シナリオ

泡沫夏花

#√ウォーゾーン #ノベル #夏休み2025

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 この夏、第435分隊へ人類軍から命令が下った。
 新たに発見された未開拓の島の調査及び基地建設のための開拓、並びに他√からの資源獲得を目的とした観光地化である。人も、獣も、機械兵団すら見当たらぬこの無人島は第三次世界大戦中の√ウォーゾーンに於いて稀有な土地に違いなく、慢性的な食糧不足に加えて流通すらままならぬ人類がこれを生かさぬ手は無かった。
(「報告書を読んだ時はどうなることかと思ったけど」)
 宿泊施設の建築も、食料供給の安定化も成された今、思い返してみれば長いようで束の間の任務であった。
 潮の満ち引きによって流木や錆びた錨、果てには人骨までが流れ着いていた砂浜も今やビーチと呼称するに相応しく、夏の陽射しを浴びて白く輝き眩しさを湛えている。
 はじめに無人島の開拓を命じられたヨシマサ・リヴィングストンは安堵にも似た溜息を吐いて、月の浮かばぬ真っ暗な夜空を仰いだ。すこし冷たくなった空気で肺を満たせば、ゆるみかけていた脳が冴え冴えとする。
 それから思い出したように箱に詰めていた自作の花火玉を手に取ると、それは戦いに明け暮れる指先を慰めるようにすべらかな反面、ずしりと重い。
 花火玉を自作するのはメカいじりや物作りが得意なヨシマサにとってそう難しいことではなかった。好奇心旺盛という彼の生来が制作の意欲を掻き立て、完成まで真っ直ぐ導いたと言っても過言ではなく、経験と技術は多い方が良いと|戦線工兵《ヨシマサ》は思うのだ。
(「爆弾の方がずっと簡単だったなぁ」)
 だが、初めての打ち上げ花火の成否はヨシマサにとっても未知であった。なにせテストを行っていない。他√から仕入れた物も多くあるので気まずい結果にはならぬだろうと踏んではいるけれど、果たして。
 ちなみに打ち上げ筒は全て電気を流す導火線で繋いでおり、スマートフォンからの遠隔操作で点火して打ち上げる仕組みになっている。
「よし。じゃあ打ち上げますかー」
 揚薬を敷き詰めた筒に花火玉を静かに収めたヨシマサは、ぱんと両膝を叩いて立ち上がった。

 〇

 月のない夜だった。
 昏い海はどこまでも広い。|涯《は》てが見つからないのは、終わりが見えないのと同じ怖ろしさを孕んでいるように思う。奈落の底を手探りで進んでいる茫洋とした不安が常に背後から付きまとってくるようで落ち着かない。
 燃え尽きた花火もそのままに、水垣・シズクはしばらく|響動《とよ》もす潮騒に耳を傾けながら、ぼんやりそんなことを考えた。詮無いことは、いつだってこちらの都合を顧みず、ふいに浮かんでは消えてゆく。
「次は……青いのにしましょう!」
 新しい手持ち花火を抜き取って火薬を包んだ紙にマッチの火を近付けると、火花が勢いよく噴き出し、たちまちツンとした匂いと染みるような煙が立ちのぼる。
 風上に立って、ススキのように真っ直ぐ飛び出す火花をぐるぐる振り回すと、塗りこめられた闇の中で光が奔る。静かな夜を裂いて散る火花は、移ろい揺れる心のように色を変化させてシズクの目をきらきらと瞬かせた。
「見てください! この花火、途中で色が変わりますよ!!」
 散った欠片が星のように流れるのがあんまり楽しくて、シズクは感傷も畏れも全て忘れて子どもみたいにはしゃぎ回る。この怪異解剖士、酒が入っているのだ。
 だがシズクを止める者はいない。
「アタシも負けてらんねー! そらっ!」
 すぐそばでエルヴァ・デサフィアンテが細い火花が四方八方に広がるスパーク花火でジャグリングをしており、シズクの七変化花火の輝きに負けないくらいの明るさを放ち、曲芸の如しスリリングを味わっているからだ。よいこは決して真似してはいけない遊びをやはり注意するものはなく、終いにはどれだけ高く上げられるかのチャレンジに変わっていった。
「変色反応を楽しむ遊びだなんて面白いことを考えますね。でも色々な種類があっていいですね」
 天から地から、跳ねたり落ちたりする光に忙しなく照らされながら、それを気にも留めず少し離れた場所でリズ・ダブルエックスがゆるやかに四変色するススキ花火で残像の絵を描いて遊んでいる。
「この花火、雪の結晶みたいで綺麗だな。ロケットみたいに飛ばせねーかな?」
「……さすがに花火が耐えられないんじゃないですか? エルヴァさんの指先ですでに持ち手が曲がってますし」
「あ。ほんとだ」
 ちぇ、と残念そうに唇を尖らせたエルヴァは、水を汲んだバケツの中に燃え尽きた花火を放り投げる。拗ねた横顔がすこし幼く見えた気がして幽かに口元をゆるめて笑ったリズは、彼女の肩越しにヨシマサを見つけて大きく腕を振り上げた。
「打ち上げ花火、もう出来そうですか?」
「お、いよいよ本番か!」
 表情を明るくさせたエルヴァが額に手を翳して打ち上げ筒を見渡し「待ってました」指をパチンと鳴らす。打ち上げ花火を見るならみんな一緒がいい。
 だが、ヨシマサの元へと踏み出した足が思いのほか砂に取られてしまい、大きくつんのめってしまう。まろぶエルヴァに気が付いたリズが慌てて彼女の腹に腕を回して踏ん張った。
「悪ぃ悪ぃ」
「やっぱり砂浜を歩くには少し重量が大きすぎますか」
 脳以外の全身を義体化しているエルヴァの足元に視線を落としたリズが訊ねると、彼女は生身のそれにしか見えぬ脚を持ち上げ足首をぶらぶら揺らしてみせながら頷いた。
「でも軽量化すると今度は強度が心許なくなるからなー。って、今は良いか、そんなこと」
 足場の悪い所で戦う時が来ればその時考えればいい。
 口端を吊り上げた笑みにそう言われた気がして、リズはちいさく頷いた。今はみんなと花火を楽しむひとときだから、明日のことは明日また考えればいい。
「その花火が終わったら打ち上げましょっか~」
 スマートフォンから視線を持ち上げたヨシマサの呼びかけに、リズは右手の花火がまだ終わっていないことに気が付いた。危なくないよう数歩引いたリズは、黄色に発色する花火をくるくる回して真ん丸お月様を描きエルヴァの目を楽しませる。
「これって案外、瞼の裏に残りますね」
「めちゃくちゃ素早く動かせば、もっとすごい絵が描けるんじゃないのか?」
「……残念。試す前に終わってしまいました」
 ちょうど三人に背を向けていたシズクは、手持ちの花火が燃えて終いになった暗さに落ち着きを取り戻すと、ふと背後の賑やかさに気が付いた。振り返ると打ち上げ花火の準備を行っていたはずのヨシマサが戻ってきており、それが何を意味するのか理解する矢庭に、慌てて彼らの元へと駆けだしてゆく。
「い、いつの間にっ……!」
「大丈夫っすよー。みんな揃いましたね。じゃあ行きますよ~」
 そーれ。ヨシマサの人差し指がスマートフォンに表示された電子の花火玉マークをタップ。
 一、二、三。
 期待に満ちた沈黙を波が喰らって昏い涯てへと引きずってゆき、戻ってくるよりそれは早かった。
 筒から勢いよく飛び出していく花火玉。天を昇る笛の細い音につられて夜空を仰いだ瞬間、墨を流したような夜空の一面に大輪の菊花が咲いた。鳴るけたたましさとは裏腹に、夢のように儚く花開いた花火は残滓の花弁をきらめかせながら夜をなぞり落ちて、ほどけるように消えてゆく。
 眼裏に焼き付いた花は、四人の口から言葉を奪った。
(「――成功した」)
 初手、自作の花火玉を選ぶのは博打に近かったが、無事に割物の菊が夜空に咲いた光景を目にすれば、さすがにホッとしてしまう。安堵は表情を変化させるに至らなかったが、プログラムした通りに次々打ち上げられていくそれらが夜空を彩る光となって咲いて瞬くのを見上げていると感慨がヨシマサをやわらかく包む。
(「自分の中に、まだこの炎症反応を利用した爆発を綺麗だと思える心が残ってたんだなあ」)
 わざわざ無粋を言葉にするつもりはなく、常と変わらぬへらりとした笑みのまま己の成果を仰ぎ見る。
「ひゅー! 腹に響くいい音っ! 大輪の花ってやつか……最っ高!」
「花火って凄く綺麗ですね……! 何より見ていてワクワクします。お祭りで上がるものだと聞きましたが、とても納得します」
 エルヴァとリズが楽しそうに笑いあう横顔が、あまりの大きさに圧倒されたように目を真ん丸と見開いているシズクの姿が、閃光にも似た強い火花に照らされ浮かび上がるのを見つけて「ああ」「なるほど」と思う。
(「遊んだあとに皆と見るから楽しいんだろうな」)
 ひとりで見ていても、きっと同じ思いは抱かなかっただろう。ふしぎとそれだけは断言出来た。
「ふふ~、楽しかったならよかったです。根回しして仕事取ってきたかいがありました」
「しっかし綺麗だな~花火って。推進薬や炸薬じゃ、こんな色にはならねーんだよな……発炎筒くらいか?」
 青、赤、黄と次々色を変えて形を変えて幻のように咲く花火を見つめたまま、エルヴァがそんなことを言った。
 発煙筒は危険を知らせるために用いる道具のため、噴き出す炎はぎらぎらと鮮やかな赤色をしていて、夜に見るそれはずいぶんと毒々しくもある。相手の意識を引き寄せるための手段なのでそれが正しいのだが、光の美しさで比べるとどうしても劣ってしまうものだ。
「……火薬を打ち出して爆発させる。とても馴染みのある光景なのですが、とても新鮮です。こういう使い方もあるのですね……」
 言葉にしてみると、打ち上げ花火とは本当に不思議なものだと思った。わずかばかりの不可解すら感じてしまうのは生きる世界の違いだろうか。
 青く透き通ったリズの瞳に刹那の花が咲いて、それは瞬きの間に消えていってしまう。この一瞬のためにあの大きな花火玉を何日も何ヶ月もかけて制作をするのだと、他√から聞きかじった話をヨシマサから教えてもらったことを思い出す。すなわち他√の世界はそれだけの資源があることを示しているに他ならない。
 ならばこの夜空の大輪は、きっと平和の花なのだと思う。
 それはなんて素敵で素晴らしく――羨ましい象徴なのだろうか。
「こういうのが、もっともっと普通になって欲しいです」
 この√ウォーゾーンもすべての人々が何の憂いもなく刹那の美しさに見惚れられる日々が、そんなさいわいが訪れたらいい。リズは無意識に指先を手のひらに折り込んで、強くつよく拳を握り締めた。この手で、そんな未来を掴みたいと思ったから。

(「きれい」)
 なにもかも初めてだった。友人と海で遊ぶことも、花火をすることだって生まれて初めてだ。
 金瞳に次々と咲く大輪の花はシズクの心に小さなひだまりを作って、それは花が咲くたびにふくふくとしたあたたかさで満たされてゆく。
 由緒正しい名家と言えば聞こえは良いが、世界中の厳格と理不尽を搔き集めた煮凝りが服を着て歩いているようなものであったので、まさか自分が今こうして呑気に夜空を見上げることが出来るとは思いもしなかった。
(「何事も、なければいい――」)
 ひだまりが出来れば、影は濃くなった。
 ぽかぽかしたのどかさの奥から顔を覗かせる影は、シズクが今抱えている恐れの形。不鮮明な靄は、気付いてしまったシズクの心に呼応して質量を増していき、あたたかなひだまりを呑み込んでしまいそうになるのを必死で留めている。
 決死戦。
 シズクの心に広がる靄の正体、不安そのもの。
 ちいさな吐息に不安を乗せて、シズクは睫毛を伏せた。今、それを思うのはきっと意味がない。ヨシマサが作ってくれた花火が、みなと力を合わせて無人島の開拓に全力を尽くした夏の日々が彼女の中に確かに刻まれている。
 ふと蘇るのは、適当に置いていた資材に躓いて盛大にすっ転んだり、せっかく広報用に撮影した写真がどれもピンボケで使いものにならなかったりした自分の失敗。
「あはは、楽しかったです。この二か月間ずっと」
 そんな失態も今はかけがえのない思い出として確かに残っている。
「次は何しましょうか、お祭りとかハロウィンとか……クリスマスだってすぐですしね!」
 シズクが三人のほうを振り返って金瞳をゆるめて笑うと、真っ先に反応を示したのはエルヴァだった。
「祭りに、ハロウィンに、クリスマス! 面白そうなコトがまだまだ盛り沢山だな!」
 指折り数えるとわくわくが一緒に募っていくようで何だか嬉しくなる。
「次か~……なにしましょうね。そっか、ハロウィンとかもありましたね。クリスマスの次は正月かあ」
 八月が終われば残すところ四ヶ月しかない。
「……一年って早いですね。ここにきたばかりの頃、新年を祝おうとして飾りを皆で手作りしたの、ついこの前のことだと思ってたのに」
「一年って早いもんだな……ん? アレってそんなに前なのか?」
 ほんとに? と疑うような素振りで首を傾げるエルヴァに三人の笑い声が重なった。
 盆を過ぎれば暮れまであっという間だ。この夏の任務がそうであったように。長引く夏の名残りが消えてしまえばたちまち樹木は色付き、木枯らしが吹いて世界はまたひっそりと淋しくなる。
 ――来年、みんな此処にいるだろうか。
「誰も、居なくならないで欲しいです」
 そう思うとたまらなくなって、シズクの口から無意識の願いが零れ落ちてしまう。縋るような言葉から逃れるように視線を花火に持ち上げたヨシマサは、その想いに対する正解を持ち合わせていなかった。
「……うん、そうですね」
 逡巡してどうにか口をついたのはただの同意でしかなく、心に寄り添ってもやれなかったと思う。決死戦で死ぬつもりは毛頭ない。そしてこの生き方を変えるつもりもまた、なくて。
 約束ひとつ満足にしてやれない。その不安を払拭してあげられる言葉のひとつすら持っていない己は、なんて――。
「……ああ。……挨拶すら出来ない別れはもう懲り懲りだ」
「……また、いつか花火を見ましょう。皆で」
 エルヴァとリズの言葉がシズクの心を上向かせたことに気が付いて、詰めていた息を吐く。
 √汎神解剖機関出身のシズクにはきっと、自分たちほど親しい者の死を割り切ることは出来ぬのだろうと解っている。だからこそ彼女の不安もまた、分かるのだ。でも、そんな風に心を摩耗しなくてもいいのにとも思うのは身勝手が過ぎるだろうか。
 ――ぐう。
 それはリズのほうから聞こえてきた。揃って|少女人形《レプリノイド》のほうを振り返ると、強く収縮する胃を抑えたリズがきりりとした表情で出迎えた。
「それはそれとして、何か食べましょう。スイカとか有った気がします!」
「え、まだ食べんの?」
 ぽかんと目を丸くするエルヴァの疑問にむんと胸を張って頷いたリズは、こっそり用意していたクーラーボックスの中身を明かして指差すと、さぁ行きましょう! と、ずんずん歩いていく。
 残された三人は呆気にとられた顔で互いを見合い、それから誰からともなく噴き出して笑いあった。

 夏夜に咲いたうたかたの花を、きっと忘れない。
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