いろ、つぼむ
●花開くときを待つ
眠らない夜をそのまま街に落とし込んだような、昼と夜をとり違えたような、奇妙な浮かれた日だった。
今日はハロウィン。前々から考えてはいた『挑戦したい事』を勢いに乗って実行するのにもきっと良い日だと。人知れず奮起した白水・縁珠(デイドリーム・h00992)は若緑のエプロンドレスを翻しおばけたちが溢れる街並みの中をすこし急いた足取りで進んでいた。
手伝ってくれそうな人物とはさっき挨拶を交わしたばかり。いや――正しくはその切っ掛けを作った『容疑者』とも呼べる彼の元へと戻るべく、縁珠はきょろきょろと視線を巡らせ件の人物が遠くへ行かないうちにと歩調を早めるのだった。
「被疑者確保ー!」
「えっ!?」
思い思いの仮装に身を包んだ人々の姿を見るだけでも心が躍る。自分もその中に混ざるのは少しばかり面映くもあったけれど、イベントごとを改めて楽しむ機会なんて黄昏の世界ではそう巡ってこないから。幽霊列車の車掌の衣装に袖を通した賀茂・和奏(火種喰い・h04310)はのんびりとハロウィンに賑わう街を仰ぎながらベンチで小休止していたのだけれど。唐突に掛かった声とついさっき別れたばかりの縁珠の姿に目を瞠り、反射的に両手を挙げて己が無実を示す。
「冤罪です裁判長、俺何もしてない……」
聞き覚えのありすぎる口上に咄嗟に身構えてしまったけれど、ふたはしらの神に誓ってやましい事には一切手を染めていない。一体何があったのかと問い掛ければ、身を寄せた縁珠はずい、と更に身を乗り出して和奏が逃げ出さないようにベンチに両手をついてちいさな檻を作り上げた。
「……罪名? 『縁さんのピアス穴開け手伝おう罪』だけど」
『蕾ちゃんを耳に飾れるのはいつかな』と煽ったのはそっちだ。
及び腰になると思って現場と退路を押さえたけれど。責任は取るべきと続ける縁珠の言葉に目を瞬かせ、漸く状況を理解した和奏は閉じ込められたまま困ったように眉を下げて微笑んだ。
煽ったのではなく、開ける機会を伺っていたのかなと思っていた。
挑戦したい事があったら気軽に声を掛けてほしいとも言った。
「ただ、君に危なくないことならとも言ったよ」
蕾ちゃんを着ける為の一歩はいいとして、大事なきみの体を勢いのままに傷付けるのもよくない。ファーストピアスなら尚更、お医者さんに開けてもらった方が、
「…………病院は嫌い」
その単語を聞いた途端、縁珠の表情が目に見えて翳る。それは単なる子どもの好き嫌いとは違って、もっと根本的な――嫌なことを思い出したとばかり、それまでの勢いを失って縁珠が眉を下げる様子に和奏は己の発言が失言であったことを知る。
「でも、明日やろうは馬鹿やろうだな」
「んーー縁さん、待った待った」
手伝ってくれないのならそれでいい。代わりに鏡がある場所を探そうと体を離そうとする縁珠の思い切りのよさに慌てて引き留めれば、拗ねたように唇を尖らす少女を宥めながら隣に座るように促した。
「別にピアッシングしてほしい訳じゃなくて……」
「うん」
「縁の鏡になってほしい」
「……うん、分かった」
しゅんと俯く縁珠の言葉に頷きながら、和奏は勢い任せに彼女が逃げ出してしまわないことに安堵する。
位置確認はスマートフォンにアプリを入れれば鏡として機能する。けれどどうしたって固定された鏡に比べれば少し頼りない。ピアスの知識は全くないから、その道に関しては先輩と言える和奏に力添えしてほしかったのだと。ぽつり、ぽつりと落ちる言葉に微かに笑う。
「オタク? って程じゃないけど、装備で色々つけてるからね」
そう言う自分自身はセルフピアッサーやニードルで穴を開けたから、勝手はわかっているつもり。けれどそれが仲良くさせてもらっている、ましてや女の子のことであるならば話は大いに変わってくる。
「やる前の消毒とか大丈夫?」
「ん。必要そうなの揃ってそうなピアッサーセットを買ってきたけど、消毒足りない……?」
アルミパウチに閉じ込められた付属のアルコール綿だけでは少し頼りない。仕事用の医療キットに消毒液が入っているから、それを使おうと和奏が続ける言葉に頷きながらふたり並んで手指を清める。自分では見えないであろう縁珠に断りをひとつ入れてからちいさな耳も消毒すれば、少しだけくすぐったそうに目を細める姿がなんだかねこみたいだった。
「医者の世話になりたくないなら、余計ちゃんとしよ」
正直なところ、ファーストピアスなんてものがあると知った時はすこしショックだった。はじめてのピアスは蕾ちゃんがいいのにな、なんてしょげる姿に言い含めるように言葉を重ねれば、自分を心配して言ってくれていることはきちんと伝わっているのか縁珠は今度は素直にこくりと頷いてくれた。
「蕾ちゃんつけられるのは、穴が定着してからになると思うよ。何より……縁さん自身のからだのことだ、大事にしよ」
「……わかった」
甲斐甲斐しく手際よく準備を進めてくれる和奏は手慣れていて、それは怪我を日常的にするつとめに励んでいるのだから当たり前なことはわかっている。いるのだけれど。
「(……なんかおもってた視点、と違うような……)」
ピアス開けって、もっとこう――例えば学生たちが放課後にはしゃぎあいながらするような、軽い――明るいイベントなのだと考えていた。漫画の影響を受けすぎだろうか、こんなに真剣に神妙な空気の中で粛々と行うようなことだったとは。
「もし万一後で腫れたりしたら、嫌でも、早々に相談すること」
「腫れたら、お医者かかるのは……約束する」
病院が嫌いなら知り合いの医師免許を持った人を紹介するからと。何度も念を押す和奏に今度は逆に縁珠が気圧されながら。それでも、自分に傷をつけるのは大変なことなんだよ、と続けられた言葉の意味はきちんと理解しているつもりだから。うんと頷けば、和奏の表情が和らいだことに縁珠はほっと安堵の息を吐く。
「(自分は慣れてるからいいけど……彼女が、痛いのはやだな)」
位置を確認するために、しるしをつけるために僅かに触れた耳はつめたい。
せめても、痛いの飛んでけと、祈りを込める和奏の視線があんまりにも真剣なものだったから。それを間近で見ていた縁珠の脳裏にはあるひとつの単語が浮かんでいた。
「(……これは所謂、ガチ恋距離というやつではなかろうか)」
壁ドンならぬベンチドンをしたのは自分。でも、今は自分の耳を確認するために顔を近付けている和奏を改めて見詰めていると、とても漫画みたいにときめきそうなシチュエーションにならないことがなんだか可笑しくて。
「くふ、」
「……縁さん?」
まだふたりは近い距離のまま。
もにょもにょと笑いを堪えて、堪えきれずに微かに吹き出す縁珠の様子に首を傾げながら和奏は密やかに己が身に宿る神霊に少女の浄化を願う。口にすれば過保護だと怒られてしまいそうだから、念話だけの内緒のねがいごと。後に残るものだからこそ、健やかに咲いていてほしいから。
――ばちん!
今日はハロウィン。街のすべてがふしぎでおかしな魔法に包まれる。
いつもよりらしくないことをしたっておばけの魔法なのだと思えばそれさえきっと楽しい思い出になる。ちょっぴりの痛みだって、後には『よかった』と笑い合えるはず。
蕾は未だ咲かぬまま。
いつか綻ぶ日を夢見て、ふたりを見守るようにきらりと仄かに煌めいた。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功