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忘却の獣

#√汎神解剖機関 #ノベル #|禁断《パンドラ》の箱

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 意識は澱のように底を這い、夢と現の境を曖昧に溶かしながら彷徨う。
 寝返りを打つたびシーツは波打ち刻まれる皺は深くなり、目蓋の裏にまで差し込む夜明け前の光。
 夜はまだマルザウアーン・ノーンテッレト(銀の星・h08719)を手放さない。



 眠りを介さず明日へ辿り着くのは、もう四度目だった。

 鍛錬の質も鈍り、心は曇り硝子のように透明度を手放し、どうせ眠れぬのならと積まれた本を手に取るが内容など頭に入るはずもなく、文字を目で追うばかり。これはさすがに由々しき事態と相談すれば、一・唯一(狂酔・h00345)が差し出したのは謎の薬。
 少しだけ変な夢を見るかもしれない、――それくらいならばとマルザウアーンは迷わなかった。眠れるようになればいつもの己に戻れるはず。明るく、重荷もなく、ただカミガリの任務に邁進できるはずだと信じ、目を閉じた。



 意識の輪郭が薄れる。頭の中の灯がひとつ、またひとつと消えてゆく。

 名前を呼ばれた気がして振り返るが、誰もいない。既に此処は|夢《あくむ》の領分。



 音がない。風も、声も、泣き声さえも。沈黙だけが果てのない荒野のように広がっている。
 マルザウアーンの足元に転がる|残骸《したい》。これは何だ、問おうとするが喉が震えて声にならない。笑い合っていたはずなのに。寄せ合う肩の温もりの名前を思い出そうとすれば、指の間から砂が零れるように輪郭が消え、まるで禁じられたかのように舌が拒んで叫べない。
『殺せ』
 見覚えのない|影《したい》が蠢く。
 人の形をしているのに虚ろな眼差しは闇を孕んで底が見えない。
『何を油を売っている?』
 厳しい声音が急き立てる。
『一刻も早く、一匹も残さずモンスターどもを殺せ』
 胸の奥が焼けるように疼く。大事なあの手を握り返した記憶が蘇る。然し。次の瞬間には血と炎と轟音に塗り潰された。叫び声が渦を巻く。肉の焦げる匂い。木々が圧し折られる音。獣の爪が骨を砕く鈍い響き。
『お前を逃がすために我々は犠牲になったというのに』
 何かがマルザウアーンに縋りつく。否、引き摺り落とすように強い力で過去が絡みついてくる。剣は砕け、杖は折れ、穴が開いた鎧からは血が溢れ、ローブは破れて加護を為さない。祈りは届かず、叫んだ名前は音に成らず、親しき者たちの命が冷たい光となって静かに夜へ還ってゆく。
『何故お前は弱いままなんだ?』
 黄泉から這い上がってきた|骸《したい》が仄暗い|眼《やみ》で問う。
『どうして我々を忘れていられる?』
 息を吸うたびに胸が軋む。肺の中に入り込んだ恨み言がマルザウアーンを蝕んでいた。
 どうして、何故、自分だけが。
 その問いに答えてくれる者はもういない。
 忘却は、裏切りだ。
 膝が崩れる。
「オレは、」
 嗚咽が漏れる。
 息が出来ない。
 涙腺は壊れたように涙を零し続け、歪んだ視界では誰の手も掴めない。もう失われてしまったのだ。|彼ら《・・》はもういない。
 崩れた世界の中、たったひとり息をしている。笑っている。歩いている。食べて、眠って、人寂しさなど感じる暇のない温かく、心穏やかな日々。
 その一瞬一瞬は、|同胞《なかま》の死を踏み台にしている事を、思い出してしまった。
 平穏を享受する権利など、ありはしないというのに。
 生き延びた。いや、生き延びてしまった。
 影が落ちる。
 マルザウアーンが見上げた先、己の姿を模した|影《なにか》が口を揃えて言う。
「お前は、忘れて生きてきた」
「何を犠牲にしたのかも知らず」
「罪を、|夢の中《獣》に埋めたままで」
 違う、――そう叫んだつもりだった。
 声にならない音が、かひゅ、と溢れただけだった。
 人の役に立ちたいと思っている。自分の価値を得たいと願っていた。心の底に眠る|記憶《つみ》が知らずのうちに這い出て来たのだろうか。これほどの喪失を経験しておきながら、忘れ、のうのうと新しい場所で新しい自分で生き永らえた自分を、|仲間《かれら》は|赦さない《みとめない》というように。
 マルザウアーンの前に、見慣れずとも同じ銀狼獣人と分かる|誰か《・・》が立った。
『殺せ』
 仇を討て。お前の命の下、屍の山を、同胞の亡骸を踏み付けるのではなく、弔うために。
 ノイズのように繰り返される罪の残響。
 全てに報いよと、|悪夢《かれら》は繰り返した。



 淡い光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の輪郭を鈍く照らしている。
 時計の針は確かに進んでいた。

 朝だ。

 何かを、見ていた。夢を見たのは覚えている。暗がりの奥、誰かの名を呼ぼうとして、――言葉は消えた。胸の奥を微かな苦しさが這いずるが何ひとつ思い出せない。
 だが、久しい快眠に体調不良も解消され、肩も軽い気がする。
「いつも、朝が来るたびのことだしなッ!」
 マルザウアーンは|いつも通り《・・・・・》身を起こし、一日をスタートさせた。
 日々の隙間、いつかの日に聞こえた囁き声が聞こえた気がしたが、振り返らなかった。

「よお眠れたみたいやね」
 良かった、と|善意《・・》で薬を渡した唯一は安心したように笑う。
「これでまた人の役に立つことが出来るッッッ!!!」
 大型の仔犬のように明るい笑顔で頷き、涸れて潰れた声を悟られる前に「ではッ!」とマルザウアーンは背を向けた。
「ふふ、そら何よりや」
 サングラスの奥。僅かに腫れた目元に気付いたか否か。唯一はただ静かに手を振って見送る。
 揺れる銀色は、朝陽を受け、眩しく輝いていた。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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