秋灯の誘い
赤提灯の列が、秋の宵を照らしている。金魚すくいの水槽に映る炎がゆらゆら揺れ、屋台の鉄板からはソースの香りが立ちのぼる。屋台の並んだ参道は、秋祭りに訪れた人々でごった返していた。
「なるほど、随分賑わっているな」
「さすがにこれだけ居ると見物どころじゃないね。抱えてもらえると助かるよ」
櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)の足元で、月見亭・大吾(芒に月・h00912)がそう訴える。はぐれるだけならまだしも踏みつけられてしまいそうな状況に、湖武丸は急いで彼を抱き上げた。
「こんな感じで良いだろうか?」
「ああ、ひっくり返すと嫌がる猫も多いよ。身動きがとりづらいからね」
「なに? それではどうやって……」
「ああ、まあ今日のところは抱えやすい形で良いよ」
ただ祭りの様子が見えるようにだけしておくれ。半ばされるがままに任せてそう告げる。微妙に苦戦していた湖武丸だったが、とりあえずは納得のいく形に収まったようで。
「ふむ、中々良いじゃないか」
「それはよかった。しかし、こんなところで猫抱っこが実現するとは……」
「話のわかる猫で試せるなんて、こんな機会そうないよ。大事にしなさい」
家に居るお凜を抱き上げる際の参考になるはず――ありがたい話だと湖武丸は頷いて返した。秋風の匂いを嗅ぐように顔を上げた大吾とともに、立ち並ぶ屋台を見渡す。澄んだ夜風に流れるのは焼き鳥の煙だろうか、美味しそうなものはたくさんあるが。
「おや、両手がふさがってしまいましたね? それでは俺が買い物をいたしましょう!」
猫を抱き上げた湖武丸に代わって、四百目・百足(回天曲幵・h02593)が申し出る。今日に限っては浴衣姿をした彼は、袖から飛び出した四本の腕を広げて見せた。
「着物に不自由はなさそうだな?」
「いやあ、助かってしまいますですよ。ここまで気を遣っていただけて」
百足の着ているそれ、紫の生地の浴衣は湖武丸の準備してくれたものだ。それもある意味特異な体形である百足に併せて、袖の部分に大きく切り込みが入っている。
「でも、本当によかったのでございますですか?」
「ああ、兄者達もこれくらいで気を悪くはしないだろう」
そういうのであれば、遠慮するのはむしろ失礼に当たるだろうか、有り難く着させていただくとして――。
「せっかくですから屋台飯を沢山いただきたいところでしょう! 何かお好みのものはございましたか?」
「そうだねえ……」
百足の問いに大吾が唸る。最初に目についたのは、金魚すくいの屋台。提灯の明かりを映して揺らぐ水桶の中で、鮮やかに赤い金魚達がゆらゆらと泳いでいた。
本能を刺激されるのか、瞳孔が獲物を狙う形になり、四肢にわずかに力が入る……そんな様子は、抱き上げているとよくわかるもので。
「大吾、ここで飛び出されるとさすがに困る」
「そんな時のためのこのリボンさ。見失わないようにしておくれよ」
「ステキに目立つのは有り難し! しかし、もしはぐれてしまったらぴえんになってしまいますですよ俺は!」
ううむ、それでは「うっかり」飛び出してしまうわけにはいかないか。爪を収めた大吾を連れて、三人は屋台の続く参道へと歩いて行った。
焼きそば、わたあめ、お好み焼き。より取り見取りの屋台物の中で、彼らが最初に選んだのはやはり人形焼きだった。出かける前から話に上がっていたのだから、自然な流れというべきか。
「すみません一袋いただいて!」
先ほどの申し出の通り、率先して声を上げた百足がそれを買い求め、店主から紙袋を受け取る。
「兄、俺は大吾を抱っこするのに忙しいので俺達に食べさせてくれ」
「お兄さん、あたしにもおくれよ」
「はいはい、こういうときには俺の4本腕が光りますですよ」
袋から取り出した人形焼きをひとつずつ摘まめば、それぞれの腕が三人の口元へと運んでいく。まあ、大吾の方へ伸びた腕に関しては、一瞬戸惑うように硬直したけれど。
「人間の食べ物だけど、あたしゃ猫又だからね。酒だって飲む。問題ないさ」
その代わり、ふたつもみっつもいらないよ。ひとつで十分だからね。そう訴える彼にも人形焼きが差し出されて、三人はそれぞれに甘く柔らかい菓子を味わう。
「兄の腕が4つあってよかったな」
「……しかし、もう一袋買ってもよいスピードで無くなりそうですね……?」
「子供の食べ物って大人が食べても美味しいって思わない? おやつってのはうまくできてるんだねえ」
各々の感想を口にしながら、道行く人々の合間を抜けて、続く屋台をなぞる。さて、次は何を食べようか――。
にぎやかな参道をひとしきり歩き、腹も心も満たされたところで、三人は屋台の列を抜けて山道へと入っていった。
祭囃子の音も遠ざかり、聞こえるのは足元でざくざくと鳴る落ち葉の音ばかり。赤や黄に染まった葉が道の両脇に薄く積もり、踏みしめるたびに乾いた音が秋の夜気に響いた。
「賑やかなのも悪くないが、こうして静かな道を歩く方が落ち着くな」
腕の中の大吾を揺らさぬように気を配りながら、湖武丸が息を吐く。わざわざこうして道を逸れたのは、人ごみに倦んだというわけではなく、この祭りのもうひとつの目玉のため。
「そろそろ紅葉がきれいなところかい?」
「ええ、この辺りでしょう! 紅葉ライトアップ! お楽しみですよ!」
大吾の問いに百足が応じる。さらに歩みを進めたそこは、先に辺りをつけておいた穴場とでも言うべきか。一気に開けた視界の先に、その光景が広がる。
闇に沈んだ山肌を、柔らかな光が下から照らし出し、黄金色と深紅の葉が浮かび上がらせる。紅葉はまるで炎のように揺れて見え、川面に映った影が揺らぐ。
「……雅ですね……」
「ははあ、大したもんだ」
「この√でも紅葉を楽しめる場所があるとは思わなかったな」
こっちの√は山も減っていると聞いたけれど、あるところにはあるもので。湖武丸の言葉に大吾が頷く。眼前のそれを味わうように、しばし立ち尽くしたそこで。
「人間の高さから見る紅葉も悪くないもんだ。ちょっと手を伸ばせば届くんじゃないか」
「大吾、夢中になって落ちないようにするんだぞ」
近くで揺れる木の葉にむかって、大吾がちょいちょいと前足を伸ばす。ひらひらと舞うそれは、巧みにその合間を逃げて行ってしまったようだが。諦めずにちょっかいを出す彼が落ち葉の一枚を捕まえそうになったところで、「ポン!」と軽快な音色が夜風に響いた。
「こちらも一緒に味わっていきましょうです!」
音を立てて落とされたのは、栓代わりのビー玉だ。しゅわしゅわと泡音を立てる瓶を、百足は一本ずつ差し出してみせる。
「ラムネとは気が利くな、兄」
屋台通りから山道の中ほどまで、そこそこ歩いたところには丁度良いか。
付近の石段へ腰を下ろして、湖武丸は百足と共にラムネの瓶を傾ける。
喉を潤す爽やかな香りと、炭酸の刺激。喧騒から離れた静けさの中、ライトアップされた紅葉だけが、燃えるような温度をもって輝いていた。
眩いほどのそれはきっと、印象的な秋の一幕になっただろう。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功