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My stud

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 唐突に飛び込んで来た電話の一本で、彼は一人ぼっちになってしまった。
 その後のことはよく覚えていない。笑って家を出た父母は次に顔を合わせたときには永遠に目を閉じていて、悲しげな顔をした親戚が幼い妹尾・悠希の頭を撫でていた。笑顔のまま時を止めた写真は白黒の枠に収められ、二人分の煙が空に昇った後には、小さな壺だけが彼の手元に残った。
 事故だったという言葉を遠くに聞きながら、聡い少年は骨壺の意味と己の置かれた立場を理解した。
 黒い服を着替えた後のことは、大人たちが決めた。善良な両親のきょうだいは同じように善良で、幸いにして皆が悠希に同情的な立場を取った。幼くして孤独になってしまった少年が最も幸せになれる環境を、時間のない中でも熟慮してくれた彼らの配慮によって、既に独り立ちした男児のいる家庭が新しい家族となることが決まった。
 これもやはり悠希のためで、一度男児を育て上げたことがあり、他に手のかかる子供がいないというのが理由のようだった。
「本当のお母さんお父さんにはなれないけど、そう思ってくれて良いからね」
 最初に玄関を潜ったとき、柔らかくも悲しげな声音で零された台詞を、悠希はよく覚えている。
 新たな両親となった男女と年に数回帰省する兄となった男性が、自らの言葉を裏切らぬように尽力していたことを、彼は知っていた。テレビの中にありがちな冷遇を受けることもない。共に食卓を囲み、学校に通い、与えられた部屋で心置きなく眠る――自身が環境に恵まれていることも、悠希少年には理解出来ていた。
 それでも、彼は胸中に蟠る居心地の悪さから逃れられなかった。
 彼らが善き家族で|あろうとしている《・・・・・・・・》ことが分かってしまう。そうして彼らが僅かずつでも己に遠慮と気遣いの目を向けてくれるたび、悠希はこの家にとっての自身の立場を考えて、同じような気遣いと遠慮を返してしまう。最初に生まれた曖昧な距離は、断絶というには緩やかに、互いの間に山積していく。
 結局――。
 彼は敬語を外すことさえ叶わずに、最初で最後の我儘を告げた。
「おじさん、おばさん。高校生になったら一人暮らしをさせてください」
 そのときの彼らの表情は今も脳裏に焼き付いている。心底落胆したような、申し訳なさそうな――心のどこかでは理解していたような顔で、二人は沈黙した。
 しかし、現実問題として高校生の一人暮らしには様々な問題が付き纏う。中学を卒業したばかりの少年に用意出来る金額はたかが知れている。初期費用ばかりは彼らに頼るほかなかったが、悠希はその後の生活の面倒までもを彼らに背負わせる気はなかった。
 アルバイトで生活費を賄うとなれば全日制の学校には通えまい。時間をより有効に使うことを考えれば定時制よりも通信制だろう。その他に家事も熟さねばならないとなれば、十六歳にしては重すぎる荷を背負うことになる。渋る二人への説得に参加してくれたのは、意外なことにちょうど帰省していた息子だった。
「まあ、良いんじゃないの。何とかならなくなったら戻って来たって構わない話だろ?」
 晩酌に付き合っていた彼が世間話のように言い出したことで風向きが変わった。悠希の隣の部屋――普段は誰も使わないために物置めいている――に布団を敷いて眠っている彼は、礼を述べる悠希に気遣わしげな表情を向けながら、努めて兄めいた顔を繕って笑った。
「一回やってみろよ。良いぜ、一人暮らしは」
 ――今になれば、彼の言う通りだったと思う。
 いつでも帰って来て良いからね、と送り出された。頷いた悠希も含め、誰もが彼が戻らぬことを予感していた。手を振る彼らに背を向けて、卒業証書を手にしたばかりの少年は新たな住処へと旅立った。
 それからは今に連なる怒涛の日々が始まった。家もそう大きいとはいえぬアパートだ。通信制といえど単位を落とせば卒業は出来ない。生活費を賄うためのアルバイトの掛け持ちの合間を縫って家事をこなし、時には登校もせねばならなかった。
 生来の善良さで友人は多く出来たが、彼らに混じって青春を謳歌する暇はなかった。毎度の如く誘いを断る悠希が、それでも友人を失わずに済んだのも、ひとえに彼の人柄によるところが大きかっただろう。しかしその寂寥――息抜きの時間すら殆どない生活――における癒しは、善き隣人だった。
 アパートに隣接する一軒家に住まう家族には小学生の息子がいた。大安寺・潤と悠希が初めて顔を合わせたのは、彼がここに越してきて幾らもしないうちだった。
 最初に受かったアルバイト先の出勤がちょうど登校時間と重なっていたのだ。家を出るなり見知らぬ男性を視界に入れて目を見開いた潤は、それでも小学生らしい無垢な元気さで大きな挨拶をした。
「おはようございます!」
「おはよう。気を付けてね」
 ――出会いに交わした言葉はそれだけである。しかし人見知りをせぬ少年は距離を詰めるのも早いもので、悠希が日々に追われている間に、潤は彼にいたく懐くようになった。
 切欠は単純だ。たまさかシフトに空きが出来て、昼下がりに買い物に出たときである。外に出た時間帯が小学生の帰宅時間と重なっていて、必然、彼は隣の小学生とも出先で出くわすことになったのだ。
 どこかとぼとぼとしたような様子で歩いて来る潤――このときはまだ名を知らなかった――にいつものように挨拶をした。戻って来た声は日頃と変わらなかったが、やはりどこか元気のないようにも見える。それで、まじまじと彼を見た。
「あれ? それ」
 悠希が見とめたのは、半袖から見える擦り傷だ。
「怪我したの?」
「ん」
 小さく頷いた潤曰く、友人と喧嘩をしたらしかった。揉み合いになって先生に叱られ、それでも気持ちは収まらずに顔を背けあって学校を出た。普段は一緒に帰っているが、今日は一人で歩くことになってしまったらしい。
 それで拗ねたような様子に合点する。幼い頃から温厚で、派手な喧嘩とは縁遠い悠希にとっては遠い世界の話だが、教室の隅でよく起きていた諍いには覚えがある。
 まあ、それでもこの年頃は簡単に仲直りをするものだ――というのも分かっている。ただの|近所のお兄さん《・・・・・・・》という立場を考えても、あまり深入りする話題ではなかろう。
 だが傷をそのままにしておくのは気が引けた。日頃のアルバイトの中には多少の肉体労働も含まれているから、怪我をしたときのための備えは常に鞄の中に入っている。
「絆創膏、あったと思ったな――はい」
 まさぐった中から一枚の絆創膏を取り出し、しゃがみ込んで少年に差し向ける。瞠目している彼に殊更柔らかく笑いかけたのは、どこかで自分の落ち度を理解して落ち込んでいるのだろう潤への励ましの意味が籠っていた。
「お友達、仲直り出来ると良いね」
「ありがとうございます!」
 両手で受け取った絆創膏を携えて踵を返した少年は、以来何かと悠希に声を掛けて来るようになった。
 彼としても悪い気はしない。弟がいたらこういう気持ちだったのだろうか――と思ってから、細々と連絡そのものは取り合うものの、長らく顔を合わせていない親戚の息子が、自分に兄の如く振る舞ったことを思い出しもした。
 それでも会いに行く時間があるわけでもない。せめてもと連絡の頻度を増やしたのも、悠希にしてみれば潤のお陰だ。
 すっかり打ち解けた潤少年は、生意気盛りらしいやんちゃ坊主ぶりで彼の多忙な生活に割り込んだ。時間のあるときには遊びの相手をすることもあったし、逆に彼から学校で流行っているというものを教えてもらったりもした。
 そのときも、そういう遊びの延長で、他愛のない雑談をしていたように思う。
「なぁ、悠希っていっつもバイト行ってるけどビンボーなのか?」
 空隙に差し込まれるような言葉に悠希が動きを止めた。浮かべていた穏やかな笑みが自然と苦笑に変わる。子供の無垢な言葉は偽ることを知らないがゆえに本質を突いて来ることがある。
 反応に首を傾ぐ潤の方を泳いでいた目で見遣って、悠希は困ったように目を細めた。否定しようにもそのための材料がない。給料日が各勤務先でずれているのはありがたいことだが、裏を返せば纏まった金銭を得る機会が少ないということでもある。生活費と学費の工面だけで、悠希の経済状況はかなり逼迫していた。
「そ、そうだね。確かにお金はあんまり持ってないね……」
「ふーん……」
 何かを考えるように空へ視線を移した潤は、暫しの沈黙を置いた。ベンチに腰掛けた足がゆらゆらと揺れている。
 それで。
 何かとても良いことを思い付いたような表情で、悠希の顔を勢い良く見上げたのだ。
「じゃあ俺が悠希をお嫁にもらってやる!」
 ――小学生らしい解決策が聞けるのだろうと予測していた悠希は、飛び出した発言に瞠目したまま息を詰めた。
 彼の様子に気付いたふうでもなく、潤の弾んだ声はなおも続く。
「俺が大きくなったらおくまんちょうじゃになって、悠希を一生やしなってやる!」
「あはは、潤くんは難しい言葉を知ってるねぇ」
 続いた宣言に安堵する。成程、|子供らしい《・・・・・》解決策の延長にある発言だったようだ。真面目くさって諭さねばならないような意図を孕んではいないと判じて、悠希は穏やかに笑ってその提案を受け流した。
 それが誤算であったことを悟ったのは、それから数か月後のことである。
 誕生日はあらかじめ教えてあった。だからプレゼントが用意されていることには驚かなかった。丁寧な包装を施されたそれに大いに喜んでみせるところまでは、悠希の想定のうちだったといえよう。
 そこから――。
 小ぢんまりとしたおもちゃの指輪が出てくることは想定外だったが。
「お母さんがさ、左手の薬指に指輪してんだ。それってお父さんと結婚したって印だって言うからさ。予約な!」
 胸を張って照れくさそうに笑う潤に、彼は内心大いに頭を抱えた。
 幾らなんでも小学生を相手にそういうことは考えられない。そもそも潤の感情がはっきりとした恋慕であるとは限るまい。
「そうだなぁ。潤くんが大きくなっても同じように思ってくれたら、そのときに着けるね」
 そのときはそうして流したが、その後も彼の攻勢は止むことを知らなかった。
 時には花束を持って来ることもあったし、時にはストレートな言葉で愛を述べることもあった。大きくなったらってどのくらい――と、直截的な疑問を投げかけられたこともある。
 さりとて悠希には潤を遠ざける選択肢はなかった。可愛らしい子供のひたむきな恋心を向けられるのは、困りこそすれど嫌な気分ではなかったのだ。それだけ懐いてくれている証でもあるし、何れ思春期に差し掛かれば幻想だったと理解することになるだろう。|本当に好きな人《・・・・・・・》が出来れば、このラブコールが嘘のように止むに違いない。
 それはそれで兄が弟離れをするような寂寥はある。しかしそうなる日を楽しみにもしていた。その寂しさこそが、彼の成長を間近で見守って来たことの証だ。
 ――悠希の想像とは裏腹に、潤の攻勢は一向に衰えなかった。
 反抗期に差し掛かった頃から挨拶の声が小さくなった。その頃には社会人になっていた悠希の接点も少なくなりつつあったが、通勤時間帯の問題で毎日顔を合わせてはいたのである。毎日のように繰り返されて来たラブコールも想定通りに頻度が減って、どこか安心していた折だ。
「誕生日だろ。おめでと」
「わ、覚えててくれたんだ! 嬉しいな。ありがとう」
 渡されたのは小学生の頃より幾らかグレードの上がった包装だ。すっかり外界を拒むようになる年頃だと思っていただけに、こうして再び祝われる機会があるのは純粋に嬉しかった。
 満面の笑みでプレゼントを受け取った悠希の顔を真っ直ぐに見遣り、潤がふいに真剣な顔をする。
「好きな人の誕生日、忘れないだろ、普通」
 結局。
 幾度受け流そうとも、潤の想いが変わることはなかった。年々アップグレードしていくプレゼントと共に、熱量を帯びていく愛の言葉を受け取りながら、悠希は今まで思いもしなかったことに悩まされることになる。
 潤は今やあのやんちゃな少年ではない。反抗期も落ち着き、高校受験を終える頃には、彼の背は大きく伸びていた。言葉尻も随分と落ち着いたように思う。声変わりを終えて低くなった声で、なおも真っ直ぐに己に向けられる告白を受け流すことも、そろそろ限界に近い。
 潤の眸が自分以外に向くのではないかと思ったとき、燃えるような妬心が身を焼く感覚を自覚した。年に一度の誕生日を、カレンダーに印をするほどに楽しみにしていることにも気付いた。クリスマスが近くなるとメッセージアプリを頻回に確認するようになったし、予めシフトを空けるようにもなった。いつものように潤からのデートの誘いがあることを前提にしていたから、それがなかったときの孤独を想起しては打ち払うことを繰り返した。
 それでも悠希は己を戒めて来たのだ。
 ――相手は高校生だよ。
 根が善良な彼にしてみれば、未成年の告白に応じることは大罪のように思えたのだ。七つも年下の、本来であれば弟のように思わねばならない存在に対して、そのような想いを抱くことは決して良いことではない。
 しかしそうして己の感情に軛を打ち続けるのも限界だ。現に心は完全に傾いてしまっている。
 ――何れ目が覚めるなら、そのときに手を離せば良いだけだ。
 ――今は想いに応えたって良いじゃないか。
 そうして迎えた二十四歳の誕生日、いつものように花束とプレゼントを持って現れた潤は、想い人が扉を開けるなり目を見開いた。
「悠希、それ」
「あのね」
 その首に掛けられたネックレスには、潤が最初に贈ったおもちゃの指輪が煌めいていた。
「ちょっと僕には小さくて。入らなかったから――」
 彼からのプレゼントはどれも大切に取って置いてあった。探し出すのは簡単だったが、左手の薬指に填めようにも、子供向けのおもちゃの大きさは成人男性の手には小さすぎたのだ。
 苦肉の策でネックレスに通してみたが、どうやらその意図は十全に伝わったらしい。そうと分かると悠希も恥ずかしくなってくる。よろよろと視線を泳がせながら、彼ははにかむようにして、潤に笑いかけた。
「予約って、まだしてもらえてるかなぁ」
 返事の代わりに両腕を広げた潤が思い切りその身を抱き締める。ここ外だから――慌てたような声音も、今や彼の耳には届かない。長い長い片想いの末に辿り着いた幸福な結果を抱き締めて、彼は目を伏せた。
 ――七つも年上の悠希に釣り合うようにと、あらゆる研究を続けて来た。格好良くて大人びた、苦労ばかりをしている彼を守れるような男になるためにと磨き続けて来た全ては、今この瞬間に報われるためにあったのだ。
「すぐ新しいの買うから。待ってろ」
「す、すぐじゃなくても良いよ。そのうち――」
「本物までの繋ぎだから」
 板についた口説き文句を耳元で零してやれば、分かりやすく固まった悠希が、それでも笑うのが聞こえた。

 ◆

 ――かくして一年が経っても、悠希の杞憂をよそに潤の態度は変わらない。
「じゅ、潤くん、そこまでしなくて良いから――」
「任せておけ。忙しいんだろう? 座ってろ」
 高校生にしてはすっかり大人びた足取りが軽やかに消えていく。合鍵を使って仕事帰りの悠希を献身的に待っている彼は、公認の母からの土産物を冷蔵庫に入れながら、ホットミルクを用意しにキッチンに立った。
 その横顔はワンルームからも見える位置にある。ごく自然な調子で恋人を労わる準備を進める彼に、悠希は思わず小さく笑う。
「どうした?」
「いや。何だか馴染むなぁと思って」
 耳聡く聞き取った潤の顔は、やはり見慣れた様子で瞬いた。だからしみじみと声を続ける。
「思えば毎日顔を合わせてたんだもんね。通勤時間、あのくらいにして良かったな」
 悠希の独白めいた声を聞いて――。
 潤が呆れたように肩を竦めたのが見えた。近寄って来る彼に首を傾いだ悠希は、続いた声に瞠目することになる。
「あれは俺が合わせてたんだ」
「えっ」
「悠希と一回でも多く話したかったからな。学校もそんなに遠くなかったし」
 そのために部活にも入らなかったのである。知らぬところで繰り広げられていた献身に声を失う彼の前に暖かなミルクを置いてから、潤は愛しい恋人の顔を覗き込んだ。
「お陰でこうやって一緒にいられる。頑張った甲斐があったな」
 どこか悪戯っぽさを覗かせる笑みに、悠希は赤面した。
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