ふたりのさがしもの
それはある日の昼下がり、めっきり冷たくなってきた秋風が舞い、古びた街灯の並んだ通りの端で、コイン・スターフルーツ(人間(√EDEN)の妖怪探偵・h00001)は足を止めた。今日は既に一仕事終えて、気兼ねなく帰るだけではあったが、気付いてしまったものは仕方がない。
点灯するその瞬間を待っているような、掠れた色の街灯の下に、少女がひとり立っていた。目を惹くのは明るいオレンジ色の長い髪、そしてその間から伸びたウサギの耳が、力なく垂れ下がっている。弱っているというか困っているというか、職業柄そういうものに敏感なコインは、様子を見ながら少女の方へ歩み寄って。
「何か困ってる~?」
驚かさないように、できるだけ落ち着いた声音で問いかけると、涙をためた藍色の瞳がこちらを向いた。
「あ、あた……あたし、ここどこぉ……!」
やっぱり迷子だったらしい。声をかけてもらった拍子に緊張の糸が切れたのか、女の子が泣きじゃくり始める。大丈夫だからね、と頭を撫でて、ハンカチで涙を拭ってあげて、少女の前に膝をついたコインは、落ち着いてもらうために、まずはそれを差し出した。
「ほらっ! これでも食べよ~ねっ?」
「わぁっ、チョコだ!」
金色の包み紙のコインチョコレート、甘い香りはやはりこういう時には効果覿面だ。泣き止んでくれた少女の様子に、コインは安堵の息を吐く。
「お姉ちゃんね、このチョコと同んなじ名前。コインっていうの!」
「コインちゃん? あたしはね、ゆらって言うの」
宮部・ゆら(|十六夜《あの月》に届け・h00006)、そう名乗った少女に改めて視線を合わせ、コインは言う。
「お姉ちゃん実は探偵なんだ。困ってることあるならなんでもいいなよ!」
「えっと……帰り道がね、わからなくなっちゃったの」
「そっかぁ、じゃあ一緒に探そう!」
探し物は得意だから安心してね、そう笑いかけて。
「ゆらちゃんはこの辺りをよく通るの?」
念のための問いかけに、ゆらは首を横に振って返す。半ば予想はついていたが、見覚えがないのは『この辺り』というより、『この世界』そのものなのだろう。ここ、√EDENと別の√は、場所や時間の法則性もなく突然繋がってしまうことがある。今回の場合、ゆらの√と繋がる扉が発生したか、元からあるかして、彼女は何かの拍子にその境界を越えてしまったのだろう。
であれば、ゆらの越えてしまった境目を逆に通れば、元の場所に戻ることもできるはず。
「どっちから来たかは覚えてる?」
「それは……あっち、だったかな……?」
うんうん、と笑顔で返しながら、あんまり覚えて無さそうだとコインは見て取る。まあ、初めて√を渡った迷子に冷静でいろというのも無理な注文か。
「じゃあ、ちょっと行ってみようか。ゆらちゃんの知ってるところに出たら教えてね」
「う、うん」
コインの差し出した手を、おずおずとゆらが握る。帰り道を探して、二人は夕暮れの街を歩き始めた。
「ゆらちゃん、道に迷っちゃったかもって思った時、周りに何があったか覚えてる?」
目印があると助かるんだけどなあ、と問いかければ、「うーん」とゆらが首を傾げる。
「建物とか、看板とか、音楽が聞こえたとかそういうのでも良いよ!」
ゆらの歩幅と、迷子になってしまった戸惑いを思えば、彼女の通ってきた√の境界は近くにあると思って良いだろう。このまま周囲を歩き回っていれば偶然行き当たるかもしれないが、やはり手がかりがあった方が話は早い。
「なんだか、美味しそうな匂いがしたような……?」
「ふぅん?」
一般的な家庭では食事の準備をするにはまだ早い時間だ。そうすると食べ物を扱っている店の近くを通った、ということだろうか。雑談という形で記憶を手繰ってもらい、出てきた情報から思考を進める。何だか仕事の延長のようになってきたが。
「ほかに気付いたことがあったら何でも言ってね!」
頭の中に描いたこの辺りの地図と整合を取りつつそう言うと、ゆらはきょろきょろと周囲を見回す。コンクリート製のビルや塀、ネオンの看板、そういったものは彼女の出身地でも珍しくはないようだが、ふとその視線が空に向かう。
「ここにはドラゴン飛んでないんだね?」
「そうだね、飛んでないかも」
つられて空を見上げてしまう。送電線で切り取られた空を横切っていくのは、鳥か飛行機か、まあインビジブルが見えることもあるが、さすがに√EDENでドラゴンは無い。
「もしかして、ゆらちゃん結構危ないところに住んでる?」
「え? そんなことないと思うけど……」
この辺りは帰り道探しとは関係ないけれど、ただのコインの興味として、手を握った彼女の故郷の話も少し。こことは似たところもあるけれど、やっぱり全然違うようだ。
「こっちにはドラゴンはいないけどねぇ、竜の神様を祀っているとこなら近くにあるよ!」
「え! ほんとう?」
うちも神社なんだ、というゆらの声が弾んでいるのを聞いて、コインは「ちょっと寄ってみようか」と声を掛ける。
それは大きな神社ではなく、街中にぽつんと立った小さな社、ゆらのいた世界でもこの辺りの造形や風習は変わらないのだろう、彼女はそれに対して真摯に頭を下げていた。
「こっちのかみさま、おねがいします!」
見知らぬ地とはいえ『家』との共通点を見つけて、ゆらは少し元気を出してくれたようだ。一緒に並んでお参りをして、コインは彼女に問いかける。
「神様、帰り道教えてくれそう?」
「わ、わかんない……」
「そう? 私には、神様がこっちって言ってた気がするんだよねぇ」
戸惑うゆらを先導して、コインは繁華街の方へと歩き出す。神様の手を借りる力はないが、先程までにゆらが思い出してくれた話と、彼女の頭の中の地図を照らし合わせると、該当箇所は絞られてくる。『猫の乗った自動販売機』はちょっとわからないが、『イヌの落書きがあった』という話は多分あの辺りで見かけるウォールアートの類だろう。推理した区画へと足を伸ばしたところで、二人は周囲をぐるりと巡って。
「見つからないねえ……」
そう都合良くはいかなかったか、空振りに落胆するゆらを慮って、コインは近くの露店を指差した。
「ゆらちゃん、ちょっと休憩しよっか!」
美味しいもの買ってあげるから! あの店最近オープンしたばっかりで気になってたんだよね! 半ば強引にそう説き伏せて、買ってきた商品をゆらにも持たせる。
なんだかんだここまで歩き詰めで、疲れているだろう。そう考えてベンチに座るが、ゆらは何か思い悩むように眉根を寄せていた。
「あ! 甘いものあんまり好きじゃなかった?」
「ううん、そうじゃなくて……」
甘いものは大好き、と呟いたところで記憶が蘇ったようで、ゆらはふと顔を上げる。
「この匂い……だったかも?」
「え? ほんとに!?」
なんのこと? と聞きそうになったコインだが、すぐにそれに思い至る。ゆらの言っていた『美味しそうな匂い』というのはこれのことだろうか、辺りを見回して、落書きのありそうな路地裏へ伸びる道に当たりを付けた彼女は、甘味を手にしたままそちらへと向かった。
「あ! ここだ!」
角を一つ曲がれば、そこは異世界へと通じる境界線。透けて見える『向こうの景色』に、ゆらが歓声を上げる。
「ここからは一人で帰れそう?」
「うん!」
元気いっぱいの返事に、コインは安堵しつつ笑顔を返す。
「本当にどうもありがとう!」
そう言って駆け出したゆらは、境界をまたぐその一歩手前で立ち止まって、こちらを振り返った。故郷に帰ればこれでお別れ、でもそれでは少し寂しい、とその眼が言っている。
「あのね、今度はあたしがいっぱいおもてなしするからね、こっちにも遊びに来てね!」
「絶対行くよ! ゆらちゃんにもあいにいきたいから!」
嬉しい提案に、コインも負けない勢いでそう答える。ドラゴンが空を舞い、地にはダンジョンが生まれ、モンスターと冒険者が闊歩する、√ドラゴンファンタジー。若干怖いような気もするが、面白そうではあるし――それに、友達が居るなら迷う必要もないだろう。あとは良さそうな場所なら、いずれ支店を構えるのも良いかもね?
名残惜しいけれど笑顔で手を振って、再会を約束して。二人はそれぞれの日常へと帰っていった。
――約束が果たされて、ついでにコインの思惑が実現するのは、これからおよそ一年後の話。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功