シナリオ

水底に咲く

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 この所めっきり触れる機会が減ったとは言え、いまだに浮かんでしまうのは「夏と言えば怪談」の連想。
 それは、幼少期に布団を被って怖々と聞いたテレビの語り、クラスで皆で身を寄せ集めて読んだ怪談本の恐ろしさ。そして得意げに「知り合いから聞いた」との建前で友人が聞かせてくれた数々の『体験談』──今思えば子供騙しの、陳腐で微笑ましいものだが、それでも当時は随分と恐ろしく、楽しいものだった。
 そして「夏といえば海」「海の怪談」と自然と連想が続く。
 定番とも言える話の数々、水中で足を引っ張られる。飛び込んだ男へ、無数の手が波間から手招きをする……どこでも聞く話は、定番であるが故に、例えば無関係な水難事故でもひとつ起これば「らしい」「聞いた」──それだけで『そこで本当にあった話』として定着してしまう。

 ああそれは、けれども。
 ありきたりなものとして纏められる、その方が|良い《・・》のかもしれない。



 山間のトンネルを抜けると緩いカーブが連続する。その三つ目を大きく曲がれば不意に木々の間から水面が見える。人の脳とは面白いものでそれを認識した途端、急に潮の匂い、カモメの声と波の音──海を一気に実感する。
 尤も、認識からのそれというよりは単純に海へ近付いたというだけのこと。そうして目的地へと辿り着けば、目の前には悠然と広がる砂浜の、一段と大きい波音とそれに負けない程の行楽客の喧騒。ちらほらと広がるビーチパラソルやレジャーシートのカラフルな色彩を通り抜けて、それより遥かに広がる一面の海──Y海岸を訪れる度に迎えるその景色が、匂いが、音が、私はたまらなく好きだった。

 地方の大学へ進学したのをきっかけに見知らぬ土地を謳歌することを決めて以来、友人知人と連れ立ち、休みともなれば学生の気楽な身、方々計画性のないドライブで遠出した。であれば夏になれば「海へ行こう」となるのは自然な流れ。そうして毎年、皆でY海岸を訪れる事が恒例となったのだった。
 そんな身分だから幼少期と違って浮かぶのは「夏と言えば出会い」故にどこかでロマンスを期待をするものだが、Y海岸は立地のせいか地元民や自分達の様な学生、そして家族連れと言った客層が目立ち、期待薄であった。しかし、だからだろうか。規模の割に|監視員《ライフセーバー》や救助施設などが整っている。安全性を考えれば今はこのくらいは当たり前なのだろうが、それこそ子どもの頃以来、久しぶりに海遊びへ訪れた身としては最初、中々珍しい光景であった。



「なあ、気付いとった?」

 海の家のどこか薄暗い室内、泳ぎ疲れた昼食後にのんびりと座って海を眺めていれば、友人Aがふと、思いつめた様に急に切り出した。
 聞けば「監視員に『変なやつ』がいる」と言う。

「一昨年から気になってて、去年も、今年もいるのに周りもお前らも普通にしとるから、俺にしか見えんのかって不安になって……本当に誰も知らんのか?」
「何『変』って? 女ばっか助けてるとか、やけに触って来るとかそういうの?」

 Aの急な、まるで怪談の導入のような発言にその場は笑ったが、あまりに真剣なその顔に、自然と笑いは消え、薄暗い室内と合間って妙な空気が覆う。「今もいるのか?」と聞けば頷いて、なんとなくその流れから無言で海の家を出る。眩しい日差しの中、だがどこか先程の空気が払拭できないまま砂浜まで来ると、Aはこっそりと顔をやって少し先にある監視台を指した。

 自然体を装って歩き、横目で見た限りは普通の青年だった。
 他の|監視員《ライフセーバー》と同じ格好で、監視台の上へ腰かけている。けれどもどことなく、よくよく見れば積み重なる違和感の──それは例えば、監視員にしてはやけに青白い肌、頼りなさげな薄い体躯。陽ざし除けとは言え、黒い帽子を目深にかぶり、時折海へと双眼鏡を向けて覗き込むものの、まるでのんびりとしている。砂浜には目もくれず、近くで救助活動があっても動こうとしないが、周囲の監視員も気にする素振りはない。
 何より目を惹いたのは腕章。禁止マークの中に映画のパロディのように可愛らしいオバケが描いてあるふざけたそれに、ふと、近くにいる監視員を見る。同じ格好をしているが腕章はしていない。

「……配信者の悪ふざけとか……?」
「いやそんなん注意されるっしょ。普通に監視台に座ってるじゃん」
「あんさ、それで俺気になって調べたんよ。ここの事」

 Aはポツポツと息をひそめて呟く。はしゃぐ子どもの声が、注意する大人の声、波音。先ほどまであふれていた喧噪がどこか遠い世界の事のように遠く小さく聞こえる。

「ここな、何年か前に事故があったって、沖でボートが転覆したとかで……いや、流れが急とか救助が間に合わなかったとか、色々あったらしいんだけども」

 そのせいで救助施設が充実しているのかとぼんやり考えていると、Aは息を吸い、溜めて言った。

「だから……『出る』って噂があって」
「それで、何? だからあのオバケマークって訳? いやふざけすぎだろ」

 馬鹿野郎、気にしすぎだと誰かがおどけて言った。けれど、誰も笑わなかった。
 意識を引き戻す様に笛の音が聞こえて、ふと見れば、溺れたのだろうか。いつの間にか海へ入った例の『監視員』が人をひとり引き上げていた。けれども不思議な事に他の監視員は誰一人、誰も海に入らず、手を貸そうとしない。ようやく砂浜まで引き揚げれば、急いで周囲が救助に移る。しかし、打って変わって仕事を終えたとばかりに『監視員』は元のように監視台に戻り、再び双眼鏡を覗き始めた。
 それが何だか不気味だった。



 人間とは不思議なもので、無関係を決め込んで危機へ鈍感な部分がある。
 心に残った先の光景。監視員の姿。幽霊……まるで怪談のようだと思いながらその実、Aの挙げた海難事故にはひとつも意識が向いていない。だから、ある意味で自業自得であったのだろう。
 気が付いたら随分と沖に流されていた。昼を過ぎて荒れ始めた波に、とっさに空中へと伸ばした手は、容赦なく、まるで強い意思を持って邪魔されるかの如く押し返されて水中に戻される。かろうじて出た顔で呼吸を試みようとするたび波が跳ね返り、海水が口に入る。塩辛さと砂を噛むその感触に、顔をしかめ咳き込み、呼吸が妨げられて、そうしている間に次々へ波が襲いかかり、身体が沈む。

 ふと、足に|何か《・・》が触れた。
 海藻やゴミとはまた違う。半ばもがいて、どうにかその場から移動しようと水中を蹴った足を、手を。それだけではなく腰から背中にかけて|何か《・・》が、まるで動きを封じようとするかの様にまとわりついてくる。
 そして、急に、高所から落下する様に、まるで当たり前の様に身体が水中へと|落ちて《・・・》いった。
 必死にもがいて、かろうじて見えたのは濁流のように舞い上がる砂、自分の口から吐き出される空気と、巻き上がる波が起こす白く細かい気泡の、そして無数の『手』──まるで、花の様だった。
 己の足を、腕を、掴んで、腰からさらに這い上がり、貪欲に意思を持って引きずり込もうとする『手』に、どこか冷静な頭で「ああ、手だ」と|当たり前《・・・・》の事を思う。「死ぬのだな」と思う。だが蠢く『手』の中、それらとはまた違う『何か』──不確かな輪郭のゼリー状に似たものが見えたその時、急に身体の拘束が緩んだ。

 その瞬間、正気に戻り、怯んだような『手』を蹴って無我夢中でどうにか海面へ昇り、顔を出す。死にたくない──ようやく芽生えた恐怖に息を吸う。痛む鼻奥と、潮の味。必死に呼吸を試みる間に、甲高い笛の音が微かに聞こえ、身体が引き寄せられる。強い力。波ではなく紛れもない人間のそれに、鮮やかなオレンジ色が飛び込んで、助けが来たのだと安堵した瞬間、腕章のマークが目に入った。



 結局のところ、何があったかのかは定かではない。
 意識がはっきりとした時には陸で介抱を受けていた。大方疲れが溜まって溺れかけたのだろうと済まされ、その日は引き上げ、そして夏が終わった。

 水中で見た光景を話そうにも、うまく説明出来ず、何より『話してはいけない』ような気がした。そして冷静に、例えばクラゲの一種、泡、海流の渦だとか、どこか自分を納得させるように『原因』を探そうとして、止める。
 錯乱状態の記憶など当てにならぬと思ったのかも知れない。ただ、自分の見たものを確定させるのが怖かったのかもしれない。
 けれどもその光景──海中からどこまでも伸ばされて己の身体を掴もうとした無数の手以上に、筆舌尽くしがたい奇妙な、ブヨブヨとして伸びた触手の様な、無性に脳裏に焼き付いたそれのせいか、しばらくホルモンが食べられなくなった。

 そして、今年。大学四年の夏。
 去年の出来事があった癖、懲りずにY海岸へと訪れたのは卒業を控えた今、友人らとここに来るのも最後だろうかという感傷と、少しだけある好奇心に似た何か。

 彼は、まだいた。
 去年と同じ様に、見晴らしのいい監視台へ腰掛けて双眼鏡にて時折海を覗く。黒い帽子を目深にかぶったその目元は相変わらず確認できない。笛をくわえて時折吹く素振りをしながら、今は音を聞くことはない。
 さて、去年のお礼を言うべきか……しかし、いちいち救助した者を覚えているのだろうか。お礼の品を持ってきた訳でもなし、そもそもどう声をかければいいのだろうか……何よりも、例の光景──。
 どこか気まずい思いを抱えながら過ごしているうちに、結局声をかける勇気も、機会も、事故もなく無事に引き上げる事となる。

 帰り際、横目で見た男は相変わらず不自然に目元が隠れたまま、可愛らしい腕章をして座っている。
 ただ、近くを通り過ぎる時に少しこちらへと顔を向けて、口を歪め──牙が見えた。

 その時、何故か。
「また来年もおいでよ」と聞こえた、気がした。
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