零から壱へ
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赤い瞳が瞬いた。脂と汚れを纏い、瞳を覆い隠すほど長く伸びた前髪の隙間からギラギラと光を放つそれは、きょろきょろと忙しなく動いて目的のモノを見つけ出した。
「おっ……これまだ食えそーだな……!」
壁の縁に両手に力を入れて身体を持ち上げると、片方の手を放して目的のそれへと伸ばす。だが、それでバランスを崩してしまったようだった。長い髪が揺れて、壁の内側へと落ちる。中のものがクッションとなり、痛みは無い。だが、付着した粘り気のある|何か《・・》や臭気が肌に纏わりつく不快感が襲い掛かる。
「……うえー……」
『レイイチ』は、飲食店の路地裏に設置されたゴミ箱の中で呻いた。身を返して脱出しようとすれば、青い空が見える。だが、そこから見える空は、両隣りに聳える建築物にその大半を隠されていた。
その事実が、レイイチに嫌と言うほど身の程を味合わせる。
“罪業の赤”。
それがレイイチの持って生まれた罪業であり、ゴミ箱の中にダイブする羽目になる理由であった。
レイイチが生まれるよりも遥か昔に生まれた『古妖と繋がりを有する者は赤色の目に変ずる』などという逸話のせいで、彼は生みの親にすらその存在を否定され、捨てられている。
だからこそ、拠り所のない子供であれば何をしてもいいと思っているような大人から金品を奪い、ゴミの中から使えるものを漁る生活をせざるを得なかった。
「よっ……こいしょっと」
空を見続けることに意味は無い。ゴミの中から目的の残飯を見つけたレイイチは、先ほどそうした様にゴミ箱の縁を掴んでその身体を乗り出した。ごろんと転がって着地する。
そこで、声を掛けられた。
「君……そんなところで何をしているんだ?」
「あ? なんだよオッサン」
難癖をつけて暴行を加えられるのだと思い、レイイチは声の主を睨みつけた。そして、その動きが固まる。
丁寧に手入れされた長い銀髪を、ゆるく束ねた男だった。
袖を通さずに肩に掛けているだけの、黒いチェスターコート。その下の灰色を基調とした上品な着物の着こなしは、確かな品格を感じさせる。
だが、何よりもレイイチの意識を惹いたのは、その眼だった。本来白目であるべき部分が黒く、その内にある瞳は金色に輝いている。
「────その眼」
「ん? ああ、少し変わっているだろう? 興味があるのか?」
レイイチは、こくりと頷いた。妖と共存するこの√妖怪百鬼夜行では、実のところ珍しいものではないが、この時のレイイチは……彼も瞳に|何か《・・》を持つ同類ではないのかと、考えていた。
男はじろじろとレイイチの姿を眺め、それから|ぽん《・・》と手を打った。
「なら、うちに来ると良い」
「……は?」
「さ、行こうか。木邑」
「は」
男が呼びかけると、返事と共に中年の男性が現れた。木邑と呼ばれた男は、唖然とするレイイチを抱えて連行する。
金の瞳の男は、既に背を向けて歩き始めていた。
「お、おい行くなんて一言も」
「ああ、私の名前は黒桐・不澄と言う。これからよろしく」
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気が付けばレイイチは、大きな屋敷にいた。黒桐・不澄という男はどうやらこの屋敷の主らしい。彼の指示で動いた屋敷の人間に、レイイチはすっかりと身綺麗にされて、食卓へと着かされていた。
落ちつかない。レイイチは、整えられた髪を抑えた。目の前の男は力を持っている。この“罪業の赤”がバレたら、無事で帰れる保証はない。
「なんだ? 私の瞳は見たのに、君の瞳は見せてはくれないのか?」
「オレの眼は……穢れてるから……」
「見せてくれたら、食事を出してやろう」
その言葉には勝てない。レイイチは大人しく手を離した。赤い瞳が白昼に晒される。
「綺麗な目の色だな」
「アンタは、嫌がらないんだな」
「罪業の赤か……少なくとも、私は気にしない」
不思議な事だ。レイイチがこれまで出会った人間は、誰もこの目を恐れていたというのに。この食卓につくために身支度を整えられた際の使用人の眼だって、例外ではなかった。客人が故だろう、使用人たちが恐れを見せたのは一瞬だけではあったが。
「さあ、食事にしようか」
黒桐がそう言うと、2人の元に食事が運ばれてくる。見たこともない豪勢な食事に、レイイチは目を瞬かせる。
「こ、これ食っていいのか!?」
「ああ、好きなだけ食うと良い」
黒桐は微笑みを浮かべながら促す。黒桐に食器の扱いを教えてもらいながらも、レイイチはよく食べた。
「はは、健啖じゃないか」
「食える時に食っとかないと……!」
食事を終えて屋敷から放り出された後、レイイチがマトモな食事にありつける機会がどれほどあるかわからない。だからこそ、急かされるようにレイイチは食事をしていた。
食事を終えたレイイチは、慣れない満腹感に苦しめられた。年齢的な胃の小ささもあるが、普段からマトモな食事をとれていないことも大きい。
黒桐の提案で縁側に移り、外の空気を吸いながら雑談をしていると、その苦しさも紛れてきた。
「そういえば君、名前は何と言うんだ?」
「レイイチ」
端的に答える。苗字はとうに忘れてしまったし、未就学児のレイイチには漢字でどう書くかもわからなかった。黒桐もそれを悟ったのだろう。詳しく尋ねることはしなかった。
「良い名前だ。レイイチ、これまでの生活について、詳しく教えてくれないか?」
黒桐の言葉に戸惑いつつも、レイイチは従うことにした。話をしている間は、この屋敷にいられると考えれば悪くない。
レイイチの話に、黒桐は時に怒りの表情を見せ、時に悲しみの表情を見せた。日々を生きるのに必死なレイイチ自身は既にそう言った感情も感じなくなっていたが、黒桐のその反応はなんだかとても嬉しい。
そんな黒桐を見ながら話していると、レイイチは不意に冷たいものを頬に感じた。
「あ、アレっ? オレ、もう何とも思ってないのに……」
「レイイチ」
慌てて涙を抑えようとすると、黒桐は優しくレイイチの名を呼び、その目元を拭った。それがなんだかホッとして、心地よくて、抑えが効かなくなった。
「お、おれっ、おれっ……」
「大丈夫だ。レイイチ……大丈夫だから」
気が付けば、レイイチは優しく抱き寄せられていた。それでも、どうしたらよいかわからなくなって、泣いて、泣いて。落ち着いた頃には、空はすっかり暮れていた。
「ごめんなさい、オレ、もう……」
帰ります。そう言おうとして、言えなくて。俯いたレイイチの頬に、黒桐はゆっくりと触れた。暖かいその温もりに顔を上げると、決意の籠った微笑みが見えた。
「レイイチ、提案があるのだが────」
黒桐の提案は、執事長である木邑の養子として屋敷の使用人にならないか。というものだった。いつの間にか話が通ったのか、あるいは気にすることでもないのか、木邑は動じた様子もない。
結局レイイチはその言葉に従って、使用人となることにした。どうせ帰る場所などない。
それに……仕えたい、と思った。これまでに無い感情だ。誰かのために、何かをしたいなど。
「それでは、名前に漢字も当ててやらねばな……零壱、はどうだ」
漢字の良し悪しなど、レイイチにはわからない。だから、ただコクリと頷いた。それに、黒桐は満足げに笑う。
今、君は零から壱へなった。その先は、自分で積み重ねていくと良い。
その日、レイイチは『木邑零壱』となった。
以降、彼はその日────9月20日を誕生日として公言している。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功