taste of memories
●新涼来たれば
食欲の秋。
「それにしても、よく食べるね」
季節のメニューを制覇した常連を前に、アルバイト中の|青柳《あおやぎ》・サホは感心しながら皿を下げていく。
「美味しいからですよ」
対して、グラスの水を傾ける常連──|饗庭《あえば》・ベアトリーチェ・|紫苑《しおん》は満足そうに微笑む。|大きさ《・・・》で言えば少女と代わり映えのしない、スレンダーなその身体のどこにこれだけの質量が収まるのか。
「付け加えるなら、私は食べても太らないので?」
透けた身体を左手で軽く撫でながら、紫苑は得意げに続ける。そう、大きさは少女と変わらないものの、その|カタチ《・・・》はかなり変わっていた。透明で、花が見えて、他の部位とは金継ぎされたように結合されている──ハーバリウムのような身体。
「それにしたって、食費はかかるでしょ?」
「もしかして、私が毎食外食してると思われてます?」
想定していない言葉に、一瞬フリーズをする。
「紫苑ちゃん自炊するの!?」
「しますよ。言ってませんでした?」
言っていたような気もするし、初耳のような気もする。
「サホさんこそ、一人暮らしでしたよね」
「う、うん。そうだよ」
「得意料理とかあります?」
いくつかの前提をすっ飛ばした紫苑の質問がサホに突き刺さる。
一応レシピを見ればちゃんと作れるものの、得意料理を言えるほどの経験値が絶対的に足りていない。
故に、あたふたと、サホがその回答が中々導き出せずにいると、対して徐々に半眼になっていく紫苑。
「もしかして、メシがマズな……」
「違う違う、違うよ紫苑ちゃん」
今まで築き上げた信頼に傷がつきそうになっている。
そんな予感を抱きながら、サホが正直に事実を伝えると、紫苑は決して笑うことなく最後まで話を聞いて。
その後しばらく一人で頷いたのちに、ひとつ、サホへ提案をしたのだった。
●お茶会しませんか?
後日、紫苑はサホの家を訪ねていた。
目的は単純明快で、一緒にお茶会をすること。ひとつ条件を付けるとするならば──
『自分たちで作ったお菓子でお茶会をしませんか?』
すなわち自炊。料理初心者であるサホに、紫苑がお菓子作りを教えるというお話。
「これは、広いですね。元々ファミリー向けのお家だったんですか?」
それに、サホさんらしいお洒落な部屋、というのが紫苑の印象。インテリアは色調が統一されていて、床には物が落ちていない。きっと、気を遣っているのだろう。
「そうそう、一人暮らしにしては結構大きいお部屋でさ。キッチンもこんなに広いんだよね」
「おお、これは……」
その言葉の通り、コンロは三口でグリルも備え付き。ワークトップも広く、まな板を広げてもなお材料を色々と並べることができそうで、その他シンクも収納もバッチリ。
「これだけしっかりしたキッチンなら大抵のものは作れそうです! きちんと綺麗にされていますね」
「へへ」
照れたように笑うサホの隣で、グリルを開ける紫苑。
「──まるで、|新品《・・》のよう」
うっ。
あの目だ、とサホは感じた。しかし事実は既に話しているのだからダメージは少ない。
「えーと。今日は何つくろっか」
「何でも美味しい季節ですがやはり旬のものが一番おいしいのです」
人差し指を立てて、教師のように紫苑。秋で旬のものと言えば、林檎、葡萄、栗……。
「あとお芋もおいしいよね。あ、大学芋とか久々に食べたいかも」
候補が並んでいくうち、思い立ったようにサホ。
「大学芋ですか」
ふむふむと考え、やがて肯定。
「大学芋は簡単ですし、初心者向けですね。良いと思います!」
「わ、ほんと?」
「ええ、特別な調味料はいりませんし、冷蔵庫の中を見せてもらっていいですか?」
足早に冷蔵庫の前に立ってオープンセサミ。キッチンに比例した大きさの冷蔵庫の中は──
スッカスカだった。
「うわっ」
あの目だ。
「いやキッチンが大きかったから気合い入れて大きな冷蔵庫入れたんだけど結局一人暮らしだからやっぱり持て余すというか消費期限のこと考えると食材も中々」
「すごい早口じゃないですか」
ちなみに豆知識だけど、冷蔵庫はある程度モノが入っていた方が電気代の節約になるらしいですよ。
●思想の強さは料理の旨さ
かくして、大学芋のためには何が必要で、何が足りないのか。
「必要なのはまずお芋だよね」
スマホでメモアプリを立ち上げながら、サホは材料をひとつずつ打ち込んでいく。
「お芋は何のお芋かわかりますか」
「……サツマイモでしょ?」
何か試されているのか。慎重にサホが答える。
「ええ、正解です」
その答えに対して、紫苑は肯定。ただし、
「サツマイモでも品種によって特徴が異なります」
「えぇ……」
曰く、使用する芋によって、ほくほく系かしっとり系か系統が分かれるのだと。
「ほくほく系が好きならば紅あずまや鳴門金時でしょうか。しっとり系がお好みであればシルクスイートや紅はるかがオススメです」
「今紅なんとかって2回言わなかった?」
「似てますよね。間違えやすいですし、食べ比べるならばどれがどの品種か分かるようにしてメモっておきましょう」
似たような名前に眉をしかめながら、名前があがった品種を打ち込んでいく。
「あとは、調味料も確認しましたが、お砂糖が必要ですね」
「え? お砂糖だったら家にあるよ」
立ち上がると棚からファスナー付の袋を持って、戻る。
「ほらこれ、カロリーゼロっていうのを見つけたから」
「サホさん……」
しかし、紫苑は冷たい瞳でそれを否定する。
「カロリーゼロというのは欺瞞です。それは砂糖本来の甘味ではありません」
「思想強くない?」
砂糖に対する思想の強さに慄いていると、紫苑はさらに言葉を続ける。
「そもそも、カロリーを恐れることがおかしなことです。カロリーがあるから、多幸感を得ることができる」
「でも、カロリーをとったら太るじゃん……」
真っ当な反論をするサホ。しかし、
「私は太らないので」
ハーバリウムの身体を指し、横暴すぎる|Q.E.D《証明終了》により一方的に議論が打ち切られる。
「あれ、これ塩分カットとか全部そういう話になる?」
「少なくともマーガリンはバターにします。サホさんはもう少し太ってもいいと思うので」
「紫苑ちゃん? 大学芋を作るんだよね?」
材料の調達は困難を極めた。
サホ宅の調味料をすべてフルカロリーに入れ替えようとする紫苑と、大学芋に必要な調味料だけに抑えたいサホ。
結果として、今回は市販のタレを使用するということで双方歩み寄る形となったのだった。
●作って学ぼう!
「まずは材料を切っていきましょう」
今回の目的のひとつはサホに調理を教えること。故に、メイン調理はサホに譲るようにして、紫苑は洗った芋を手渡す。
「はい紫苑先生。まずは乱切りだよね」
猫の手、とつぶやきながら、慎重に芋に包丁を入れていくサホ。やや小ぶりな芋は特に包丁を拒むこともなく、ストン、ストンとその身を切り落とされていく。
「あの、乱切りでもある程度大きさは揃えたほうが良いですね」
揚げ時間にムラが出ないので、と紫苑の声が隣から消えてくる。
「揃えたが良い」とは言っているが、これは「揃えてください」のさらに丁寧な言い方。思わずサホの背筋が伸びる。
「お芋はまだありますからね。それはシルクスイートのボウルに入れてください」
言われるがまま、切り終わった芋をボウルに入れると、新たな芋と引き換えに紫苑へとそのボウルを手渡す。
「次の工程は水にさらすんだっけ」
「はい」
ふと思い立つ疑問。
「アク抜きのため?」
「それもあります。変色を防ぐ目的もありますが、何より揚げる際はでんぷん質が邪魔になるので」
でんぷん質が残っているとベタっとした仕上がりになると紫苑。
「でんぷん質は水溶性なので、水に浸けると取り除けるわけです」
「へー」
得心。料理は化学であることを体験しながら学んでいく感覚。
繰り返し大きさに気を付けながら、何本の芋を切り終えただろう。
ゾーンに入っていて気付かなかったけれど、二人でこの量を食べきれるのかという気持ちになってくる。
でも、それは杞憂。隣にいるのは「健啖家」なのだから。
「そして、ついに『揚げて』いくんだね」
料理初心者にとって越えがたき壁、揚げ物。
その壁を前にして、気持ちが昂るサホ。
「はい。折角なので『二度揚げ』をしていきましょう」
二度揚げ。一度だって揚げたことが無いのに?
「何も難しいことはありません。一度低温で揚げてから、高温でもう一度揚げる作り方です」
「一度だけじゃダメなの?」
サホの疑問に対し、うーん、と悩む素振りを見せる紫苑。
「ちょっと手間ですけど、そのひと手間で全然変わりますから」
騙されたと思ってやって見て下さいな、と。真剣なまなざしで念押しまでされれば、断れない。
「えっと、じゃあ低温って何℃?」
「160℃ぐらいですね」
100℃を超えて「低温?」という顔をするサホ。
「高温は180℃です」
その心情を知ってか知らずか情報を追加していく紫苑。
「幅が意外と狭いんだね」
「気温で考えると割と違いますけどね」
深いことは考えないことにして軽口に興じれば、ようやくとサラダ油を手に取って。静かに、ゆっくりと鍋に注ぎ入れる。
「少ないです」
「えぇ……」
注がれた油の量を前に、静かに注意する紫苑。
「揚げるっていうのは焼くんじゃないんですよ」
「でも、カロリーが……」
「カロリーが何か?」
宗教か何かか。教義に反した行動は決して見逃さない。
やむを得ず「良い」と言われるところまで油が注ぐと、その表面には不安そうなサホの表情が映り込んだ。
「油が少ないと温度が下がりやすくなりますから、きちんと理由はあります。さあ、火をつけましょう」
言われるがまま、火をつけて暫く待つ。
「そういえば温度ってどうやって計るの? 温度計ないんだけど」
「湿らせた菜箸を油に入れてみましょう。細かい泡があればOKです」
言われた通りに菜箸を入れる。果たして、細かい泡が箸の先から次々と浮かび上がってきた。
「あ、大丈夫そうだから……よし!」
覚悟を決めたような意気込み。しかし、油跳ねが怖いのか。箸の先の芋を、なるべく鍋より遠くの距離から落とそうとするサホ。
「そんなに高くから落としたら油が跳ねて危ないですよ」
「でも、低いと手に当たりそうだし……」
「こういうのは低い位置からドバっと入れたほうが安全です。一回お手本を見せましょうか」
芋の入った容器を受け取ると、紫苑はそのまま躊躇もなく、一気に中身を流し込む。途端、シュワシュワと油の鳴る音がキッチンに響き渡る。
「こうやって一気に入れて、すぐ離れれば安全でしょう?」
おお、というサホの感嘆。さすが経験者といった手慣れた所作に自然と拍手。
「5分ほど待って、一度上げましょう。そして次に別のお芋です」
工程としては、一通り一度揚げを終えてから二度揚げを始めるらしい。
やがて5分待って、初回の芋を取り出して。
「よし、じゃあ今度こそ!」
意気込むサホが隣を見ると、いつの間にか距離をとっている紫苑。
「どうしてそんな離れてるの?」
「いえ、特に理由は……お芋の水気が拭ききれてなさそうで、油が弾けそうなんて、まったく」
ちゃんと言ってよ、というサホの言葉は油の音にかき消された。
●実りとは食に限らず
「で、できた……!」
「おめでとうございまーす!」
油が盛大に跳ね散らかしたり、市販のタレが勢いよく焦げ始めたりというトラブルはあったものの、二人の目の前にはこれでもかと言わんばかり、照明の下で琥珀色に輝く|黄金《大学芋》の山々。
「紫苑ちゃんのおかげだよー。ありがとね」
「食べてもないのにお礼は早いですよ。ささ、あったかいうちに食べましょう!」
そう言って示されたダイニングテーブルの上にはいつの間にか食器が並んでいる。それはサホが調理に集中している間、紫苑が食器棚から手探りでセッティングしたものだった。
「い、いつの間にかまな板とかも洗われてるし……これが上級者?」
「料理は段取りですからねー」
大学芋の山を両手に持って、事もなげにささっと席につく紫苑。
「あっ、お茶は何がいいかな? なんでもあるけど……私は日本茶にしよう」
「じゃあ私も日本茶で」
「うん、了解」
しばらくして、二人分の湯飲みと切り分けられた栗羊羹がテーブルへと運ばれる。
「どうしたんですかそれ」
「失敗した時に備えて……」
「私のこともそうですけど、サホさんは少しはご自身のことも信用しましょう」
年下の女子に窘めながら、あははと笑い手を合わせて。まあまあと謝りながら、ここはひとつ。
「「いただきます」」
一口かじれば、その中身はまだ熱をもったまま。ほくほくとした断面からは白い湯気が立ち上っている。これはえーと、どのお芋だっけ。ほくほく系の大学芋。
「わ、すごい。おいしい」
「うんうん、ちゃんとカリカリに仕上がってますね」
二度揚げの手間をしっかりと感じる出来に、二人の表情は花が咲いたように明るくなる。香ばしい匂いは何より、カリカリとほくほくという食感が楽しく、ちゃんとまとわりついたタレがお芋本来の甘味を力強くアシストしている。決して過剰ではないタレは企業努力の賜物か、思いのほか上品な仕上がりに、自ずと見合わせた顔には笑みが浮かんで。
「秋だ。秋を感じる~」
「これはいくらでも食べられますね」
きっと比喩ではないのだろうその感想は紫苑からの最大の賛辞と思えた。
「でも、お芋から大学芋は少し意外でした。スイートポテトとかもありますよね」
「ああ、それは……実家のおばあちゃんがよく作ってくれてて」
思い出補正で浮かんできちゃったと、サホは笑う。
「子供の頃の思い出の味なんですねぇ」
素敵な話だと紫苑は納得したように頷いた。それから湯飲みを両手で傾けると、遠くを見るようにして。
「うちは核家族でしたし、家族との関係も希薄だったので」
ぽつり、と言葉を漏らす。思い出の味という定義を慈しみ、また羨むように。
「じゃあ、思い出の味はこれから作っていけばいいんじゃない?」
だからこそ、そんなサホの言葉に目を丸くして、それから少し顔を紅潮させて。
「……それ、いいですね。今度は私の家で何か作りますか」
おかず系はバリエーションいっぱいあって損はありませんから、と紫苑は嬉しそうに。
確かに、なんて簡単なことを見落としていたのだろう。思い出を作る相手は家族に限られないし、過去だけのものでもない。作ろうと思えばいつだって、今日みたいに作ることができる。
「おかずは、低カロリーのものがあるといいかな」
「サホさん、まだご理解いただけていないようですね……」
長くなりつつある夕べのおかげで、まだまだ楽しいお茶会は続く。
──思い出の味、これからも増えていきますように。
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