波と花渦
雲ひとつない快晴だった。いつもはうんざりするばかりの強い日差しが、今日のこの場にあっては快い。強い風が舞い上げた海の湿気は人々に届くより先、直射を浴びて瞬時に乾いてゆくからだ。とは言え、√ドラゴンファンタジーのリゾート地に普段から馴染みのない咲樂・祝光(曙光・h07945)とエオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)の肌のうえには、確実に日焼けと言う形の代償が刻み付けられてゆくわけだけれど――十七歳の子どもふたりがこの景色を前にして、そこまでの後先を考えられるはずもない。
底が抜けるほど青い海が波となって、サンゴ質の白い砂浜に寄せては返す。こまかな泡を引いて浜を撫でる波打ち際はさながらドレスのトレーンだ。見目にも匂いにも美味しそうな飲食屋台の群れをさて置き、裸足で浜辺へ駆け出た祝光はぱっと表情を輝かせてエオストレを振り向いた。
「サーフィン、できるんだったよな。卯桜!」
「さふぃーん?」
で、このあたりから雲行きが怪しい。横に傾げられた首に合わせて兎耳もぺたんと倒れる。己を見つめて来るまるく大きな瞳に向けて、祝光は懇切丁寧に言い直す。
「サフィーンじゃない、サーフィン。波乗りのことだよ。旅先の海で習ったんだ」
「あ――ああ、そう言うことね。できるよ、僕だって! ところで卯桜じゃなくて」
「エオストレ」
「ヨシ」
さっさと機械的に言い直した祝光が、それならボードを借りなきゃ、と浮足立って辺りを見渡し始める。一方のエオストレがちらと盗み見る先は沖合で、カラフルな板のうえに人々が立つ『アレ』がそうなんだろう。
「(お、泳げるんだから……多分。きっと……)」
兎耳がぷるぷる震えるが、残念ながら強い海風のせいと誤魔化せてしまえる程度だった。こっちの店主が貸してくれるって、と浮かれて手を振る祝光が内心の強がりに気付いてくれるはずもない。
長らく修練の旅に出ていた祝光と自分に、知識や技術の隔たりがあるのは当然だ。勝ち負けとか、どちらが相応しいとか言うつもり、エオストレにはない。身を削るほどの努力と修練を積む祝光が上で当然だからだ。
「(だから頑張れ、僕!)」
ぱちんと頬を張って、エオストレが駆け出す。怖いから嫌だって引き返さないのは、そんな祝光と同じことを、同じように楽しんでみたいから。そう出来る場所にいることを、嬉しいと思ったのは自分なんだから。
「ギャー!! 祝光ぃ!! 海の藻屑になるよーーー!」
「ならないでくれ。……まだ浅いよ」
結果、これである。水深はやっと腰に届いたあたり。すっころんで手をばたつかせるエオストレを前にすれば、祝光もいざ高波を迎える前に彼の経験値を悟ることになる。呆れ切った顔で手を貸すと、一も二もなく縋り付いて来たエオストレの目はぐるぐるとパニック状態だ。
風に煽られてこれまでよりほんの少しだけ強さを増した波が来た。サーファーからすれば喜ばしいその深い音をエオストレは天変地異の地響きとばかりに受け止めて、反射的に身を庇おうとサーフボードを|抱き締め《直撃の形にし》、真正面から波に煽られて転倒した。
「無理無理無理波乗りイースターじゃなくて波攫われイースターだよーわーーー」
「あーもうっ、ほら、掴まれ。出来るようになるまで付き合ってやるから!」
エオストレの性格を思えばこの可能性だって十分に考えられたのに、見落としていたのは自分の落ち度だ。ちょっとはしゃぎすぎたな、と恥じ入る気持ちも半分。最早手を貸すどころか腕までガッシリと絡み付いたエオストレが落ち着くまで随分掛かった。
とにかくボードの扱い方から。ここは観光客向けのサーフスポットであり、余程のことがなければ救助隊が控えていて、大きな事故の防止に努めてくれていること。今日は波の状態としても高すぎず低すぎず、初心者が慣れるにはちょうどよいこと。祝光が最初に習ったときは|祖父ら《神様基準》の『初心者コース』で、なかなかの荒療治だったが、それに比べたらまったく恵まれた条件であること。……最後のは聞かせた分だけエオストレが震え上がってしまったので失敗だったかもしれない。
「とにかく、ひとつずつやればそこまで難しくはないんだ。君は戦いの時にも身軽だし、バランスを取るのは得意だろう」
「うううー、頑張る……」
「よし。それじゃ、もう少し深い場所に行ったらボードを使い出してみよう。先に手本を見せるから、それを真似してくれ」
海面に横たえたボードに腹這いになって、まずは基本のパドリングから。顔に飛沫が飛んできても焦らず、波の速度に合わせて漕ぐように――伝えるうちに再度の波が襲い掛かり、またエオストレの足がぐらついて悲鳴が上がる。
「うわっ、俺に掴まるな! 沈没するからっ」
「さっきは良いって言った! ずっと一緒だよ祝光ーー!」
ボードの上から引き摺り落とされて借り物を流してしまっては、祝光としても申し訳が立たない。ほとんど涙目のエオストレを宥める頃にはすっかり疲れ切ってしまったが、それでも付き合うと決めたなら付き合うのが咲樂・祝光と言う少年だ。注意事項に、周囲との衝突注意と、特に波に揉まれた際はパニックにならないように、も追加して言い含める。
「とにかく、海をイースターにするなよ?」
「はっ……そうだ」
どうやら、その一言がエオストレになにかを閃かせた。今度の兎耳はぴこんと上に飛び上がる。祝光としては嫌な予感しかしない。
「サーフボードをイースターまんぼうにすれば何とかなるかも!」
「なに」
言ってるんだ。と、続く言葉は失われる。
目をきらきらさせたエオストレがサーフボードへ手を翳す。掌とボードの合間に、季節外れの桜の花弁がぶわっと溢れる。波間に踊るうす紅が、海にあらざる花筏を作り出す。
目も眩むような春色の明かりが止んだ頃、エオストレの前にはのっぺりした顔がなんともキュートなマンボウが浮かんでいた。やる気に満ち溢れた顔で、当然、ボードと同じ横向きに。桜色に染まった鰭がぴちぴちするたびに花弁が舞うさまを、幻想的と呼ぶのは……ちょっと気が引ける。
「……何その、イースターまんぼうって。初めて見た」
「海の生き物がイースターを楽しんじゃいけないって法はないよ!」
「そう言うことじゃなくて」
「あっいけるっいけるかもこれ! 祝光! 見て!」
「はいはい」
意気揚々と漕ぎ出したエオストレが波を掴もうと果敢に沖へ進んでゆくのを見守りながら、祝光はすっかり脱力する。恐怖や躊躇を乗り越えてしまえば何事にも途方もない才能を秘めたやつだって分かってはいるつもりだけれど、いざこうして目の当たりにしてしまうとやってられない気持ちもある。
「(けど、今日はいいや)」
波を掴んだエオストレの歓声が聞こえる。祝光も一緒に! 楽しいよ! さっきまでの立場をもう忘れたのか。潮騒に掻き消されないような大声で言い交わしながら、祝光もまたサーフボードを漕ぎ出した。
今日はいいや。幼馴染と楽しく遊ぶだけの日だ。使命だとか、宿命だとか、今だけは。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功