鬼に墓標はいらない
そのコインパーキングは陰鬱な空気に満ちていた。太陽が燦々と照りつけているにもかかわらず、どこか薄暗く、妙にうそ寒い。
「一等地だというのに車が一台も停まっていない……オーナーはさぞかし頭が痛いだろうな」
新人の|警視庁異能捜査官《カミガリ》である|櫃石《といし》・|湖武丸《こたけまる》がゲートを跨ぎ越え、パーキング内に足を踏み入れた。
怪異相手の物騒な職業という点を差し引いても、彼の出で立ちは異様なものだった。帯刀しているのだ。しかも、得物は二本。|打刀《うちがたな》を腰に差している上に長大な太刀を佩いている。
もっとも、帯刀していなかったとしても、異様に見えるかもしれない。額に左右一対の角が生えているのだから。
そう、湖武丸は人間ではない。
人妖の羅刹鬼なのだ。
人ならざる者に反応したのか、車が一台も停まっていない原因――この地に巣くう怪異が蠢き出した。影のような染みが地面のそこかしこに広がり、ゆっくりと盛り上がり、黒一色に塗り潰された人型に変わっていく。|影人《かげびと》とでも呼ぶべき異形の存在。
「六匹か……」
具現化した影人の数を湖武丸は確認した。
「これは複数人で対処すべき案件だよな。なのに、俺一人に任せるとは……分隊長はよほど俺に期待しているらしい」
『皮肉ヲ言エルノハ余裕ノアル証拠ダ』
と、奇妙な声がした。
湖武丸の腰の辺りから。
「ああ、余裕は余りあるほどあるさ。ここで敗れたところで、ただ死ぬだけのこと。ここで死んだところで、ただ生き返るだけのこと」
『度シ難イ鬼メ』
「そう言うなよ。時雨殿だって、本当はこの状況を楽しんでいるんだろう?」
湖武丸の全身から青い霊気が立ちのぼった。
◆
影人たちはそれぞれが名前を有していた。〈壹〉、〈貳〉、〈參〉、〈肆〉、〈伍〉、〈陸〉――序列を表したシンプルな名前。
リーダー格の〈壹〉は他の影人の後方に立ち、高見の見物を決め込んでいる。
その視線に背中を押されたのか、一団の中で最も大柄で最も好戦的な〈陸〉が動き出した。
〈壹〉の視界から湖武丸が消えた。
〈陸〉が湖武丸の前に立ち塞がったため、その大きな後ろ姿に遮られて見えなくなったのだ。
その半秒後。
いや、四半秒後。
〈壹〉の視界に湖武丸が戻った。
〈陸〉が無数の粒子に変じて、空気の中に散り溶けてしまったのだ。
新たに現れ出た湖武丸の姿は四半秒前の状態から変化していた。あまりにも簡単すぎる間違い探し。鞘に収まっていたはずの打刀が右手に握られている。もし、〈陸〉が実体ある存在だったなら、その刀身は血脂に|塗《まみ》れていることだろう。
「全員で一斉にかかってくればいいものを……」
そう言いながら、湖武丸は打刀を鞘に戻した。
「数の利を活かす程度の知恵もないのか?」
その挑発に応じて、〈參〉と〈肆〉が同時に襲いかかった。素早さと力強さを兼ね備えた動き。
だが、湖武丸の素早さと力強さには及ばない。二体の攻撃が届くより先に彼は抜刀していた。
今度のそれは打刀ではなく――
「出番だ、時雨殿」
――太刀のほうだ。
長さ一メートル弱もある白刃が鞘から解き放たれる様は、巣穴から飛び出す大蛇を思わせた。銀色の軌跡が宙に刻まれる様は、白昼の空を飛ぶ流星を思わせた。
その大蛇/流星に触れた〈參〉と〈肆〉が雲散霧消した。打刀による居合いの一撃を浴びた〈陸〉と同じように。
数秒間の死闘が繰り広げられている間に〈貳〉と〈伍〉は湖武丸の両側面に回り込んでいた。左右からの挟み撃ち。
湖武丸は迷う素振りも見せずに〈貳〉に向き直り、手の甲を相手に向ける形で右腕を顔の前に掲げた。
次の瞬間、黒い錐状の凶器――槍に変形した〈貳〉の片手が湖武丸の前腕部に突き刺さった。攻撃を避け損なったわけではない。頭部を狙った一刺しを腕で防いだのだ。
「言っておくが、俺の武器は――」
湖武丸の全身から立ちのぼっていた青い霊気が暗雲に変じ、彼の姿を覆い隠した。
「――刀剣だけじゃないぞ」
暗雲から紫の稲妻が走り、〈貳〉を激しく打ち据え、消し去った。腕を刃に変えて背後から斬りかかろうとしていた〈伍〉もろとも。
放たれたのは稲妻だけではない。鬼火が暗雲を突き破り、最後の一体である〈壹〉めがけて一直線に突進した。
〈壹〉は真横に跳ね、それを躱した。確かに躱した。
だが、躱し続けることはできなかった。
鬼火は鎖の形を取り、動きを直線から曲線に変えて追尾し、遂には〈壹〉の黒い体に絡みつき、螺旋状に拘束した。
「捕まえた」
暗雲が晴れ、湖武丸が再び姿を現した。
〈壹〉は己の死を悟った。
◆
鬼火に拘束された〈壹〉を斬り捨て、太刀を鞘に戻した時――
「櫃石! 大丈夫か!?」
――切迫した声が背後から飛んできた。
振り返ると、こちらに駆け寄ってくる男が見えた。同じ分隊に属する異能捜査官だ。
「やあ、先輩」
遅すぎる援軍に向かって、湖武丸はなに食わぬ顔で会釈した。
「血相を変えて、どうしました?」
「いや、どうしたもなにも……おまえが一人でのこのこと現場に行っちまったと分隊長に聞いたから、慌てて駆けつけてきたんだよ」
「べつに好きで一人でのこのこと出動したわけじゃありませんよ。分隊長の命令に従っただけです」
湖武丸は右腕の袖をまくり、片手だけを使って、傷口に包帯を巻き始めた。
「ここに複数の怪異がいることを分隊長は知っていたんでしょうかね? 知った上で俺だけを行かせたのだとしたら、パワハラもいいところですよ。知らなかったのだとしたら、無能と断じるしかありません。まあ、なんにせよ、この件は上層部に報告させてもらいます」
「……」
先輩は言葉を失っていた。得体の知れぬこの新人に完全に気圧されている。
「近いうちに分隊長の首がすげ替わるかもしれませんね」
先輩の顔が青ざめた。『首がすげ替わる』という言葉を聞いて、湖武丸が分隊長の首を(物理的に)刎ねる光景が思い浮かんだのだろう。もちろん、それは決して有り得ない光景だが。
「では、お先に失礼します」
有り得ない光景を想起させた羅刹鬼は包帯に雑に巻き終えると、顔面蒼白の先輩を残して、その場を後にした。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴 成功