ひび割れた仮面は戻らない
「それでですね。今日はお友達と一緒に新しくオープンしたカフェに行って……」
某月某日の√EDEN某所。
見下・七三子は本日あった出来事を”家族”に報告していた。
「そこのフルーツケーキがすごく美味しくて……え、また食べ過ぎじゃないかって? そそ、そんなことないですよ」
楽しそうに話しかける相手は、体格や年齢や性別に幅はあるものの、全員が同じ仮面、同じ服装をしている。
まるで個性を塗り潰すかのように、”量産品”であることを示すかのように。仮面で素顔を隠した、着崩しもアレンジもない黒スーツの集団から、個人を識別するのは困難だ。
しかし、七三子には分かる。
彼らと同じ”戦闘員”だった彼女には。
「|おうち《・・・》にいた頃は、普通の人みたいにお友達とお茶するなんて、考えもつきませんでした」
七三子の故郷は√EDENではない。
重なりあう次元上に無数に存在する、いまだ知られざる√のひとつ。
そこを一言で表現するなら「ヒーローが支配する世界」だった。
正義のヒーローが悪を打ち倒し、人々を守護する世界。
こう聞けば√マスクド・ヒーローに類似した√のようだが、真相は大きく異なる。
七三子の故郷において、全ての悪の裏で糸を引く黒幕は、ヒーローだった。
ヒーローの正義が肯定されるには、倒されるべき悪が必要だ。
己の強さと正しさを証明する為に、ヒーローは密かに「悪の組織」を運営し、作り上げた悪者を倒すことで民衆の支持を保っていたのだ。
悪の組織が社会を脅かし、怪人が人を襲うのも、ヒーローに倒される為の予定調和。
テレビの中の特撮番組と変わらない、脚本通りの展開と、仕立てられた役者たち。
この世界を欺く壮大なマッチポンプにおいて「戦闘員」とは名前も与えられず、番号で管理される消耗品に過ぎなかった。
「なんだか懐かしいですね……まだ、すごく昔の事でもないのに」
しかし七三子にとって当時の記憶は、悪い思い出ばかりというわけでもなかった。
当時の「戦闘員735番」には、嫌だとか辛いとかを感じる情緒が希薄だったのもある。ただ、自分はモブだと割り切ってしまえば、それなりの立ち回り方はあるものだ。
|主役《ヒーロー》に悪役を押し付けられた側とはいえ、組織の風土も悪くはなかった。
下っ端戦闘員の一族として生まれ育った735番は、同じ見下一族の戦闘員と、エリートの怪人達と一緒に、みんなで仲良く暮らしていた。
正義のために悪として戦い、そして死ぬ。
それは当たり前の事だと思っていたし、組織の歯車であることを疑いもしなかった。
いずれ”順番”が来れば自分も他の親族のように、ヒーロー相手に勝ち目のない戦いを挑まされるだろうと漠然と考えていたし、そのことに対する恐怖もなかった。
転機となったのは20歳くらいの頃。組織の怪人によるクーデターが起こり、そのゴタゴタがきっかけで√能力者になった735番は、√の境界を越えて√EDENに流れ着いた。
それ以来「見下一族の戦闘員735番」から「見下・七三子」になった彼女は、無個性な歯車ではなく、一個人としての生を謳歌していた。
「あっ、そうそう。次はちょっと遠出して人気のスイーツ店に行く計画もあるんです。義妹も一緒に誘ってみるのもいいかなって……え、やっぱり食べ過ぎって? だ、だだだから、そんなことないですよ」
仮面に隠されていない七三子の素顔は明るくて、人間らしく生き生きとしている。
戦闘員時代にはできなかった様々な体験や、掛け替えのない出会いを経て、毎日が充実している様子だ。
「食べた分だけちゃんと身体は動かしてますし……でも私のお友達ってスリムでスタイルいい人が多い気がしますね。なにか秘訣とかあるんでしょうか」
それでも、たまに故郷が懐かしくなった時や、家族の助けを借りたくなった時、七三子はこうしてかつての仲間を喚ぶ。
√能力を使えばいつでも、自分の影から湧くように現れる戦闘員さん達。その姿は記憶と寸分違わない。だから懐かしくは思っても、寂しさを感じることはなかった。
この日までは。
「もしできるのなら、あなたたちも一緒に……あれ?」
いつもと変わらない、何気ない家族との会話の中で、七三子は気付いた。
戦闘員ひとりひとりの微妙な差異から個人を識別できる、元戦闘員の七三子だからこそ、気付けた。
「あなた……お姉ちゃんですか?」
それは七三子がまだ、普通の戦闘員735番だった頃。
自分の目の前でヒーローに首を折られて死んでいった、年の離れた大好きな従姉。
喚びだした戦闘員の中に彼女がいることに、気付いてしまった。
「……なんで? お姉ちゃんはもう、死んじゃったはずです」
ずっとニコニコしていた七三子の表情から、笑顔が消える。
水を浴びたように冷える心。胸にずしんとのしかかる不安。
いや。本当はずっと前から疑問は感じていた。
(考えないようにはしていたんです。異なる√にいる、私の呼びかけに答えて、なんでみんな来てくれるんだろうって)
その答えを知ってしまったら、もう後戻りできなくなる気がして。
何かが決定的に壊れてしまう気がして。
だから無意識に目を逸らしていた。影より現れる、|影のない家族《・・・・・・》から。
「…………あの」
七三子は勇気を出して、従姉のそばにいた|再従弟《おとうと》に問いかける。
幼馴染の怪人と仲良くして、戦闘員の輪からは少し浮きがちだった自分を、「あの日」までずっと心配してくれていた、一つ年下の弟に。
「もしかして、あなたたちはみんな、もう、生きていない……?」
――弟は、ちょっと困ったように、慌てたように周りの戦闘員と顔を見合わせて。
それから、しぶしぶと頷いた。
●
発端は、七三子が√EDENに流れ着く原因にもなった、怪人のクーデターだった。
その怪人は使い捨ての悪役として死ぬことを恐れ、脚本に書かれた己の人生に疑問を抱き、ある大胆な計画を企てた。
ヒーローを操り、主役の座を奪う。
識別番号の48番にちなんで、幼馴染の戦闘員735番には「よつはちゃん」と呼ばれていた彼女は、他者の影に同化し、意のままに操る能力を持っていた。
成功させるためには様々な制約があるが、条件さえクリアできれば誰でも支配できるのは、エリート怪人の家系でも特に優秀と言われていた48番だからこそだろう。
怪人も戦闘員も結局はヒーローの引き立て役。普通の人間にはない強さや特別な能力があるのも、「それを倒したヒーローはもっと凄い」とアピールするための前フリ。
予定調和の枠組みに収まるように運営されてきたはずの悪の組織から、本当の意味で自身を脅かす存在が生まれていたなどと、果たしてヒーローは予想できただろうか。
終わらないヒーローショーに最終回を告げられる者など、いるはずがなかったのに。
自分にはそれが出来るのだと、48番は気付いてしまった。
そして彼女は幼馴染の|戦闘員735番《なみこちゃん》を利用してヒーローの影に乗り移り――悪役の宿命から逃れ、正義の座を奪い取った。結果から見れば呆気ないほど簡単に、怪人によるクーデターは成功|してしまった《・・・・・・》。
見方を変えれば彼女のクーデターは、世界を操る真の巨悪を倒したと言えるだろう。
しかし現実にフィクションのようなハッピーエンドは訪れず、脚本の破綻はバッドエンドですらない最悪の結末を招いた。
虚飾の上に成り立った社会とはいえ、ヒーローが支配する√は平和だった。
自分を正義として賛美する限り、ヒーローは常に民衆の味方であり続けたがゆえに。
48番のクーデターの後、曲りなりにもヒーローが保っていた秩序は一気に崩壊した。
やり方はどうあれ”彼”あるいは”彼女”が常人ならざる才覚を備えた超人であったことは、皮肉にもヒーローなき後の混乱の規模と、莫大な死者の人数によって証明された。
ヒーローに成り代わったはずの48番は何をしていたのか。しょせん脇役では主役の代役は務まらなかったのか、あるいは端から務める気がなかったのか。答えを知る本人の消息は杳として知れない。
まるで積み木の城のように、一度始まった崩壊は全てが崩れ去るまで終わらない。
そして終焉の波は、事実上のヒーロー消滅により存在意義を失った悪の組織にも押し寄せ――ほぼ壊滅状態に陥った√そのものと共に、かつて七三子がいた組織も消滅した。
以上が、七三子が故郷を去った後の顛末である。
●
「……そっかあ、私、おうち、なくなっちゃったんですね……」
全てを知った七三子は、思ったよりも動揺を顔に見せなかった。
しかし普段の彼女を知る者であれば、明らかに消沈しているのが分かるだろう。
落ち込んだ声のトーンも俯いた視線も、まるで萎れた花のよう。
「√EDENに流れ着いて、たくさんたくさん大事な人ができて。多分もう、帰ることはなかった故郷ですけど」
教えてくれた再従弟や他の家族――死者達の前で、独白めいた呟きを零す。
彼女がこちら側に来てから、何やかんやでもう2年程になる。
番号で呼ばれる事はなくなり、知人に「七三子」と呼ばれる事にも慣れてきた。
√能力者になった時に欠落を得た自分は、もう正義のための歯車には戻れない。
だから故郷がどうなったとしても、もはや自分とは関わりのないことだとも言える。
けれども。
「……なくなっちゃった、ってなったら、なんだか急に、寂しくて」
二度と帰らぬ場所だとしても、”故郷”の喪失は思っていたよりも衝撃的だった。
まるで迷子にでもなったみたいな、フラフラして足元が覚束ない感覚。
引き返せないと分かっていたし、引き返すつもりもなかった。
けれど、それを事実として突きつけられるのは想像よりずっと重い。
吐いた息と一緒にスッと、抜けてはいけないものまで抜けていく気がした。
そして――なによりも重く七三子の心にのしかかるのは。
「……こうなると思って、ずっと黙っててくれたんですね」
七三子がどこの√にいても、呼べばいつでも必ず来てくれる戦闘員たち。
仲間を召喚する√能力はそれほど珍しいものではない。ただ、その原理は人によって異なるし、|なにを《・・・》喚び出しているかも違う。
|死者と語らう者《ゴーストトーカー》。
彼女は無自覚にその力を使って、とうに亡くなった家族の霊を喚び出していたのだ。
雑多なモブキャラの1人として、正義のヒーローにあっけなく殺された者。
怪人vsヒーローの前座あるいは賑やかしとして、十把一絡げに蹂躙された者。
そして惨々たる√の崩壊に巻き込まれ、与えられた役目さえ果たせず死んだ者。
顧みる者も悼む者もなく、およそ人間的な尊厳ある死を迎えられた者は皆無だろう。
名前すら与えられなかった彼らは、されど死してなお戦闘員の仮面を被り続けた。
全ては、たったひとり生き残った家族の力になるために。
七三子は、なにも知らずに。いいや、知らないようにしながら。
ある時は事件の調査や簒奪者との戦いのために彼らを使役し。
ある時は√EDENでの幸せな生活を彼らに語り。
ずっと、ずっと、家族の優しさに甘えてきた。
本人たちに言えば、そうじゃないと慰めてくれるだろう。
彼らはきっと七三子を怨んでたりなんかいない。
けれど今は、その優しさと笑顔で向き合える余裕はなかった。
「……ごめんなさい、ちょっとだけ」
心配そうに私を見守る家族たちを、七三子は√能力で送還する。
戦闘員の姿は幻のように消え、あとには痕跡さえ残さない。
ひとりきりになった部屋で、彼女は隅っこの角に移動した。
(ちょっとだけ、ちょっとだけ)
膝を抱えてうずくまりながら、戦闘員時代の自分の仮面を取り出す。
√EDENに来てからも手放せなかった、昔からの愛用品。目元にヒビが入ったそれは、複雑な表情を浮かべているように見える。
そのヒビを指先でなぞりながら、七三子は心の中で呟く。
(ちゃんと心配かけないように、明日は元気になります)
家族のみんなだけでなく、こちら側で出会った人達にも、こんな顔で会ったら何があったのかと気遣われ、きっと迷惑をかけてしまう。みんな良い人で、大好きな人たちだからこそ、彼らや彼女らの前ではニコニコ笑顔の「見下・七三子」でいたい。
(ちゃんと朝になったら、いつもの私でいますから、ちょっとだけ)
仮面を被る。かつてのように素顔ごと感情を覆ってしまおうと。
けれどヒビ割れた仮面では、瞳に光るものを隠せない。
「……ごめんなさい」
言葉は涙と一緒に、自然に零れた。
七三子が√EDENに流れ着いたのは偶然だ。生き延びたのも結果論に過ぎない。
もし彼女が故郷に残って、家族と一緒に死んだところで、何が変わったわけでもない。
それともあの時、|怪人48番《よつはちゃん》を止めるべきだった? 取るに足らない下っ端戦闘員が、エリート怪人の彼女を?
謝っても過去は覆らないし、誰も彼女を責めたりしないだろう。
それでも七三子は「ごめんなさい」と何度も呟く。胸に詰まったものが大きすぎて、そうすることでしか息を継げなかった。
「……687番さん、699番さん、724番さん、730番さん、756番さん、775番さん……」
かつての組織の仲間たち、家族ひとりひとりの事を思い出す。
彼らの人となり、やったこと、話したこと、そして死に様を。
全部は覚えていないけれど、二度と忘れないようにしよう。
名もなき戦闘員だった彼らを覚えているのは、この世にもう自分しかいないから。
「……私だけ、生き残ってしまって、ごめんなさい」
こんなことで赦されるかなんて分からない。赦されたいのかすらも。
けれども。この苦しさは、目を逸らしてはいけないものだから。
夜の帳に身を潜めて、ひとりの戦闘員は亡き故郷と家族を偲び続けた――。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功