた。部屋の中心に、光を放つ何者かが、居る。
その発光体はあまりにも眩しく、目視することは不可能だった。
だがその輝きは、彼が少年の頃に縋った、神聖なる光に他ならなかった。
輝きは風景を圧し、熱と共に、彼をどこかに押しやっていく。
すべてが、白に包まれる。
――
「……ここは」
気づけば、教会にほど近い、薪を手に入れるために通った森の中にいた。無意識に発動した【神聖竜詠唱】が、願いを叶えたのだ。
だが、それは言葉通りに【逃がした】だけで、追っ手の不安がない地に届けた訳ではないようだ。
(逃げなければ、やられる。今度こそ本当に)
彼は森の奥深く、誰も来ない場所を目指して、靴もなく駆けだした。
〇
夕陽が沈んでいく。教会では騒ぎになっている頃だろうか。■■■■■は大樹の根に身を横たえ、満足に動かせない足を見た。
木の根や下生えを踏む度に、皮が切れた。虫や蛇を追い払って、ぬかるみを踏みつけて転んだ。立ち上がるたびに、命が肺から抜け出るようだった。
そんな事を繰り返して、歩き出す力はもうない。
「竜、よ……」
がさがさと、近くの茂みで音がした。――足跡を追われていたのだろうか。
「……やっぱり聞こえたぞ……! おい見つけた! このデカい木の下だ! こいつッ!」
「こんな所に……災厄の子め! 拘束から逃れるとは、やはり力を隠していたのですね! 御子様の言うとおり、痛めつけていて正解でした!」
胸倉を掴まれ、根拠のない憎悪をぶつけられる理不尽に、僅かでも涙を流せたのなら。僕は孤独じゃなかったのだろうか。苦しくなかったのだろうか。このちっぽけな命は、なんだったのだろうか。
嵌められた枷の重みに絶望し、目を伏せる。
せめて苦しめずに殺してくれ。
眠るように。凍るように。意識を、
「何とか言ったらどうだ!? ええ?!」
意識を、手離してしまえば――
「……つっ?!」
■■■■■の胸を掴んでいた司祭の指が、音を立てて赤熱した。掴んでいた鉄枷が手に焼き付き、男が絶叫する。
「う、うあああっ?!」
森の奥で、■■■■■の代わりに何かが目覚めていた。
「……うっぜぇな、触るんじゃねぇよ。人間風情が」
「だ、誰ですか?! 貴方は……」
身を離した司祭と代わり、獣人の女助祭が腕を獣化させる。目の前の『何者か』に向け、猛速で爪を振るった。
「|鈍《ト》れえ」
彼が背にした大樹が、一瞬にして枯渇する様を目撃しながら、助祭は恐ろしい熱に焦がされて身をよじる。
「あ……っ?!」
痛みに流れた涙が、熱で蒸気に代わった。
「ああクソ。人に堕とされた挙句、最初の挨拶がこれか? 不愉快も良い所だ」
「ぐ、司祭様、早く御子様に!」
「いいから逃げろ! 邪竜が目覚めた!」
『熱竜』モルドレッド・アーサーは燃える息を吐き、その翼で二人の進路に先回った。
尾の一撃が両者を打ち据え、苔むした地面へと叩きつける。
並んだ顔面の間に、尾の先端が突き刺さった。しずしずと焦げていく苔が、重い匂いを充満させる。
「邪竜だと? 失礼な奴め、これは牽制だ。抵抗するなら次は容赦なく焼き尽くす……あ?」
アーサーは、動きを止めた二人を眺める。
「――は、骨のねぇ野郎どもだ」
燃え滾る『熱竜』の怒りを前に、二名の聖職者は失神していた。
尾を土から引き抜き、アーサーは状況の不可解さに思い至る。
『記憶がねえ』
先ほどまで居たはずの、人としての記憶すら。
首に下がったドッグタグは破損し、生年月日らしい数字だけが読み取れた。
「……とりあえずこっからどうすっかな……まずはメシの確保からか……」
燃えかけていた木々の熱を収め、アーサーはその雄大な翼を広げ、森を後にした。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功