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 存在意義、存在理由。
 エメ・ムジカにとってそれらは殆ど同義であった。
 即ち、かつて天使に乞われ願われ、約束をしたことでムジカは今のムジカとしてここに在る。その存在そのものが二人の祈りと約束が生んだ奇蹟で、これはその軌跡に纏わる物語。

●Side:A
 昔、『Aimer Musica.』と呼ばれたひとつのぬいぐるみがあった。精緻で愛くるしいその造形から、誰か名匠が丁寧に手掛けた品だとまことしやかに囁かれていたが、記録に残るものは何もない。ただ、作り手の愛と情熱を示すかの様な画竜点睛、兎らしい赤い瞳は大ぶりな二粒のルビーが彩っていた。
 その宝石の瞳に見つめられていると、不思議な気分になると人々は言う。何処か見透かされている様な、そのくせ温かく見守られている様な、古い友人と懐かしく向き合う時の様な心地だと形容をする者も少なくはない。兎も角、この黒兎のぬいぐるみがただのぬいぐるみではないことを皆が確信をする程度にはルビーの瞳は雄弁だった。
 あのルビーの宝石目には不思議な力がこめられている。誰かがそう言い出した時、誰も異を唱える者はなく、いずれ周知の事実となって語り継がれる。
 だが、誰もその不思議な力の謂われを知らない。その起源はかつてこの黒兎の最初の持ち主、とある歌うたいの天使が願いをこめて掛けたまじないだ。それに|このぬいぐるみ《Aimer Musica.》が応えて発現させた力だ。
 もうどれだけ前の世のことか。黒兎の日常は溢れんばかりの楽の音に、愛する天使の歌声に彩られていた。その始まりは覚えない。愛しき日々は最初からずっとそうであったかの様に気付けばそこにあり、故にこの先も続いて行くと思われた。
 天使は大道芸人として姉と生業を立てていた。吟遊詩人として歌を唄い、各地を渡り歩いては多くの人々に歌で寄り添い、歌で癒した。歴史に譜を刻む様にして、その歌を各地に響かせた。
 戦乱の世だ。幸いにも戦火から遠く暮らしている者もないではないが、戦で家族を喪った者、安住の地を追われ明日に不安を抱く者らは数知れぬ。それでも、誰もが生きねばならぬ。そんな憂き世で天使の歌は全ての者に寄り添った。今を幸せに生きる者たちには、その幸いに一層の彩りを添える華やかなアリアを。明日を憂える者たちには、生への希望を思い出させるかの如き明るい讃美歌を。それから戦で命を落とした亡者たちには、その無念ごと包み込む様な優しい鎮魂歌を。
 生あるもの、既に生を終えたもの、全ての命に寄り添う天使の在り方を黒兎は大好きだった。彼女の歌に人々が歓声を上げ、或いは静かに涙を流し、口々に想いを零すのを見守ることが好きだった。天使は人々の声に耳を傾け、祝福や励ましの言葉を掛けて、興行を終える頃には多くの笑顔に見送られた。
 彼女の歌を聴いた誰もが、その笑顔を向けられた誰もが、まさしく彼女は天使だと囁き合った。背中に翼持つ種族としてのそれではない。神が、音楽で民草を導く為にこの下界へと遣わし給うた、読んで字の如く天の使いだ。彼女に救われた者たちは皆、燦然と陽を返す白髪に、いつも柔らかにやや細められた淡い紅色の瞳に、仄かに恋をしていたと言っても良いのやもしれぬ。それは生々しい色恋や情念の類ではなく、幼子が頼れる年長者に抱く慕情に近い類のものとして。
 無理からぬことだ。彼女は神に愛されていた。人の子たちに愛されるのも必然だ。そうして神に愛された者と言うのは往々にして短命である。天使がそれをいつ自覚して確信したかは解らぬが、早くから予感はあったのやもしれぬ。
「ねぇ、ムジカ。ムジカにお願いひとつ……してもいい……?」
 比較的平和な町での興行帰りのことだった。先刻俄かに降ってすぐ止んだ夕立ちの雨の匂いが仄かに漂う中で、天使は夕暮れの中を歩いた。そうして町を見下ろす小高い丘の教会の庭のベンチに腰掛け、ゆっくり口を開いたのだ。
「……ムジカはわたしよりずっと……このさきの時を渡るとおもうから……ね? どうか、わたしの歌を……遠くどこまでも届けていってほしいの」
 黒兎の頭を撫でながら、躊躇いがちなソプラノは何処か相応しい言葉を探す趣がある。それは決して誤魔化さぬよう、繕わぬよう、全てを伝えようとしている誠実さだと黒兎には感じ取られた。
「この約束はあなたをひとりぼっちにしてしまうかもしれない。あなたの力の及ばないところで、いつか道半ばで途絶えてあなたを悲しませてしまうかもしれない……」
 寂しそうに、申し訳なさそうに語って、暫しの沈黙。やがて黒兎を正面に抱き上げて、真っ直ぐにその宝石目を覗き込みながら語り掛ける天使の眼差しは酷く優しい。
「それでも……遠く離れた大切なひと達が笑顔でいられるように……。この願いを、わたしの歌をいろんなところに届けてほしいの。ながくながく……時を渡るお星さまのように」
 黒兎にとって酷な願いだと、天使は理解をしているのだろう。だが、意を決した様に語るその様を見て、否、見ずとも黒兎の答えは決まりきっていた。
”ぼくに、まかせて!”
 ぬいぐるみは喋れない。だが、紅玉の宝石目を煌めかせて、黒兎は確かにそう約束をした。ありがとう、と微笑んだ天使の肩の向こう、夕暮れの空にかかった淡い虹がある。それをも含めてこの時のこの一場面、黒兎はおそらく終生忘れまい。
 天使の残した約束の重さを黒兎が真に理解したのは、彼女が世を去った後である。齢三十余、皆に惜しまれながらのあまりにも早い別れであった。
 言うなればあの約束の日、黒兎は安請け合いをしてしまったのだ。何も知らなかったのだ。あの時はまだ「ずっと最初の持ち主の元に居た」、「最初の持ち主のことしか知らなった」黒兎には、喪失の深い悲しみも、彼女が懸念をしてくれたひとりぼっちになることの寂しさもどうしたって知るべくもない。
 それらをこの今理解したとて、ぬいぐるみは涙ひとつも流せない。魂はある。心もある。故に引き裂かれる程に心が痛むのに、黒兎にはそれを言葉にすることすらも能わない。
 だが、約束はした。してしまっていた。故に天使は自らの歌を楽譜に1曲だけ遺し、それを黒兎と共に人から人に託すようにと誰かに遺志を伝えていたらしい。最初は己に音楽を教えてくれた恩師の元へ。大切な教え子の残した大事な曲を、恩師は必ず遺してゆくと誓ってくれて、妻に、子に、折に触れてはそれを伝えた。事実、天使が残した調べは何世代にも渡って受け継がれ、徐々に徐々に世に広まった。
 黒兎はその調べを、歌を、常に傍らで聴いて居た。喪失の悲しみはいつまで経っても消えてはくれず、あれほど大好きだった彼女の歌すらも、耳にする度に胸が張り裂けそうだった。
 約束をした以上聞き届けなくてはならないと、己を叱咤したこともある。だが、どうしても耐えられなかった。
『永遠にも思う遠く離れたあなたへ この歌ならば届くと信じてる』
——Croire aux miracles.
 希望に満ちた歌詞、歌い継ぐ者たちの誰もその力を信じている。出会いと別れを繰り返す人の縁は儚いものなれど、歌が綴ってゆく軌跡が、大切な誰かへと届く奇跡を信じた歌であり、それを信じた彼女の遺志だった。
 奇跡は巡る、軌跡は終わらない、それを傍らで見届けて欲しいが為に天使は楽曲と共に黒兎を人の手に託すことにしたのであろう。そうと理解しながらも、だが、哀しみに沈む黒兎の意識は徐々に滲んで掠れて行った。もういっそただのぬいぐるみになりたいと、意識も思考も手放してしまいたいと言う心の何処かの叫びに応えるが如くに。
——るりら るりらら……。
 優しい歌を耳にしたのは、どれだけ経った頃であったか。
 懐かしくて暖かい歌声、天使の夢を見ているのだと眠い頭で考えた。だがそれが現実の歌声だと気付いて、ぱっと心の瞳を開く。
 やはり天使かと、やはり夢かと考えたのは、彼女と同じ白い髪を目にして。だが、彼女ではない。優しい紫水晶の瞳は完全な初対面。黒兎が見つめ返していることに、相手――少女は気付いたか、静かに優しく語り掛けてくれた。
「……はじめまして、ムジカさん。今日から、わたしがあなたの家族になります。ジゼルといいます。歌と魔法が好きなエルフです」
 何を言われているのか最初は理解が出来なかったが、彼女が次の持ち主になることを黒兎は理解して、不思議と安堵を覚えてもいた。一人にしないと、ジゼルは力強い言葉で伝えてくれた。黒兎に心があることをジゼルは理解してくれて、寄り添おうとしてくれた。だからだろうか? 彼女の腕に抱かれるのはとても居心地が良くて、心強い。
”ありがとう、ありがとう。やさしいエルフさん。ぼくのあたらしい家族”
 黒兎は今度こそ幸せになるはずだった。そうしてずっと幸せで居る筈だった。ただの不思議なぬいぐるみとして、長命の彼女の傍にぼろぼろになるまで寄り添う筈だった。
 だが約束も、軌跡も奇蹟もまだ終わらない。

●Side:G
 ジゼル・ノーヴァの家系は生っ粋の音楽家の家系であった。家系図にも、作曲、演奏、歌唱等それぞれの分野にて著名な者たちが名を連ねる。
 皆が皆好きな形で音楽に関与して、思い思いの方法で音楽を愛でる一族で、誓いにも等しい絶対の決まりはただひとつ。まるで吟遊詩人の様に、ある一曲の歌を語り継いで行くと言うことだ。
 幼少に初めて耳にしたその旋律を、ジゼルは度し難いと感じた。心がぎゅっと切なくなる様で、だが懐かしく温めてくれる様でもあり、いずれにしても心の柔らかな部分に触れてくる類の歌だった。そうして、聴き終えた後には不思議と気持ちが上向いている様な、人々に希望を与え導く明るい綺羅星の様な曲でもあると、そう考えた。
 この歌は、とある歌うたいが生涯をかけて大切なひと達に伝えたいと願った歌であると言う。もう何代も前の話だ。伝えたい相手が存命であるとも限らぬし、仮に存命であったとて何処に居るかも解らない。それでも皆が切実に歌を護り続けて来た。短命であった件の歌うたいが懸命に遺そうとして恩師に託したその歌が彼女が生きた軌跡そのものに思われたのは無論、何よりの理由である。加えて、いつか人が生まれ変わるという百の巡りのその後にこの歌が何者かに伝われば良いと、歌の力と可能性に夢をみた、音楽家らしいロマンと希望がもうひとつ。その意味でも、この歌は確かに人々に希望を与えている。
 ジゼルは√能力者として数多の世界を飛び回る。それは能力者としての使命であることは無論、ジゼル個人の興味もあった。いつかどこかの世界で出会う誰かが、あの歌を知っているかもしれない。故に世界を渡り歩きつつ、歌を披露する場があれば必ずあの歌を唄ったし、依頼の帰りは鼻歌に口ずさんでいた程だ。一人でも多くの誰かにその歌が届けば良いと、無邪気にそう願って居た。畢竟、歌が誰に届いていたかのその顛末を、この頃の彼女は未だ知るべくもない。力ある歌、人々に希望を齎す歌をよもや疎ましく思う者の存在などジゼルは夢にも思わねば。
 そう、ジゼルは心優しく純真だ。だからこそ家系が受け継ぐ黒兎のぬいぐるみを目にした時に、彼が抱く孤独と悲哀をすぐに察した。彼の瞳に魔法がかかっていることなどは魔法使いの彼女には火を見るよりも明らかで、意識もしない一方で。
 何故だかジゼルの家系の皆、必然とこのぬいぐるみがAnkerとなるという。だが、この悲しみを目にしては、誰もこの彼と心を通わせることはなかったのであろうと解ってしまって、胸が痛んだ。他方で、自分こそは彼と魂が結ばれているのだと言う不思議な確信がある。
 かの歌を作った歌うたいもまた、元は孤独な生まれであったと聞き及ぶ。一人世界を彷徨って恩師に出会うまでは心を閉ざしていたと言う。であれば、孤独であった彼女が愛したこの黒兎、同様の孤独の中に居るのだろうか。そう考えた刹那沸き上がった感情は、己が守ってやらねばと言う使命感。
 そっと黒兎を抱き上げて、継承された歌を紡いだ。彼を起こすにはこの方法しかないと思えた。
「……はじめまして、ムジカさん。今日から、わたしがあなたの家族になります。ジゼルといいます。歌と魔法が好きなエルフです」
 語り掛ける言葉を受けて、戸惑う様な気配がある。
「わたしは、不思議な力を持っています。あなたの歌うたいさんの歌を継いだその日から。だから、あなたの心がその眸から伝わってきます。――なのでムジカさん、もう寂しがる必要はありません。これからはずっと……わたしがあなたのそばにいます。わたしは、こう見えて長寿の種族なので、ムジカさんをひとりにしない自信があります」
 何と饒舌かと己で思う。正直に言うならば、何を話して良いか解らなかった、故の饒舌さであるとも言える。ただ、ひとり孤独に耐えて来た筈のこの存在をただ安心させてやらねばならないと考えて、その為にひとつでも多くのことを急いで伝えたかったのだ。
 かの歌うたいは確かに短命だったのだろう。だが、奇遇にもジゼルはエルフである。長命種として生まれ落ちた身でこの子を承継することは必然めいている。
 黒兎は答えない。当然だ、ぬいぐるみなのだ。
 だが、ジゼルには彼の安心したような聲が聴こえた気がした。幼子のような無邪気なその反応、少年の様で可愛らしい子だと言うのが率直な印象だ。そんな子が長くひとりで悲しみの中に居たのなら、耐えた分だけこの先で報われなければならぬだろう。
「うん。共に生きてゆこう。わたしは√能力者でね? いろんな所を旅しているんだ。きっとこれから楽しい時間になるよ。君は泣いてる暇なんてないくらい、わたしと旅をするんだから」
 嬉しそうに楽しそうに、ころころと笑う気配。心を開いてくれたと言うより深く、魂を通わせたのだと不思議と理解が行った。嬉しくなってジゼルも自然と笑う。
 大丈夫。何とかなる。
 エルフの寿命は長いから、そう簡単に孤独にはしない。わたしと一緒に歌をうたって、魔法の研究をして、色んな場所に旅をして、たくさんの人と触れ合って……楽しい想い出を作ろう。
 呼びかける様に、己に言い聞かせる様に、だがそれは確かな誓いであった。
 約束通りに二人で旅をして時を重ねた。悲しい記憶を消すことは出来なくたって、再び笑顔に戻れるくらい楽しい想い出を積み上げた。それはかつて天使が歌で人々にしてあげていたことだと黒兎はある日思い至って、仄かな幸せを覚えたりした。それは魔力を通じてジゼルにも伝わり、二人、幸せを噛みしめた。
 もう大丈夫。もう怖くない。だってこんなに幸せなのだから。
 そう信じるジゼルは知らない、己に迫る魔の手の存在を。

 二度目の別れの悲しみが、黒兎に力を宿し、新たな奇蹟を起こすまで、あと——。
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