指は五本、飲めば六本、吐けば四本
「やほ!」
「おや、時雨さんじゃないですか」
夜も入りたての時間、√EDENの東京で偶然出会った野分・時雨と日宮・芥多。
周りには目覚め始めたネオン看板が頭上の星より強く瞬き、今日の疲れを誤魔化そうとする人々の欲望を刺激する。色褪せた金髪のキャッチやサイズ違いのメイド服を着た若い女性が路上に立ち、通りすがる人々をめいめいに声掛けしては素通りされていく。その中に二人も加わると、胡散臭い笑顔と呼び込みを完全にシャットアウトしながら歩き始める。
「ちょっとぉ、ちゃんとお兄さんって呼ばないとダメだよ芥多くん」
時雨はわざとらしく唇を尖らせた。というのも二人はわずか10日違いの誕生日差で、しかも同い歳。
といっても互いに生年月日が正確なものかは怪しい出自と人生ではあるが、いちいち正確さを気にする|性質《たち》ではないのも一緒だ。つまりは意気投合しやすい間柄で、それを二人は相思相愛などと茶化して呼んでいる。つるみたい時につるみ、見たいところだけを見る。どこかの幼く甘い少年にはとても理解できず真似も出来ない、かといって酸いも甘いも噛み分けた年寄りほどに悟ったわけでもない、そういう関係だ。
「はいはい、たった10日限定ですがね。それで何の用です?」
「そんなの当然、これよこれ」
時雨は片手でグラスを傾ける動作をした。オヤジ臭い。
「まあこんなとこに居るんだからそりゃそうでしょうとも。しかしあいにく予定がありまして」
「お兄さんが奢るよ? どう?」
「え、奢ってくれるんですか? となると行くしかないですね! それしかありえない!」
ついさっき予定があるとかなんとか言っていた人間とは思えない食いつきぶりだ。
「そうこなくっちゃね!」
「どうせならはしご酒しましょうはしご酒!」
「いいねぇ! んじゃまずどこの居酒屋入る?」
だが、時雨も大して気にしない。二人の足取りはもう酔っ払ったかのようにふらついて、これまで介入を許されなかったキャッチはむしろ面白がった二人に積極的に巻き込まれるようになり、5分後には誰も声をかけなくなっていた。
所変わって、通りのメインから少し外れたところにある居酒屋。居抜き物件の店内は客入り上々、カウンターで喋り倒す迷惑な常連はいないし鬱陶しく店主が絡んでくることもない。壁にはビールジョッキを手に持つ水着姿の女性、とっくに終わった誰が行くのか分からないタイプの場末のイベントポスター、その他諸々。棚にはいくつかサイン用紙が飾られているが二人の知っている名前はない。流れるテレビのニュースに目を向ける者は誰もおらずその音声も賑やかさにかき消されて、今どき珍しい喫煙可の店内には音と煙と酒の匂いが満ちる。その中を大学生ぐらいのガタイのいい若者が愛想のないぶすっとした顔で忙しなく行き来し注文を捌いていく。そういうよくある店だ。
「てかさ、芥多くんなにが好きなの? ビール派?」
着席した時雨はおしぼりで手を拭きながら雑談した。
「居酒屋に入った一杯目は、やはりとりあえずビールでしょう。まあアルコールが入ってればなんでも飲みますがね」
「わかる~! 糖質気にしてハイボールとか飲んじゃう人もいるけどさぁ、あれって健康意識が高いのか低いのかよくわかんないよね」
「栄養価気にするなら酒を飲むなって話ですからね。すいません!」
などと相槌を打っているが、どちらも別に酒の好みに本気でこだわりがあるわけではないし、ハイボールを飲む人間にもなにも思わない。。ここに糖質を意識する誰かがいたならこんな話はしていないだろうし、おそらくこのやりとりを今日以降思い出すことも振り返ることもないだろう。
芥多が片手を挙げると、忙しそうな若者とは別に少し髪の傷んだ女性店員がスタスタとやってきて「ご注文ですか?」と一言。青年ほどには表に出していないがダルそうな空気は若干醸し出されている。バイトを始めて数ヶ月といったところか。
「とりあえず生を四つ、まず二つ運んでそのあと残り持ってきてください。ツマミはどうします?」
「今のうちにガツンといっときたいよね! てことで唐揚げください」
「じゃ、俺は牛スジの煮込みで」
「生二つ、鶏の唐揚げと牛スジの煮込みですね。かしこまりましたー」
メニューを指差し読み上げ確認した女性店員はカウンターへ。
「ところで、そんな時雨さんは酒の好みとかあるんですか?」
「ぼく? うーん辛いのが好きかな! ワインは悪酔いしちゃうんだよね」
「じゃあワインは避けないとですね」
なお、芥多は言った瞬間にこの台詞を吐いたことすら忘れた。酒飲みの言葉の信用度などそんなものだし、ましてや言っているのがこの男なので、時雨も別に気にしなかった。
ほどなくして生ビールの入ったジョッキが二つ、それと小皿も二つ。中身は白ごまとにんにく、黒胡椒を混ぜ合わせ塩で味付けしたよくあるキャベツの和物だ。
「お通しでーす」
「どうも~……あのさ、これって無限におかわりしたくならない?」
店員が離れていくと時雨は一言言い、返事を待たずキャベツをパリパリと食べる。こんな手軽な品をマズく作るのは逆に才能が要るし、料理漫画に出てくる麻薬でも入ってそうな料理ほど美味でもない。だが、それゆえに癖になる。酒が欲しくなる塩味だ。
「わかります。ただ俺は最初から豪快に食うタイプなので、メニューにあってもわざわざ自分では注文しないんですよね」
「あるある~」
二人はジョッキを持ち上げた。よく冷えたグラスの持ち手は早くも汗をかいている。
「「乾杯!」」
かちん、と小気味いい音。二人はそのまま濃厚な泡がはみ出そうなほどたゆたうグラスの縁に口をつけ、大きく天井を仰いだ。ごっ、ごっ、と脂肪のほとんどない喉仏が二つビールのCMのようにうごめくたび、キンキンに冷えた命の水が喉を滑り落ちる。麦の苦み、アルコールの渋み、炭酸の爽快感。刹那の快楽はあっという間に胃へと降りていって、ドスンと音を立ててテーブルに再びグラスが置かれた時には、中身は置いていかれたのろまな泡の粒しか残っていない。
「「っかぁー!!」」
時雨は拳で、芥多はおしぼりで口元を拭う。わざわざ四つ頼んでおいたのはこのためだ。
「生は一気飲みに限るねぇ!」
「しかも他人の酒ですよ? 勿体ぶるのが逆に勿体ないですね!」
「その台詞、奢ってもらう相手の前で言う~!?」
「生二つと唐揚げでーす」
タイミングよく追加物資の到着だ。大皿に盛られた唐揚げは少し大ぶりで、衣がかなり自己主張している。値段に比べると若干お得なタイプ。味付けは添えたレモンとマヨネーズ入りの小皿、それと塩をディップして食べる方式だ。
「あーすいません、マグロの山かけとだし巻き、あとささみの磯辺焼きもお願いします」
「まだ注文した煮込み来てないよ!?」
「いや、だって奢りですよ? 手加減してられませんよ」
「そこ逆じゃないかなぁ!? まあいいけど! あ、ぼくは鴨の炙り寿司お願いしまぁす!」
一気に叩き込まれる追加注文に、女性店員は泡を食っていた。
●
一軒目で育ち盛りの男子大学生のように肉と魚と野菜少々を堪能した二人は、その足で√ウォーゾーンへ。
全体的な雰囲気こそ変わらないものの、グラフィティアートの代わりに壁に殴り書きされているのは銃痕だ。足元にはバリケードの残骸が転がり、ネオン看板は一部が割れたままバチバチと火花を漏らしている。錆びたパイプから流れ出した得体の知れない廃液が水たまりを汚し、危険と隣り合わせの場末感を醸し出していた。さらに奥まった裏路地、選んだのは場末の酒場だ。戸を叩くと扉の細いスライドが動き、傷のある目元がむっつりと二人を睨む。まるで禁酒法時代のスピークイージー、理由は万が一の敵性存在を警戒してのことだろう。歓迎の言葉もなく扉が開かれると、今度は鼻にツンとくる刺激臭。薄暗い店内、テーブルに突っ伏して動かない半裸のモヒカン男の手にはウィスキーグラスが握られたままだ。彼は赤子のように大事そうにライフルを握りしめていた。文字通りの命綱。
「テキーラショット!」
カウンターに陣取った時雨は相方に確認もせずに威勢よく注文した。
「お、いいですねぇ! 実はやったことないんです、俺!」
「えっそうなんだ? レモンとライムどっちにしとく?」
「それじゃライムですかね」
「ってことでよろしくでーす!」
マスターはハゲ頭の巨漢で、片腕は生身の腕より一回りたくましいクローム製だ。眉毛のない眉間には警戒心を隠しもしない皺が刻まれていて、愛想の一つもなくショットグラスを二つ並べ、表面が白く濁るほど冷えたテキーラ瓶(当然アガベ100%だ)を乱暴に置き、塩と1/8切りライムの小皿をそれぞれ投げるように並べる。
「なにも分かりませんけどどうすればいいんですこれ?」
「えっとねぇ、まず塩をこうして~」
時雨は親指の付け根あたりを舐め、一度塩をつまむのに失敗しつつも塩を乗せた。そしてテキーラを二つのグラスになみなみと注ぎ、空いた手にグラスを持つ。芥多もそれに倣う。
「で、ペロッとしてグッと行ってキュッ。わかる?」
「わかりませんが塩のあとにテキーラってのは分かりました!」
「分かってるじゃあん」
けらけら笑い、据わり気味の目を悪戯好きの悪童のように見合わせる。
「そら!」
二人は塩を舐め、そのままグラスをグッと傾け、力強く叩きつけるとライムを齧った。
脳髄をガツンと直に叩かれるような衝撃。
度数40の暴力的アルコールが生ビールの一気飲みを遥かに超える勢いで身体を駆け巡る。灼熱の液体は驚くほど滑らかに胸を燃やしながら駆け巡って、胃に流れても止まない熱が心臓の拍動に押し出され血流に交わったかのようだ。カッと燃えた火のような酒精はとっくに酩酊した意識をキックし、さらに深い泥のような快楽へと二人を引きずり込む。
「……うおっ、こ、れは……っ」
芥多は言われずともライムの皮を床へ叩きつけた。
「……~~めっちゃ、キますね! 美味いです!」
「捨てるな」
「えっ」
マスターの低い声が告げた。
「皮を、捨てるな。掃除させる気か。アルコールよりキくのを脳天に叩き込んでやるぞ」
「あっすいませーん」
ヘラヘラ笑いながら拾い上げる。マスターはグラス磨きに戻る。
「うぇ~皮食べちゃった、苦っ」
「格好がつきませんね!」
「芥多くんに言われたくないよぉ」
「でもこれで飲み方を覚えましたよ、ありがとうございます! お兄さんすごい!」
「いえー尊敬の念浴びて気持ちい~。二杯目いっとく?」
「ガンガン行きましょう! 奢りですからね!」
二人は躊躇わず二度目のショットへ手を付け、それは三、四、と数を重ねるたびに加速した。
●
「げろげろげろ」
時雨はキラキラした何か(※ノベライズにあたって多少の自主規制を行っています)を滝のように盛大にリバースした。しかも、よたよた千鳥足で歩きながら。最悪である。
「おお、すげぇ。√またいでますよ時雨さんのゲロ」
いつも以上に頭のおかしいことを言う芥多もグロッキー状態のボクサーのように頼りなく、大正モダン風のポスター――映っているのは額から一対の角を生やした赤い肌の鬼娘だ――が貼られた壁に背中をぶつける。その勢いで「うっぷ」と戻しかけ、頬を膨らませ、ごくんと飲み込んだ。きたない。
「え、まじ? すごくない? ぼくのゲロ√跨いでんの?」
「つまり時雨さんのゲロは√能力者ってことですよ」
「まじかぁ。どんな能力で戦うんだろ」
「哲学ですね」
「深いなぁ」
「マリアナ海溝より深いですね」
「ねえぼく吐いたらちょっと冷静になってきたけど芥多くん眠いよね?」
「すいませんクソほど眠いです」
通りに出た二人を訝しむ者はいない。ノスタルジーを感じさせる横丁はそこらじゅうからちんどんと酔客の賑わい。ネオンの代わりに提灯と灯籠がオレンジに照らす通りを歩く二人は、またしても居酒屋の暖簾をくぐっていた。
●
√妖怪百鬼夜行から所を変えて、√マスクドヒーロー。
「ほいっ!」
顔が真っ赤になった時雨が投げたダーツは意外にもど真ん中に命中する。彼は投げた勢いでふらつき、倒れかけて踏みとどまった。片手にはグラス。酒を死守したのだ。そして前かがみの姿勢から起き上がると頭の座らない赤子のようによろめき、踏みとどまり、そのまま一気飲みした。
「ね? ほら、年上だからさ。スナップが大事なんですよ、わかる?」
「分かります。期間限定ピックアップガチャってことですよね」
洒落たカクテルをろくに味わわず一気飲みしてグラスを空にした芥多は、グルグルバット選手のようによろめきながら所定の位置へ。ダーツをつまみ取るのに二度失敗して投擲。的には命中した。当てようとしたレーンの隣の的にだが。
「ほら命中しましたよ」
「すっげぇ~! やばいな、ぼくもまだ正確さが足りない。飲まないと。マスターおかわり」
「もうよしといたほうが」
「あのねぇ! ダーツはねぇ手首が大事なの! アルコール! わかります!?」
「違いますよ心ですよ。すみませんマスター俺もおかわりを」
「アッハイ」
諦めた顔でカクテルがお出しされ、ろくに味も楽しまずに飲み干され、男どもはヘラヘラと笑った。
●
「げろげろげろ」
「ぐがー。ぐこー」
リバースする時雨。その隣で盛大に寝落ちをかましている芥多。この世の終わりのような光景。
「見てぇあくたくん、√またいだ√」
「ぐかー」
「あくたくん。おきて。あくたくん」
「んが……」
肩を揺すられ芥多は目を覚ました。
「どこですかここ」
「きみがつれてきたんでしょお。ぼくにがてなんだよねこの√」
すんすん。ゲロの匂いに混ざった、√汎神解剖機関独特の匂い(があると彼は主張する)に、時雨は少し顔を顰めた。
「おすすめのおみせどこにあんのぉ?」
「え、知りませんよそんなの。ホームタウンじゃないんですから」
「言ったでしょおあくたくん! 「本物の√汎神飲みをごちそうしますよ」ってぇ!」
「あー」
芥多は数度瞬きし立ち上がった。
「あーあーあー。はいはい、いいですよ、どっち行きます? 名店とヤバいとこ」
「なに? ぼく臓物食わされんの?」
「大丈夫ですよ条約で禁止されてるタイプの肉が出るだけですから」
「んーじゃあいっかぁ」
なにもよくはない。二人はお互いに支え合うように組み付き、揃ってよろめき、壁に激突した。見ていられないとばかりに月が顔を隠す。通りからは女の笑い、人々のささめき、逃避する人類の宴の呼び声。
「よすよすしてほしい。高慢だけど気高く美しく柔らかい雰囲気の年上女性に」
「よすよす」
「はなしきいてる!?」
「大丈夫。肉は美味いですよ肉は」
「おきてる!?」
「√ドラゴンファンタジーでワイン樽開けるまでは寝ませんよ俺は」
「じゃあいっかぁ」
なにもよくはない。二人は朝まで飲み、√EDENでぶっ倒れたという。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功