√嵐影湖光は遠からじ『旱天慈雨』
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布施とは即ち、贈与である。
与えたから失うのではなく、与えたから得るのである。
――と説く坊主のことを野分・時雨(初嵐・h00536)は、どうにもいけ好かない生臭坊主だと思っている。いた、と過去形にならぬのは、この√妖怪百鬼夜行にある『蛇ノ目町』にある寺に在る住職……妖怪という括りの中であえて名前を示すのならば『鉄鼠』が、僧にあるまじき生活態度を改めようともしないからである。
いや、それは幾分か真も混じる所であったが、単純に彼の生まれに寄る所が大きく起因しているところである。
彼は悪たれっ子であった。
それが生来の気質によるものなのか、環境に寄るものであったのかは、此処で語るところではないので、割愛することにしよう。
兎も角、そういう育ちと環境であったものであるから坊主と見れば袈裟まで小憎たらしく思ってしまうのが時雨という矮躯の人妖であった。
「クソジジイ! 折れました、卒塔婆ください」
「此処には糞爺はおらんので、返事はないと思ったほうがいいぞ」
「喋っとるでしょうが、あんた」
時雨のあんまりな態度に『鉄鼠』たる住職は煙管からプカリと白煙を立ち上らせ、視線を逸らした。
「なんでい、くたばったと思っていたら、前よりも騒々しい。いや、今なんて?」
「だから、折れました!」
ずい、と時雨が前に突き出すのは卒塔婆である。
中程から、どうしてこんなふうに折れるのだと言うようにへし折れている。
「なんて罰当たりなことを。お前、卒塔婆がなんであるのかわかっているのか? シバキ棒じゃあないんだぞ? え、そこん所を理解しているのかって……おい、聞け!」
「ケチケチすんない。どうせ、そこら辺の雑木を適当に割って切って削っただけでしょうが。大して労力も掛からぬのに、やれありがたがれ、やれ罰当たりなどと」
「お前、寺で言うことがそれか? 他所を当たれ。もう二度とお前の面倒など見ぬ。去ね」
「はー? いいんですかねぇ? 困っている人に手を差し伸べてくれるお優しい住職さん」
「カーッ、お前の口から、そう言われるとゾッとするわ! やめろやめろ!」
「いやぁ、ぼくの言葉じゃあないんですよねい。これが」
「……何、それはあれか。あの別嬪の仏画師のお嬢さんの言葉だっていうのか? わしを? そう言って?」
住職の言葉の棘がみるみる間に丸くなっていくのを時雨は認めて、舌を出して辟易するようだった。
「いい年こいたジジイが顔を赤らめてるってんじゃあねぇんですよ。気色悪い」
「ばっかやろうい、お前、そういうのは早く言えや! ったく、しようがねぇやつだなぁ、お前ってやつは。なあ、この馬鹿野郎がぁよぉ!」
猫なで声である。
「はいはい、ぼくは一服してますから、はよ」
「境内火気厳禁っちゅーのをしらんのか」
「うるせー。吸いたいから吸うんですよ」
だが、煙管を拝借しようとした手を、ぴしゃりと叩かれて時雨はムッとした。
「何すんですか」
「その成りで吸うなつってんだよ。まったく、あれだけ気立ての良い別嬪さんと暮らしていて、どうしてそう素行が不良なのだお前は」
「あー、これなるは、なんであるかなー甘い匂いがしてるですがー」
「ばっか、お前、そういうのは先に出せ!」
風呂敷をぶら下げて、わざとらしく時雨は首を傾げている。
その風呂敷を住職はひったくるようにして中身を広げ、歓声を上げる。
「おほー! これが噂の青い雷神『ブルーサンダー』っちゅーやつか!」
「いーからはよしてくださいよ。土産やってんですから、グズグズと。出し惜しみすんな。たくさんあんだろ。サクッと持ってこいよ、卒塔婆」
住職を足蹴にする。
もう素行が不良どころではない。
散らばった駄菓子を住職は慌てて拾い集めて、唾を吐くようにぶつくさ言いながら、寺の奥へ向かい、そこから卒塔婆を一本手にして持ってくる。
「ほれ」
「投げて寄越すな、罰当たり」
「いいだろ別に。またすぐに折るんだから」
「言ってることがちげーでしょうがよ。ったく……なんです、その手」
「まだあるだろ」
「何が」
「卒塔婆の代金の菓子だよ! しらばっくれんな!」
チッ、と時雨は舌打ちして、さらに腰元から下げていた風呂敷から果物の入った饅頭と洋菓子の包を手渡す。
あわよくば自分がくらおうと思っていたところだ。
安価に手に入る駄菓子でだまくらかしてやろうと思ったのだが、通用しなかったようだ。
「マジで手癖が悪いな、お前は」
「お互い様でしょ……って、あれ。雨降りですね」
先程まで晴れていたのに、ざあざあと音を立てるような風雨に様変わりしている。
「濡れて帰れ」
「馬鹿言うんじゃあないってんですよ。雨宿りさせてもらいますね。寺の軒先が広いのは、雨宿りの慈悲なんでしょうが」
それに、と時雨は笑う。
「ぼくみたいな若い子と話せて嬉しいでしょうが」
「ばっか言うない」
そんな二人のやかましいやり取りは、風雨の音にかき消された――。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功