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杉玉が揺れるころにふたり

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 山あいの道を抜けると、ひときわ大きな白壁が見えてきた。  

 「酒蔵! 初めて来ました。すごい、なんだか甘くておいしそうないい匂いがしますね?」

 黒い瓦屋根の下に、墨で書かれた力強い屋号。
 軒先には、こんもりとした茶色い球――杉玉が吊り下がっている。

 秋風に揺れるその姿に、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)はぱっと目を輝かせた。

 「……? レオンさん、この、入り口の茶色い玉、なんでしょう……。」

 「“スギダマ”って書いてあるな。新酒ができた印らしい。」

 レオン・ヤノフスキ(ヴァンパイアハンターの成れの果て・h05801)は案内板の文字をなぞるように指で追い、感心したようにうなった。

 「俺の国じゃ、ワイン樽や蒸留釜を飾ることはあっても、木の玉は見たことねぇな。日本人は粋な飾りを考えるもんだ。」

 杉玉が風に揺れ、淡い影が白壁に揺らいだ。まるでふたりの視線に照れているかのように。

 「酒で暦を刻むってやつか。……風情あるな。」

 ふと、七三子の横顔を見やる。
 彼女は頬にかかる髪を風で揺らしながら、杉玉を見上げていた。
 秋の陽に透ける瞳は淡く光って、まるで新酒のように澄んでいた。

 ◇

 秋の行楽は数多あれど、栗拾いでもなく、ぶどう狩りでもなく――
 ふたりが選んだのは、酒の香りが満ちる場所だった。

 「俺らは酒がねぇと始まんねえだろ、ってな」

 蔵の中へ足を踏み入れると、空気がひんやりと変わった。湿り気を帯びた木の香りと、米の甘い蒸気が鼻をくすぐる。石畳を歩く足音が、重い空間に静かに響いた。

 「すごい……! 利き酒体験とか、見学とか、限定酒の試飲なんかもできるみたいですよ!」

 七三子の声が小さく跳ねた。
 ガラスの向こうでは、作業衣を着た職人たちが、真剣な表情で麹を混ぜている。 湯気が立ちのぼり、灯りの下で白い粒が輝いた。

 「これが“麹”か……。米に菌をつけて、糖を作る。……ずいぶん手間のかかるやり方だな。」

 レオンが呟き、七三子は頷きながら説明を読み上げた。

 「“麹が米を糖に変え、酵母がそれをアルコールに変える”……らしいですよ。二段階発酵、って書いてあります。」

 あのキラキラと輝く樽の中がお酒になるわけだ。ちょっと不思議。

 「すげー! ウイスキーの発酵よりずっと繊細だ。蒸留しねえで飲むんだもんな。」

 彼はガラス越しに目を細めた。
 「当たり前だが日本酒づくりにもいろんな工程があんだなぁ。」

 「……お米から最初にお酒を造った人って、すごいですよね。」
 慣れた様子で動く職人たちを眺めながらつぶやく。
 「……いやマジで、どうやってこんな複雑な方法を見つけたんだよ。」

 世界でも類をみない製造法とも書いてあった。一体どうやってこの方法を見つけたのだろう。

 「なんていうか、おいしいものへの執念を感じます。」
 「大した執念だぜ。昔の酒好きに感謝しなきゃな!」

 やがて作業工程の見学が終わると、酒蔵の歴史や昔の作業道具などが展示されたコーナーへうつった。 ひとつひとつの説明をふたりで回る。

 「俺は歴史の解説も気になんだよな。時代の流れん中で美味い酒が生まれていく過程ってのがドラマあっていいよな。」
 「歴史……は私、あんまり知りませんでした。でも、思っていたより昔から……口噛み酒、なんて製法もあったんですね。」

 レオンが喉の奥で笑う。

 「七三子の口で作る酒……そりゃあ、悪くねぇな」

 七三子の頬が、米麹の白よりほんのりと赤く染まる。 レオンは軽く視線を逸らし、照れ隠しのように笑った。

 「今度からこの銘柄飲むときに思い出したり……」
 あの賑やかなバーでの自分の姿を想像するが……。

 「……しねえか。んな難しいこと考えねえよな。酒飲んでるときはよ。」
 「きっとそうですね」
 
 ふっ、とどちらともなく笑い出す。 そのまま次のコーナーに進む。

 背の高い彼の背中を見つめながら、七三子は微笑んだまま、少し俯いた。

 静かに発酵する米――そこに、どこか自分たちの関係を重ねてしまう。
 ゆっくりと、時間をかけて馴染んでいく。そういう関係がいい、と。

 ◇

 カウンターに並ぶ瓶は、詩の装丁のようだった。
 「秋風」「月影」「白露」―― 名前だけで、季節の色と香りが胸に満ちる。

 「えへへ、お酒ができる過程も面白いですけど、やっぱり私たちは試飲とか物販コーナーでしょうか。」

 「そうだな……おっ、見ろよ。オリジナルラベルのボトルが作れるってよ。」

 中身は普通の酒だが、見学の記念に作る人が多く人気のお土産らしい。
 「俺たちもやってみるか?」
 「はい、ぜひ!」

 専用の機械に希望するラベルの名前を打ち込み、ちょっとした背景画像も選べそうだ。 画面の前でふたり頭を悩ませる。

 打ちこまれた文字は――

 『七三子』

 「う……ちょっと、恥ずかしいですね……」

 七三子は頬を染め、次のラベルを指でなぞる。

 「じゃあ、こう、|漢字《当て字》で|玲音《レオン》、とか……どうでしょう」
 「俺の名前で酒造る気かよ」
 「ふふっ。だって……一緒に飲んでる気持ちになりますから」

 言ってしまってから、七三子はそっと顔を伏せた。 レオンは一瞬息を呑み、次の瞬間、柔らかく笑った。

 「『玲音』っておまえ……。ありそうだけどよ。いっそ両方作っちまうか?」

 画面には、肩を並べるふたつの名前。
 まるで未来の食卓に並ぶグラスのように寄り添っていた。

 完成までしばらくかかりそうだ。

 「レオンさん。試飲して美味しいのあったら買って帰りませんか! 今度おうちでゆっくり飲みましょう。」

 とはいえこれだけの種類があるとどれを選んでいいかわからない。

 「うーん、どれもおいしそう。どれを買って帰ろうかなあ……。気になるやつ、ありますか?」
 「七三子が選ぶやつならどれでもいいけどな……お? 試飲コーナーがあるぜ」

 試飲コーナーには小さなカップに入ったさまざまなお酒を味わうことができるようだった。

 「……んっ。このお酒、辛くてさっぱりですよ。レオンさん、お好きそう。飲んでみてください!」
 「ほー、こりゃ美味えや! 限定品なら買わない手はねえな! これを口実に見下んとこで家飲みもできるしよ。」
 「えっ、いま、何か言いました?」
 「い〜や?」

 別に口実なんて無くても飲めはする関係なのだが。
 今までの関係性というのだろうか。
 そっとフルーティーと謳うボトルを手に取る。……彼女が好きそうなボトルだった。

 ◇

 蔵の外には露店が並び、湯気がほわほわと立っていた。 七三子の目がぱっと輝く。

 「……その、レオンさん、私、あっちの甘酒アイスと酒粕饅頭、食べたいです。……買って来ていいでしょうか。」

 思ったより長く酒蔵を堪能していた。ちょっと小腹もすくころ。

 「アイスと饅頭ね。せっかくだし俺も食ってみっかな。」
 「多分結構甘いとは思いますけど、レオンさんはどうします?」
 「酒は辛口が好きだが、甘いもんが嫌いってわけでもねえんだぜ?」

 湯気立つ蒸籠から出てくる酒饅頭を眺めながらレオンが笑いかける。

 「まあ、アルコールが効いてんならなおよしってな。」

 アイスも2つ購入すると、近くの木のベンチに腰を下ろす。
 目の前に酒蔵を見ながら、手の中からほわり香る酒精に目を細め七三子は酒饅頭を一口。

 「えへへ。甘くておいしいです。……む、あれ、でも……。」
 「どうした?」
 「これ、結構お酒きついかも。」

 レオンも食べてみる。
 アイスはなんてこと無かったが、酒饅頭は温かいからか確かに酒の香りが強くする。

 「ほんとだ、けっこう強いな」
 「お土産にはちょっと危険ですね」

 その瞬間、不意に目が霞んだ。 お酒のせいか、秋の陽のせいか。
 視界の端で、レオンが柔らかく笑っているのを見て、胸がきゅっとなる。

 ――ああ、ーーだな、この人。

 その思いが静かに浮かび上がった瞬間、レオンが声をかける。

 「おいおい、大丈夫か?」
 「……あ、あの、これは……。」
 「こんくらいで酔うやつだったかぁ?」
 「ちょっとだけ。……いっぱい試飲して、お酒のスイーツも食べて。」
 「ふうん?」

 わざとからかうような声。
 七三子は何か言おうとしたけれど、けれど否定できず、視線をそっとそらす。

 「その、酔ってると危ないですから。ええと、くっついててもいいでしょうか。」

 レオンが笑い、肩を抱いた。 その体温が、ひどく自然に馴染む。
 七三子はそっと頭を預けた。

 「酒と甘味のあとは男まで侍らせてよぉ……」
 「七三子ちゃんもなかなか悪い子になっちまったもんだぜ。」

 美しい髪を撫で、小さく口づけを落とした。

 「まあいいぜ、しっかりくっついときな。……いい言い訳になるしな。」
 「……えへへ、はい。言い訳です。」

 彼の胸の鼓動が、秋風のリズムと溶け合う。

 ◇
 
 蔵を出るころには、夕陽が山の端に沈みかけていた。
 金色の光が杉玉を照らし、影が石畳に長く伸びている。
 まるで酒の香りを吸い込むように、彼女は深く息をしていた。

 「また来ような。」
 「はい!」
 「次は春でも。桜と一緒に飲むのも悪くねえ。」
 「ふふっ……。じゃあ新しく作ったお酒は、桜の下で開けましょう。」
 「決まりだ。」

 レオンが肩に手を置く。
 風が二人の間を抜け、白壁に夕暮れの色を散らした。

 遠くで虫の声が響く。
 その音がまるで酒の余韻のように長く続いて、七三子は目を閉じた。
 
 この時間がいつまでも続けばいいのに。
 短い秋が、二人の体を吹き抜けていく。
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