ある晴れた日のおさんぽ
気持ち良く晴れた日。
暦の上では秋とはいえ、まだまだ夏の気配が強く、空は濃い青色をしている。
そんな青空を見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)は隠れ家の窓から見上げた。
「……良いお天気、ですねえ」
七三子の今の住まいは街から少し離れた森の中にある廃墟である。
元は何某かの研究施設。実用性重視のコンクリート製。外観からしてもどうも堅気の雰囲気は感じられないが、深くは詮索しない事を条件に格安で譲って貰った物件だ。
多少荒れてはいても、居住区にしている部分の設備や家具は一新して快適に暮らしている。
広さは充分なので、新たに部屋が必要になっても整備すれば用意できるのも利点と言えば利点か。
そんな彼女と一緒に暮らしているのが見下・ハヤタ(弾丸黒柴号・h07903)だ。
七三子にブラッシングされながらあぐあぐとゴムボールを仕留めている黒柴の仔犬。
人懐っこくて、ごしゅじんが大好きで、溢れんばかりの好奇心でたまに七三子の知らない内に|脱走《冒険》したりしているが、きちんと帰巣本能で戻ってこられる元気の塊である。
ハヤタはごしゅじんの手が止まったことに気付き、視線を追って同じく窓の外を眺める。
彼女達がここに住み始めてしばらく経つが、近くの川で遊ぶことはあってもちゃんと周りを探索できていなかった。隠れ家の周りに何があるか把握できていないのは不味い気もする。
おあつらえむきに本日は出掛ける予定もない。
「おさんぽがてら、探検しに行きましょうか、ハヤタさん!」
時刻は昼下がり。普段なら出掛けていることの多いごしゅじんの『おさんぽ』という言葉に反応したハヤタはぱっと眼を輝かせて立ち上がった。
「わん!」
くるんと巻いた尻尾がはち切れんばかりに揺れていて、全身で「やったー!」を表現している。
嬉しそうなその様子に七三子も笑みを零して立ち上がった。
●
建物のメイン玄関を出ると道が延びていて、これを辿ると割りと大きな街に繋がっている。
周囲の木々が伸びきって鬱蒼とはしているが、以前は車も通っていたのだろう、道幅はそこそこ広い。
「あら?」
ここは研究施設時代から特に手を加えていない――一応隠れ家なので――錆びたポストに刺さっているチラシに眼が留まる。
七三子が手に取って見ると、ポップなフォントで楽しげに今度の休みに開催されるフリーマーケットのお知らせが並んでいた。
――一応、隠れ家なのですが?
たまにこういったイベントや地域行事のお知らせが届いているのだが、ここに人が住んでいることが周知されているのか、そもそもこんな処に住んでいる奴にお知らせして良いのか、色んな疑問で七三子の頭にハテナマークが浮かぶ。
「……まあいいかな。こんな怪しい施設に住んでる|戦闘員《新参者》も地域イベントに呼んでくださる、アットホームな街、ということで……」
七三子は諦めた。いいのである。
先に歩き出していたハヤタは、チラシを手に立ち止まっているごしゅじんに気付いてたったか駆け戻ってくる。ふんすと鼻を鳴らしてごしゅじんを見上げた。
「あ、ごめんなさい。お待たせしました」
七三子は足元に戻って来たハヤタに謝ると、とりあえずチラシをポストに戻す。これは帰ってきた時に回収しよう。
「そうですね、探検ですし、今回はこっちの川沿いを進んでみましょう」
街に続く道ではなく、川の流れる森の方を示すごしゅじんにハヤタもそちらを見遣る。
いつもと違うルートを行くのだと理解したのか、ふんふんと辺りの匂いを嗅いでからぶるぶるっと勢い良く柴ドリルを披露した。
「わふ」
輝く笑顔で駆け出したハヤタの後を七三子が慌てて追う。
「アッ! 一人で行っちゃダメですよハヤタさん!」
●
何とか落ち着いたハヤタと並んで七三子は川縁を上流に向かってのんびり歩く。
川の水は澄んでいて、揺らめく流れに陽の光がキラキラと弾かれていた。悠々と泳ぐ魚の影も綺麗に見える。
ここでお友達と川遊びしたりしたなあ、と楽しい思い出に七三子の口元が緩んだ。調整をミスった鉄砲水に流されたりもしたけれどそれはそれ。
耳を澄ませば川の流れる水音、木々が揺れる葉擦れの音、蝉の鳴き声、遠くに鳥の羽ばたき、と結構賑やかなのに気付かされる。
今度は森の中の方を探索してみるのも良いかも知れませんね、と七三子は木々の向こうを眺めた。色んな鳥や野生動物が居そうな気配がする。
ハヤタもてってこ歩いてはごしゅじんの顔を振り返ったり、バッと駆け寄った繁みの影を熱心に嗅いだりして忙しそうだ。
「えへへ、景色や自然を楽しみつつ、目的無くお散歩も楽しくていいですよねえ」
七三子も最近は王権決死戦などで忙しくしていてハヤタとあまり遊べていなかったし、久し振りに一緒にのんびり過ごすのは楽しい。
ハヤタは小さな羽虫を見付けて、追い掛ける過程で眼に入った自分の尻尾が気になったのか、それを捕まえようとしてぐるんぐるん回っていた。
「ハヤタさん、眼が回っちゃいますよ。気をつけて下さいね」
ハヤタが木にぶつかったりしない様、周りを見渡せば、足元にも逞しく野草が茂っている。
「よく見たら結構お花咲いてたりするんですね……かわいい。名前は解らないですけど」
こういうのに詳しいお友達に聞いたら教えてくれますかね、と控えめに咲く小さな白い花をつついた。
しゃがんで野草を眺めている七三子に気付いて、「なにかありましたかごしゅじん!」とばかりにハヤタが寄ってくる。
「ハヤタさんも見ますか、お花」
ごしゅじんがしていた様にハヤタも小さな白い花を黒い鼻先で突っついてみる。
「プシッ!」
「わ、大丈夫ですか!」
くすぐったかったのかくしゃみをしたハヤタに七三子は反射的に心配する声を掛けたものの、その後渋い顔をしているのを見て思わず笑った。
「ふふ、びっくりしましたね。よーしよし」
「くーん……」
七三子は両手でハヤタの顔を包んでわっしゃわっしゃと撫でてやる。思う存分撫で回してから立ち上がった。
「よし。もうちょっと歩いてみましょうか」
「わん!」
●
「まだまだ暑いと思ってましたけど、森の中、川沿いということもあって、涼しくて過ごしやすいですね」
時折吹き抜けていく風は心地良く、少し汗ばんだ肌を冷やしてくれる。七三子は眼を閉じてそれを感じた。
しかし太陽の傾きは季節に忠実で、段々と明るい時間が短くなっているのが解る。
昼間は聞こえなかった鈴虫などの鳴き声も繁みから聞こえ始めた。
「ちょっと暗くなってきちゃいましたし、ここら辺で休憩してから帰りましょうか、ハヤタさん」
隠れ家からも結構歩いてきたので、帰り道を考えるとこの辺りで引き返すのが良いだろう。
ごしゅじんの声掛けに、ハヤタは頭を突っ込んでいた藪から抜け出して「わん!」と返事した。
七三子はいいお返事ですねと笑って川縁の岩に腰を下ろす。
石に当たって砕けながらさぁさぁと流れる水が涼しげで心が疼いた。
「……足だけ水につけちゃおうかな」
靴を脱いで、素足を流れに浸す。山で冷やされた水が火照った肌の間を擦り抜けていった。
「あ、冷たくて気持ちいい。……ハヤタさんも水遊びしますか?」
七三子はいつの間にか隣に立って水面を眺めているハヤタに問い掛ける。
流れる水をじっと見ているハヤタはどこか誇らしげな顔をしていた。
その脳内では流し素麺よろしくお友達が川に流されていたのを七三子が知るよしもない。
「!」
川の流れの中をゆるりと動く影を見付けてハヤタが勢い良く前傾姿勢を取る。三角の耳が前向きにピンと立った。狩猟本能がかき立てられている。
ちらりと「ぼくもあそんでいいですか?」と言いたげな視線が寄越されたので、七三子は「良いですよ」と頷く。
ごしゅじんのOKを貰ってハヤタは喜び勇んで飛び出した。
ばしゃんと勢い良く水飛沫が散る。
「わっ」
七三子はとっさに手をかざしたが、水は足元の方に散っただけで済んだ。ほっと安堵してからハヤタを見遣る。
ばっしゃばっしゃとモグラ叩きの様にあちこちの水面に飛び込んでいたハヤタだったが、次第に動きが遅くなり、きょろきょろと辺りを見回した後ついには止まってしまった。
頭と尻尾をしゅんと下げて、見るからに「……にげられました……」と落ち込んでいる姿に七三子は苦笑する。
「あんなに騒がしくしたらそりゃあ逃げられちゃいますよ」
とぼとぼぱしゃぱしゃとごしゅじんの下に戻って来たハヤタは濡れた身体で本日二回目の柴ドリルを披露した。
「ちょ、ハヤタさん!」
今度は全身にしっとりと水飛沫を浴びてしまって七三子は思わず声を上げる。
しかし名前を呼ばれて「なんですかごじゅじん!」と見上げてくるハヤタの期待溢れる眼に毒気を抜かれた。――元々あってなかった様な毒気だが。
それにこの程度の濡れならすぐ乾くだろう。
「もう、やんちゃですねえ」
七三子はまだしっとりしているハヤタの頭を撫でる。ハヤタは眼を閉じ耳を寝かせて嬉しそうに笑っていた。
ふいに視界の端を柔らかい光が通り過ぎる。
「……あ、蛍」
のんびり屋なのか季節遅れの蛍が数匹、ゆっくり明滅しながらふんわりと飛び交っていた。
七三子とハヤタはその光を愛おしい気持ちで眺める。
「えへへ、時間の流れがゆっくりで、贅沢ですねえ」
蛍の光に合わせてハヤタの背を優しく撫でていると、ハヤタが鼻を鳴らして寄り添ってきた。
ごしゅじんを見上げる顔はきらきらに眼が輝いていて、『うれしい』と『しあわせ』に溢れた表情だ。
その笑顔に、七三子もつられて笑顔を返す。
ハヤタの伝えたいことが解った気がして、返事をした。
「はい、またいっぱい遊びましょうね、ハヤタさん」
――二人で次の約束をして、今日のおさんぽはこれでおしまい。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功