【AS】青と付喪神
●ちいさな付喪神とおおきな熊店長
ここは、とある町の片隅で経営されている小さな花屋。
ガラス張りのショーケースには色とりどりの花々が種類ごとに飾られて。広い作業台には、剪定用の大きな鋏や花束にするためのセロファンやリボンが置かれている。外に立てた黒板の看板には、チョークを使ってその日おすすめの花のイラストが描かれている。
そんな花屋を切り盛りしているのは、可愛らしいイメージには似つかない、強面の男。2メートルに届きそうなほどの背丈に、短く切り揃えた髪と浅黒い肌は、日中忙しなく働いている証拠。その見た目から、彼は地元の住民からは『熊店長』と言うあだ名がつけられた。一見さんが声をかけるのはなかなか勇気がいる風貌だ。
「……暑すぎる」
8月中旬に入ったものの、灼熱の暑さが緩む様子はまだまだ先のことのようだ。たらりたらりと滑り落ちる汗をなんとか拭いながら、熊店長は玄関口の掃き掃除をしていた。もう少ししたら小休憩を挟もうか。そんなふうに考えていたところに、新たな来客があった。
「店長さん、こんにちはぁー!」
来客者の声は、下方から聞こえてきた。目線を下ろすと、そこにはミニチュアと勘違いしてしまうほどの、5cmを超えるかどうかの小鬼が、両手を一生懸命縦に横に広げながら、ぴょいんぴょいんと跳ねていた。
涼やかな青色に、触ったら心地良さそうな、プルプルとした体。桔梗・守(付喪神・h05300)はこの花屋の常連のひとりである。
「……雪ン子か。いらっしゃい」
声は低いが、これが熊店長の地声だ。掃き掃除の途中だった熊店長は竹箒を空きスペースに立てかけると、低く屈み、大きな手を守の元へ出した。守が店長の手のひらに乗ったのを確認すると、そのまま立ち上がる。ぐらりと揺れ、「うわわ」と慌てるものの、なんとかバランスを取って耐えることで彼が落ちることはない。
大男の手のひらに、ミニチュアのような小鬼が立つ。なんとも不思議な光景だ。小鬼を無事に乗せたことを確認した後、周囲を確認する。彼の友人仲間がいるかもと思ったが、今日はいないようだった。
「今日は…あんた、ひとりか?」
「うん!店長に相談があって!」
「…相談?気になる子でもできたんか」
「うーん?気になるって言うところは合ってるけど…多分、店長の思うのとは違うんだよぉ」
「なんだそりゃ…」
手のひらで踊りながら、守は今日の目的を伝える。表情はわからないけれど、楽しそうなワクワクしていそうな、そんな声色で。
「あのね、お礼をしたいんだ!お花さん達に!」
星詠みの導きによって、守が所属する旅団【画廊『キャラメリゼ』】のメンバーたちと向かった、√ドラゴンファンタジーのダンジョン『瑠璃洞窟』。そこで、永遠と咲き続けるネモフィラの花々に出会った。
仲間たちの手助けもあってそこでの事件は無事に解決したわけなのだが、小さな体躯の守のことを何度も優しく柔らかく受け止め、その色と背丈を生かして隠してくれた。あの短い時間のうちにあの青い花々に助けられたのだ。
あの|青い光景《エバーブルー》は、少なからず守に何かしらの影響を与えた。
(また遊びに行きたいなぁ…)
思いと願いが、日が経つごとに湧き上がり、そして今朝、「今から行こう!」と決めた。
すぐに行きたいところだったが、守にはどうしても欲しいものがあった。それを手に入れるために、彼はまず、自宅からほど近い、馴染みの花屋に向かったのだった。
「ねえ、店長!ネモフィラにいい肥料ってない?」
「ネモフィラ?また随分と限定的な…家で育てるのか?」
「ううん、お外…洞窟の中にあるお花畑なんだ」
「あぁ、洞窟?それはまた珍しいな…ネモフィラは、日光がないと育たないはずだが…」
守と会話をしているうちに、花屋としての知識が裏切られて頭を掻く。熊店長が肥料コーナーから、ある固形肥料を取り出した。
「地植え型のネモフィラは、水や肥料はあんまいらねぇんだ。あげすぎると|徒長《とちょう》…茎が細く伸びちまってあんまりよくねぇ。どうしても必要だったらこれがおすすめだが…どうする?買っていくか?」
「うん!店長のおすすめなら間違いないね!それくださいっ!」
●再びの『|瑠璃洞窟《エバーブルー》』
桔梗・守は√能力者である。貴方が望めば、こことは異なる√への繋がりを見つけることができる。自ら手繰り寄せた繋がりを通り抜け、守は√ドラゴンファンタジーにやって来た。
『瑠璃洞窟』はここら辺では有名な観光名所の一つだ。行き方を忘れてしまっていても、何かしらの方法で無事に辿り着くことができる。どのような方法で『瑠璃洞窟』まで辿り着いたのか、それを知っているのは守のみだ。
熊店長から買った固形肥料は運びやすいように工夫して、ルンルンと意気揚々に岩だらけの道を進むと…
「おーい!また、遊びに来たんだよぉ!」
再び、守と同じ、青の世界が目の前に広がる。
守の声に反応したのか否か、ネモフィラたちが大きく揺れた。さわさわと、花と葉が擦れる音が心地よい。再び来れたことに嬉しくなって、守はポテポテと走り出す。
「あの時は、ありがとう!とっても助かったんだよぉ!」
本当は一本ずつ丁寧に挨拶したいけれど、あまりにも時間が足りない。だから、この洞窟で芽吹き咲く全てのネモフィラに届くように、できるだけ大きな声で言う。
「これっ、元気になる肥料!花屋さんに教えてもらったおすすめを持って来たんだ!この前、助けてくれたお礼だよ。どうぞなんだよぉ!」
熊店長から買ったおすすめの肥料を、ぴょんぴょんと跳ねながら、できるだけ広く撒いていく。店長の注意通り、慎重に、少しずつ。守が持って来た量では全てに撒くことはできないかもしれないけれど、全部に与えるつもりの気持ちで撒く。
全ての肥料を撒き終わったが、返事は返ってこない。ネモフィラに言葉を紡ぐ器官は存在しない。だけど、再び風が吹くと、青く優しい花嵐が守を包んだ。
まるで、彼にありがとうとお礼を言っているかのようだった。
「えへへっ、いつまでも元気でいてねえ!」
嬉しいようなくすぐったいような、そんな幸せな気持ちでいっぱいになって、守は声を上げる。彼の言葉に答えるように、またネモフィラ達がわさわさと揺れた。
プレゼントを渡した守は、時間の許される限り、再来訪の叶ったこの青い花畑を満喫することにした。5cmほどしかない守の体はすぐにネモフィラの花畑に馴染む。透き通った青がネモフィラ達と同調し、一つになる錯覚も覚えることだろう。
毒霧も、虫も、鳥も、蛇も、乙女も、いない。
守の声と擦れる音以外に、響くものはない。
ここにあるのは、ネモフィラと青色のみ。
燃やされことも踏み荒らされることも、喧騒もなく、他の色に染まることもなく、静かで穏やかな時間が緩やかにすぎていく。
はしゃいでいた守の声が少しずつ途切れ、やがて聞こえなくなる。
いつの間にか、守は花畑の中で眠り始めていた。柔らかな香りは彼の穏やかな眠りをそっとサポートするだろう。
ころんと寝返りを打つと、守の小さな烏帽子がこぼれ落ちた。その烏帽子にも、彩るようにネモフィラの花びらが飾られていたのだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功