船霊
●航海
海が荒れる。季節風や低気圧による自然現象、時化。それが局所的に、ある一点を中心にし嵐が起きているとすれば。
そして、それが移動し、時に消えるものだとすれば――怪異、災厄、インビジブルの類、その手引か。
調査船に乗り込む隊員は――汎神解剖機関職員は、憂鬱な顔をしていた。
我々一般人を退避させられるようにと√能力者が同乗しているが、それで安心できるわけがない。
相手は正体不明な存在であり、今回は自然すらも敵だ。あれに近づけば確実に波が高くなる、海が荒れる、そうなれば、あくまで一般人たる自分たちが無事でいられるかどうか分からない。
だが……もし『それ』が怪異だとして。|新物質《ニューパワー》持ちであったとするなら、見逃すことはできないと。そうして送り出されてしまったのだ。
――荒天時、『海にぼんやりとした光が浮かんでいる』という現象。今のところは一定の海域。光が現れ、目撃された時は必ず周囲の海が荒れる。船舶が座礁し、難破しと不運が起こる。
それはまるで船の灯りのようで、夜に現れ、朝には消える……いや。漣のきらめきで、見えていないだけかもしれないが。故に、今は夜。本来ならば、このような時間に海に出る馬鹿はいない――。
波に揺られ風の音を聞き、怯えと共に。あれが目立つ灯りだというのなら、光源は最低限。僅か手元を照らす灯りと共に資料を見て、水平線に目を凝らす。
何も見えなければよかった。何もいなければよかった。
それでも、見えた。見えてしまった。
「近付くぞ」
聞かれているかもしれない、と。どのような相手かも分からないのだ、何をするにも『念の為』がつきまとう。速度が上がる。徐々に近づくと、それは海上に立つ人影――いや、人の姿に何かがまとわりついている。
視界に浮かび上がるそれは。輝く半透明の海洋生物を大量に引き連れて。
海の上をひとりで、歩いていた。
――……大時化であった。ひどい波の中、荒れた海、波を掻き分け――いくら進んでも晴れぬ空、飛沫を浴びて、陸を目指す。意味などない枷を嵌められた『それ』は小さく、讃美歌のようなものを口ずさんでいるようだった。
冬の海、こんなところでクリスマスめいた曲など聞きたくはなかったが――知らぬ曲であるはずだ、だというのに、意味が、意図が分かるのだ。
「歓べよ。今こそ神の御降臨が告げられた」
「新しき契約が下され、すべての者はその言葉に従わねばならぬ」
「見よ、誰もが自らの欲望と罪に溺れ、暗黒の海溝へ落ちゆくなか、神の子はこの世に生まれたのだ――我らの絶望を断ち切るために」
「すべての魂が救われんことを、祈れ、願え、心から」
「歓べよ。神を讃えよ。歌え、声高らかに、歌え――」
「主の御名を讃美せよ、いま、この瞬間に」
すべての者は、心から歓喜せよ。
――『À la venue de Noël』より、意訳。
●人間災厄『メアリー・セレスト』
あまりにも『大人しい』収容だった。
本名、シリル・クールベ。日本語とフランス語を解する。一般人であったのだろう、名についての記録はなく、本人は好んで『デッドライト』と名乗る。
――デッドライトとは「船の嵌め殺し窓」である。荒天時などに窓に板を貼り、光を遮断する=弱い窓を守る=船を守るというのが由来。
この名で名乗るのは己を「船霊」(船の守り神)と定義しているためだろう。
外見は二十代前半。性別不詳、恐らくは男性。後述。
曰く「水底にいた」という。『海賊の黄金期を生き、死に、海底に沈んでいた屍』であり、私掠船・海賊船の船長だと主張する。
なぜ沈んだのか、死を迎えたはずのそれが今この時代に|浮上《・・》したのか――。
それは「鯨を見た」と云う。御霊、『ケートス』。それは「渦潮の女を知っているか」と問う。『カリュブディス』――。
その他海に関する供述をするものの、多くを語ろうとはしなかった。
簒奪者としての兆候はない。周囲に発光するインビジブルが集っているが、それを食らおうともしていない。
監視期間中、二、三度、身体的特徴と声質の変化が見られた。男性/女声と、女性/男声が不定期に入れ替わる模様。性別不詳。これが『欠落』だと思われる。
海に出れば灯火で船を惑わせ座礁・難破させ、地上を歩けば足元、海底が現れ、花咲き絶えていく。
幽霊船/漂流船、船に関する都市伝説をもって、人間災厄「メアリー・セレスト」と認定。
幽霊船長、海に出ること能わずや――。
√EDENに居る際は非常に大人しく、|√EDEN《ここ》で監視することこそが『善きこと』だろう。
ただ、|彼《彼女》曰く。
「|ここ《√EDEN》は宛ら海だ。きっと天には、地があることだろう」
――意味不明ではあるが、水底に沈んでいたのだから、空と地を求めるのは当然かもしれない。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功