|祈り《願い》と呪いは紙一重
「ああ困ったなぁ……。」
現在、中条・セツリ(|閑話休題《それはさておき》・h02124)は、偶々散歩中に、偶々公園に入り、偶々眼前に数珠繋ぎとなっている|其れ《・・》と出くわしてしまった。
|此れ《・・》が良いモノではないことなど百も承知である。
此ればっかりは、運が良いか悪いで、謂えば悪いのであろう。
──|其れ《・・》は、幸福な祈りであり、 唯のお|呪《まじな》いでしかなかった。
少しでも自分と「仲良くしてくれる友達を欲しい者」が、始めたほんの些細な願いを籠めたモノだったのだから。
偶然にも其の願いが届いたのか、行った者の努力の結果か、それは叶ってしまった。
叶った願いは、お|呪《まじな》いは、口伝で、誰かの行いで広まって行くものだ。
広まってしまえば、|其れ《・・》は、人々の心理的に叶って欲しいモノになるのだ。
目に見えない人の想いは、それを叶える力が在ることをご存知だろうか?
そうなって欲しいと願いは、想いは、人の無意識下で1つの願望として形を取ったら……。
──|其れ《・・》が次第に形を変えたのは、何が切っ掛けだったのだろうか?
きっと詰まらない言い争いだったのかもしれないし、我の張り合い……意地の張り合いだったのかもしれない。
もしかしたら、ちょっとした悪戯心だったのか……?
──真意は分からない。正しくは、もう解らなく成ってしまったと謂うべきか。
何故ならば、人は人を恨む、妬む、不幸を願うなど、並べて行けば切りが無い。|人間《・・》であれば、大なり小なり願うものだ。
人間は、|幸福《・・》のみで生きてはいけない。
他人を見下し、そして己の下に自分よりも不幸な者がいることで、安寧を感じる生き物である。
本質的に、そう謂う|愚かな生き物《・・・・・・》なのだ。
だから、そんな想いが形を取ったのなら、それはもう幸福なお|呪《まじな》いではなく、不幸な|呪《のろ》いに成り果てるのではないだろうか?
形を持ったモノが善意であれ悪意であれ、形を持った時点で厄介でしかないだろう。
セツリの眼前にある|其れ《・・》は、まさしく悪意を持っている。
人に害を成す為に作られている。元の形など最早、何処にも残っていない。
此の儘、放置を決め込んでより強力な力を、善意に混じった悪意を溜め込むだけなのだが、セツリは全く意に介さないように、其の場から背を向けたのだ。
「──まあ、今はいいか。」
|此れ《・・》が、『|祝福されし呪い《・・・・・・・》』が、後に、セツリの首を真綿で締めていくような結果になるのだが、それはまた別のお話。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴 成功