シナリオ

菖蒲と母の心を子は知らず

#√汎神解剖機関 #ノベル #猫神憑き #狗神憑き

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√汎神解剖機関
 #ノベル
 #猫神憑き
 #狗神憑き

※あなたはタグを編集できません。


 疲労困憊。
 |斯波《しば》・|紫遠《しおん》はぐったりと事務所のソファに背中を預け、靴を脱ぐのも億劫なまま肘掛けに頭を預けていた。
 ――疲れない程度に力を入れて。それをポリシーとする彼だったが、然し此度の大乱、尋常ならざる規模で行われた戦い。胡坐をかいて見物する真似は出来なかった。
 数多の戦場を駆け抜けて、大勢が決しようやく一段落……かと思いきや、残党討伐や事後処理に関係各所への報告といった雑事も後から続々おっ被さって。予想外の箇所でも働き働き、結果半ば背中を蹴り出される格好で三日間の休養を言い渡されていた。

『バイタル上でも疲労が蓄積しています。貴方らしくもない』
「はは、そうかも」
 卓上に置かれたタブレットから話しかける優秀なる戦術補佐官であり相棒、『Iris』の声。それへ返す笑いさえ掠れていることを自覚した彼は、途端耐えがたい睡魔に頭が揺さぶられるのを感じるだろう。
 間をおかず、一言短く「ごめん」と残し目を腕で覆った。

 彼が眠るのを見届けた『Iris』は、言葉なくアラームをセットする。平時よりも数時間遅めのそれは、彼女から見ても限界の近い主人を無理やり休ませるための意図ゆえ。
 ――と。
 ふと見れば、つい先程寝入ったはずの主人が再び体を起こしたではないか。
 この期に及んでまた働くつもりか。小言を注ぎ込んで今度こそ休息を取らせねば。明確な数値でもぶつけてやれば説得になるだろうと再度バイタルを確認しようとした刹那。

「久しいのう、絡繰りの。我が子によく仕えているようじゃな、善哉善哉」

 主人の喉から生じる別人の音声波形。その正体をデータ検索に掛けるまでもなく『Iris』は部屋の隅で休息状態だったドローンを|再起動《たたきおこ》す。
 ――束ねていた浅紫の髪が解けるや、色彩が抜け落ちざらと白く肩から流れ落ちる。品のある動きで前髪を払い除ければ、温みのある黄金色の瞳は、底冷えする赫々とした色に。
 高精度の入念なバイタルチェックを行っても、出てくるのは数刻前と全く同一。
 となれば、それは。

『おはようございます、|山犬の姫《princess》。お目覚めは如何ですか?』

 紫遠を苛む宿怨に満ちた狗神、その根源たる魂――紆余曲折の末に憑依先である紫遠を『我が子』と呼ぶ、荒ぶる鬼子母神であった。


「よく笑うようになったのだな、紫遠。善き友にも恵まれたようじゃ。母は嬉しいぞ」
 宿る身体の主たる紫遠の頬を、労わる慈母の笑みで撫でてやりながら、目を閉じた。
 状況を『Iris』は冷静に、しかし注意深く見つめる。既に一度この山犬の姫と対峙したことがあった。経験上、穏やかなうちはまだ話が分かると判明している。
 ――の、だが。
 口元に浮かんだ笑みが失せ、僅かに瞼が持ち上がれば。
 眼に、赫怒が燈った。
「だというのに。嗚呼、それでもなお此岸は地獄よ。|極楽《えでん》を語るなど片腹痛い。げに穢らわしきは賊徒ども。だが我が子の輩、哀切極まる宿業交々の防人に凭れ。剰え我が子がこれほど痛々しく爛れ果てなければ護り切れぬとは」
 しっとりとした手つきで。|紫遠《我が子》の指へと頬擦りしながら吐き出されていた言葉に入り混じる怨嗟が、次第に高まってゆく。
「だが……だがその献身を、|あれら《・・・》は! 守られておきながらのうのうと忘れ去るのか――!」
 最後には犬歯を剥き、指の甲から血管が浮き上がれば爪の先までもが尖ると。白い毛先から僅かに焔が揺らめくのと同時に。

『お待ちください、|山犬の姫《princess》。爛れる、とはどういうことですか?』
 制止する『Iris』の声。声色こそ変わらず平坦でありながら、予想もつかないその言葉に対して疑義を挺した。
 今さっきも、何なら戦いの後にも、都度身体の影響を加味しスキャンを用いチェックを行っていた。にも拘わらず、|母《かのじょ》が怒り狂う程の損傷があったなどと。
 僅かに首が傾く。赫が、スタンドに立て掛けられた端末へと向けられる。
「――嗚呼、そうであったな侍女よ。絡繰り仕掛けのお主には|身体《そと》は視えても|魂《うち》は見通せぬのであったのう」
 すう、と引いていく焔。
 浮かべる表情には僅かな憐憫や我が子を深く知るがゆえの優悦といった感情こそ伺えたが、恐るべき最悪は遠のいた。そう言っていいだろう。

 山犬は、心臓を指先で叩く。それが指すのは己のことではなく、紫遠だ。
「我が焔に頼り過ぎたな、魂の境界が爛れ、揺らぎ、破れかけておる。もし堤が切れれば、呑み込まれるのは我が子の魂であろうて」
 沈黙する『Iris』。彼女は衝撃に絶句などしない、行っていたのは計算だ。
 狗神の力を行使した際の力の総量と現在の紫遠の能力値を総合的に算出した力の総量。差を便宜上魂の質量差と仮定した際、それらがぶつかり合ったとして。
 紫遠が人格を保ったまま目覚める確率を求め――零にコンマがつき、更に連なった零の桁が十を超えたところで、それを打ち切るだろう。
「ふふ、話が途中であろうに」
 その様子を、どこかおかし気に見つめる山犬の姫。凡百の馬の骨が彼女の言葉を無視すれば、即座に火達磨になっていた。だが|紫遠《我が子》に仕えているのなら、焦りは彼の身を案じるがゆえだと、その意気を受け入れた。
 燃え盛る怨嗟は尽きず、苛烈な結論へと舵を切るきらいはあっても嘗ては群れの長。身内には甘い。

「再び我と紫遠の魂を隔てる境界を敷く。今暫くの間、眠ることになるじゃろう」
『失礼ながら、日数ではどの程度になりますか?』
「一つ夜が巡る、長ければ二つか」
 その程度であれば餓死の危険性は絶無。友人と度々会食に出向いたりなどしている彼だ、寧ろ丁度いいかもしれない。
「然しその間我が子は丸裸、産まれたばかりの赤子も同然。我も深みに潜らねばならぬのじゃ。その間、我が愛し子を、紫遠を」
 頼む、などという殊勝に託すような言葉が続くのかと思えば。
「――決して傷付けさせるな。指の爪先一欠片、髪の一房にでも手抜かりがあれば赦さぬ。よいか、絡繰りの侍女よ。如何に貴様とて赦さぬぞ」
 突き付けられるのは脅し。赦さないと二度重ね、声色に一切の冗談は含まれていない。
『勿論です、|山犬の姫《princess》。私には瞬きも眠りも不要。寸刻の漏れなく、彼を護り通してみせましょう』
 淡々とした機械によって作られた声。だが、『Iris』のその声を聞き届けた狗神は、認めたように頷いた。

 そして、ああ、と。紫遠が普段浮かべるものと似た、今偶然思い出したかのような意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうじゃ、絡繰りの。どうやら我が子は|身体《そと》の傷も隠しておるようじゃぞ?」
『それは、』
 本当ですか、と辛うじて続ける『Iris』。
「女子の化粧を覚えたじゃろう? それを使ったのじゃ、器用な事よ。目覚めたら疾く医者に見せ、戦いからも引き離せ。紫遠は優しい子、我が身を顧みずまた己が手指を薪にせんとも限らぬ」
『肝に銘じます』
 ふふ、と。絡繰りの彼女が返す答えのおかしさに、再び口元に手を添え笑う山犬の姫は。ここでいよいよ一つ「くあ」と欠伸を溢すだろう。
「ここまでか。口惜しいことよ」
 声が濁る。元の声と、母の声とが入り混じる。
「嗚呼、紫遠。母が包んでやれたなら、尾で温めてやれたなら。愛しい我が子よ、どうか、どうか幸せにおなり。我のようにはなってはならぬぞ――」
 自らの腕で、身体を抱く。そうするほかにないことを、悔い惜しむように。だからこそ深い愛を以て。それが、決して伝わらぬことを悟りながら。
『――ええ。彼には、幸福になってもらわなくてはいけません』
 薄氷を踏むようなこのやりとりの中で、唯一真の意味で同意できる言葉に。『Iris』はそう返すだろう。
 山犬が言った紫遠の優しさ。自己犠牲を躊躇わない在り方は、寧ろ希死念慮が齎すものだと。負傷についてもそう。無頓着に、自分の限界から目を背けていたのだろう。

 だからこそ、『Iris』は想う。
 ひとではないわたしの、持てるものこそを与え。この『人間らしい』主に、実りある生を歩んでもらわなくてはならないのだ、と。

 きっと、あなたもそうなのでしょう、|山犬の姫《princess》?
 ついぞ、その問いを投げかけることもなく。
 部屋に残るのは、子供のように背を丸めた、紫遠の小さな寝息だけだった。


 ――ちなみに後日。
 目覚めた紫遠が『Iris』の予約した医者で訳も分からぬまま精密検査を受けさせられ、結果を事務所に流された挙句友人含めた総出でバチクソに説教を喰らうのは、また別のお話。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

挿絵申請あり!

挿絵申請がありました! 承認/却下を選んでください。

挿絵イラスト