シナリオ

夜長を呑む

#√妖怪百鬼夜行 #ノベル #秋祭り2025

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√妖怪百鬼夜行
 #ノベル
 #秋祭り2025

※あなたはタグを編集できません。


 風に涼が混じって香る。肌を撫でる微風は夏の終わりを嫋やかに告げ、行き交う人々の胸にほんの少しの名残を置いた。
 夏が過ぎ、秋が来る。四季が当たり前の日常に溶け込んだ者たちは、気温や水気、空に浮かぶ雲の高低にふと気が付いて線引きをする。そうして、秋と口を揃えて呟くのだ。
 さらさらと旅路を進む清流に触れる者は随分と減った。足首まで浸けて遊ぶには冷えた河川を、姜・雪麗(絢淡花・h01491)の指先が掬う。
「頃合いか」
 個性も強ければ我も強い√妖怪百鬼夜行の片隅に店を構える雪麗は、今日も遠くまで足を運んでいた。美味いものがあると聞けば西へ東へ、親切心から忠告する鬼婆の言葉も何のそので山里超えて仕入れに行く。美食家たるもの、手は抜かない。
 これが大小様々存在する妖怪の街で生き抜く為の秘訣なのかもしれない。飲み屋街でも評判の高い雪麗の酒屋は、類は友を呼ぶというわけか、美酒家たちの行きつけとなった。嗜む程度に舐めるもよし、升一杯に注いで零すもよし、どんな楽しみ方をしても最高品質の酒を保障してくれるとなれば常連も出来るというものだ。
 清流の緩やかなうねりを視界の端に収めたまま、雪麗の足は滞りなく進んでいく。目的地など決めずに美食に導かれて旅をするのも良いが、今日の目的地は決まっていた。山の稜線がハッキリと見えてくる頃合いになると、そのほとんどが古びた瓦の屋根に変わっていく。賑わう声の質もどこか穏やかだ。はずれだからか、空気も冷えたまま街を覆っている。
 さて。辿り着いた先には酒蔵があった。清流の一端を喰らうようにも見えるその建物には、墨で描かれた酒の一文字が我が物顔で鎮座している。
「もし。店主はいるかい」
 垂れた暖簾を片手の甲で押し上げて、雪麗は店の中へと視線を向けた。
 店内は随分と小綺麗な印象だ。几帳面な性格なのか、あるいはそうしないと我慢できない誰かがいるのか、理路整然と酒瓶が並んでいる。数があまり多くないのは、店主なりのこだわりなのだろう。店の奥には座敷があり、番頭台が一応ある。一応というのも、店主の姿がないためだ。
 雪麗はそれが留守を示すことにはならないと知っている。するりと玄関戸を抜けて座敷の方へと近付いた。無地の暖簾がかかった廊下の先から、規則正しい音が微かに聞こえてくる。
「お前さん、店先を放って酒造りかい。気楽でいいねぇ」
「なんだ、冷やかしに来たのか?」
 覗き込む雪麗と目が合ったのは、河童だ。どこからどう見ても河童である。そもそも表情を読み取るのが難しい嘴の上に仏頂面を載せた妖怪は、雪麗の訪れから五分も経ってからようやく店へと顔を出した。
 妖怪達も店を営むこの時代で、河童の杜氏は酒蔵を整えた。杜氏の酒は品質に厳しく造られているため、多少値は張るがその分の価値は十分にある。特に、この夏から秋に変わっていく9月の酒は一級品だ。大妖怪も唸るほどの酒が並ぶ。だからこそ、雪麗も労力を惜しまず訪れようと思うのだ。
 杜氏は雪麗の姿を頭の天辺から爪先まで見やり、フンと鼻を鳴らした。
「まだピンピンしてるじゃないか」
「私を老婆のように言うのはお前さんぐらいだよ」
 二人の出会いは随分と遡る。最高品質の酒を造る店主と、最高品質の酒を求めて彷徨う店主が巡り合うのは当然の帰結と言うべきだろう。毎年訪れるようになった妖獣の女を、酒以外のことはそう興味のない河童が覚えているのも頷ける。
「夏は越したかい」
「白々しい。分かって来ているだろう」
「それでもだよ。店主が一番知っているだろう?」
 少しの沈黙。それから、返事のないまま杜氏は店の奥へと踵を返した。
 ひやおろし、と呼ばれる分類の酒がある。春に絞った酒に火入れを一度だけ行い、夏の間は眠らせておき、秋の訪れと共に呼び起こされる酒のことだ。じっくりと冷やのまま熟成された日本酒は旨味と丸みあるまろやかな味わいが魅力のひとつだ。
 冷やといえば字面から冷たい印象を持ちがちだが、日本酒の冷やは常温の意味である。秋口の気温と貯蔵室の気温が同じくらい──すなわち常温くらいになった頃に卸すから、ひやおろしと呼ばれるようになったと言われている。酒飲みが四季のうちの秋を感じるのは、景色でも日暮れの早さでもなく、この酒を口にした瞬間なのかもしれない。
 かくいう雪麗も、奥深さと生酒のような味わいの両面を堪能できる秋の風物詩を楽しみにしている。特に、広い区分で使われるひやおろしの中でも、秋の差し掛かる9月に卸されるものは|夏越《なご》し酒と呼び、熟成によるまるやかさと夏酒らしいフレッシュ感を混ぜた独特の風味が特徴だ。
「悪くない」
「お前さん、いつもそうじゃないか」
 仏頂面の河童が戻ってきて早々差し出した一升瓶を雪麗は丁重に受け取る。この職人の言う悪くないは、かなりの上出来である。これは益々楽しみだ。少しばかり背の伸びる心地がして、その正体を雪麗は自覚する。
 そんな雪麗の眼前に空の御猪口が登場した。見れば、杜氏が嘴を引き結んだまま突き付けている。
「そこまで言うなら仕方ないねぇ」
「何も言っとらん」
 もう数年も通っていれば、定番のふるまいも決まってくるというものだ。初年度はまだ遠慮がちだったやり取りも、気が付けば恒例のやり取りに変わっている。雪麗とて、もはや手ぶらで酒蔵に訪れる事はしなくなった。こうやって二人分の杯を用意する杜氏も随分と慣れたものだ。付き合いの薄いご近所さんが見たら腰を抜かすかもしれない。
 座敷の端に腰を下ろし、誰にも使われない番頭台に土産を置く。河童と言えばきゅうりだが、杜氏も例に漏れないらしい。
 互いにどこか浮足立った気持ちを抱え、慎重に杯に夏越し酒を注ぐ。溢れてしまっては勿体ないが、少なければ物足りない。表面張力にも助けられながら注いだ酒を二杯、二人の店主がややに掲げた。
「乾杯」
 想像通りの、いや、想像よりも旨味が凝縮された酒が喉を焼く。刺激を齎すトゲは全て透明な液体に溶け切り滑らかに口内を撫でた。この口応えの良さは熟成されたからこそ生まれるまろやかさだ。
 杯が乾くのは時間の問題だった。
「──嗚呼、秋が来る」
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

挿絵申請あり!

挿絵申請がありました! 承認/却下を選んでください。

挿絵イラスト