シナリオ

命なら其処ら中に

#√汎神解剖機関 #ノベル #ハロウィン2025 #夜と灯

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√汎神解剖機関
 #ノベル
 #ハロウィン2025
 #夜と灯

※あなたはタグを編集できません。


 どうやら夕刻まで降っていた雨は、沈む太陽が連れて行ってしまったらしい。街灯が夜のロンドンを照らすと、まだ石畳に残っていた小さな水溜りが辺りを更に明るくした。常に陰鬱とした空気が圧し掛かる|√汎神解剖機関《この世界》にしては、どこか温かみのある光だった。
 十月の終わり、そして夜ともなると気温も下がる。道行く人々の服装は夏よりも色のトーンが落ち、薄手の上着を羽織る姿も多く見るようになった。夜や休日には思わず目で追ってしまうような仮装を見掛けるのは、今がまさに万聖節と呼ばれる時季だからだろう。それに思い至ると同時に、チェスター・ストックウェルの脳裏には懐かしい顔が浮かんでいた。ノリッジに未だ残る家……その近所に住んでいた人だったと思う。家族同伴の下で登下校する際、よく庭の手入れをしながら挨拶をしてくれた人だ。この時季になると、その人が市販のお菓子をよく分けてくれたことを思い出す。──あまりにも幼い時代の記憶だ。その人物が今も生きているのかすら、チェスターは知らない。

「少年、現地捜査員とやらは来そう?」

 最早馴染んだ声に呼ばれ、チェスターは人々が行き交う通りから視線を外す。夜も営業しているオープンカフェ。向かいの席に座るヒュイネ・モーリスは問いに反して、その視線を通りの方に向けていなかった。先程、ホラー映画のモンスターに扮した店員が運んで来たカモミールティーの湯気を指先で遊ばせ、飲み易い温度になるのを待っている。

「まだだよ。……こんなに待たされるんだったら、今夜の試合も前半ぐらいは観れたなぁ」

 二人は今、ロンドンで合流予定の現地捜査員にかれこれ二十分は待たされていた。プレミアリーグのオフシーズンも明け、ようやくチェスターにとって楽しい季節がやってきたというのに、|警視庁異能捜査官《カミガリ》の仕事は容赦無く飛び込んでくる。何度か怪我人を出している怪異を相手取るというので救護班としてヒュイネにも同行してもらったが、今のところは彼女と夜のティータイムを過ごすばかりとなっていた。

「これはこれで、わたしは面白いよ。このあたりの土地はまだ珍しい物も多いからね」

 ヒュイネはティーカップを手に取り、適温になったカモミールティーをそっと口へ運ぶ。ハーブティーもある種の薬だ。カモミールティーは、リラックス効果による血流の促進が期待されるというのが一般論。それはヒュイネも承知しているが、継ぎ接ぎの体にそれがどれだけ通用するのかを試したくなったのがオーダーの経緯だった。この肌寒い空気の中に在って、どれだけ自身の血液が巡るようになるのか。扱う物によっては危険な好奇心だが、あらゆる学問において更なる発展を齎すのもまた好奇心だ。

「そういえば、前に来た時はこんなに南瓜が点在していたっけ」
「ジャック・オ・ランタンのこと? まあ、今日はハロウィンだからね。別に珍しいものでもないよ」

 時季もあって、街のあちらこちらでオレンジ色の南瓜飾りが顔を見せている。二人が腰を落ち着けているカフェもまた、各テーブルに小さな南瓜型のキャンドルグラスが飾られていて、中で小さな灯が揺れている。
 チェスターからすればまだまだ少ない方だ。どちらかといえば、繁華街よりも住宅地の方がジャック・オ・ランタンで溢れていると教えれば、ヒュイネは興味があるのか無いのか「なるほどね」と短く返す。

「ジャック・オ・ランタン。──生前に悪事を働き、天国にも地獄にも行けなかった男、だっけ?」

 ヒュイネはティーカップを置いて、キャンドルへ視線だけを向ける。ジャック・オ・ランタンのモデルになったという男の伝承。南瓜の中で揺れる灯は、その男が持っていたランタンだとされている。知っている者は知っている、それなりに有名なおとぎ話だった。

「悪魔をも騙した男ってやつ? それでどっちも締め出されたんじゃ世話無いけどね」
「案外、天国も地獄も存在しないと最初に知った男かもしれないよ」

 チェスターの軽口に、ヒュイネはほんの僅かに口角を上げて嘯く。対して、チェスターはその言葉を聞いて「げえ」と大袈裟なほどに嫌な顔をしてみせた。
 天国も地獄も有りはしない。生物としての命を終えた者は、須らくインビジブルとして世界を漂うことになる。√能力者でなければ知り得ないことを、生きているとも死んでいるとも言えない存在となって初めて知ったのがジャックなのだとしたら。彼は今も、ランタンだけを供にして世界の何処かを彷徨っているのだろうか。

「そうだとしたら同情するよ。自我もそのままに、自分が存在しなくても普通に回ってる世界を延々と眺め続けることになるんだからさ。地獄の責め苦すら、無いよりマシだと思ってるかもね」

 金の双眸を細め、どこか冷たく笑うチェスターを、ヒュイネは向かいの席から見つめる。彼の体の向こう側に一瞬、うっすらと夜のロンドンの街が透けて見えた。死後、幽霊として現世に在り続け、〝普通に回ってる世界〟を眺め続けている彼がどのような想いでそれを口にしたのかは他人が知り得るところではなかった。己の持つ知識と技術を総動員したところで、彼を|元に戻す《蘇生させる》ことはできない。万が一それが叶ったとしても、彼が大切にしたかったものはもう戻らないのだ。
 二人が腰掛ける席を、一体のインビジブルが横切ってゆく。大きな鰭を翻して泳ぐ熱帯魚のような姿をしたそれは、ティーカップから昇る湯気を緩く巻き上げながら夜の中へと姿を消した。意思と重力を感じない動きは、いつ見ても変わらなかった。

「そんな可哀想な男がいるとも知らず、世界は平和なものだよ。死者の魂を迎える祭りだとか言う人もいるけど、肝心の|インビジブル《死者》は殆どそんなの気にしてないんだから」
「祭りというのは結局、生者のためのものさ。生者が安心したいからやっているに過ぎない」
「ふーん。それって、君も?」

 半分は暇潰し、半分は興味本位で投げ掛けられたチェスターの問いに、ヒュイネは目を数度瞬かせる。チェスターと違って彼女は生身のヒトだ。だが、只の人間とは決定的に違う体でもある。複数のヒトの欠片同士を繋ぎ合わせて、ようやく一人として成立しているヒュイネが〝生きた人間〟と表現できる存在であるのかは分からない。常に生者と死者の境に立っているような彼女がどう答えるのか、単純な興味からの問いだった。

「わたしが? √ヘブンフォールでも殆ど診療所に引き篭もってたのに?」
「あー、前提が悪かったかも。やっぱ今の無しで」

 そもそもヒュイネの生まれた世界が特殊すぎることを思い出して、チェスターは質問自体を撤回する。自身が√ヘブンフォールに迷い込んだ日のことを思い返しても、診療所の周囲には驚くほど人の気配が無かった。あれはヒュイネがわざわざ人里から離れた場所に診療所を設けているというよりも、それ以前に周辺地域に生きた人間が存在しないと考えた方が自然な静けさだった。そんな土地を拠点としている彼女に、祭りがどうのと尋ねること自体がナンセンスだという結論に落ち着く。

「……まあ、でも」

 最早答える義務も無い質問に対して、ヒュイネは数秒の沈黙の|後《のち》に言葉を零す。蛇苺の色をした瞳に、キャンドルグラスの中で揺れる灯が映る。肌寒い夜を少しだけ暖めるその灯の向こうに彼女が何を見ているのか、分かる日は一生来ないような気がチェスターにはしていた。

「彼らが満足するなら良いんじゃない? 精神って肉体を持続させるための要素としても馬鹿にできないものだし。それが満たされて心身の健康に繋がるなら、好きなだけ祭りを満喫したら良いわって思う」
「うわ、薬屋の模範解答だ」
「何とでも言いなさい」

 チェスターが揶揄しても、ヒュイネはすまし顔で受け流す。ヒュイネの体を構成する〝誰か〟も、そう言っているような気がしたのだ。だから、これはきっとヒュイネ・モーリスの意見として示して良いのだろうと思う。少なくとも、今だけは。
 道行く人々の笑い声が耳に届く。トリックオアトリート、と冗談っぽく言い合う様子が見える。死者を想うこの日に、死者が何も想っていなくとも。彼らはその命を一秒ずつ消費しながら笑っていた。
 ふと、チェスターの視線の先に、人混みの流れに逆らって歩く数人の男の姿が映る。彼らの外見が事前に聞いていた特徴と一致することから、ようやく仕事を始められるのだと察することができた。

「ああ、来た来た。……まったく、待たせすぎだよ。俺、幽霊になってから時間の感覚が変わったからさあ、待つのってすごい嫌なんだよね」
「生きた人間と関わり続ける以上、そこは仕方無いよ。慣れていかないと」

 軽口を叩き合いながら二人は席を立つ。チェスターは早々に地を蹴ってふわりと数センチ浮き上がると、現地捜査員達と合流するべく慣性の法則に従うように浮遊しながら店を離れた。人混みなど気にする必要も無い。√能力者でもなければ視認できない彼の体は、道行く人々すらもすり抜けて大通りを横切って行った。
 ヒュイネは近くにいた店員に声を掛けながら、席のキャンドルグラスのそばに伝票と代金を置く。ティーカップの中はすっかり空っぽになっていたけれど、自身の血液の巡りが良くなっているのかはとうとう分からなかった。

「あら、お客様。チップをこんなに……?」

 立ち去ろうとするヒュイネに女性店員が声を掛ける。テーブルに残した現金は、店員が想定していたよりも多い金額だったらしい。チップという文化自体に馴染みが無いヒュイネからすれば、相場は未だによく分からない。

「ああ。良いよ、受け取ってもらって。楽しい時間を過ごせたから」
「はあ……ありがとうございます……?」

 面倒なので、差し出した金額をそのまま店員に受け取らせて店を出た。店員からすれば女性一人客だったので、ヒュイネの言動はさぞや奇妙だったことだろう。ヒュイネ自身はそんなことなど気にも留めず、チェスターの後を追うように悠々と大通りへ足を進めて行った。
 ヒュイネの後ろ姿も見えなくなった頃、他のホールスタッフが女性店員に声を掛ける。

「やけに太っ腹な客だったって?」
「はい……チップを二人分ぐらい置いて行かれて」
「そりゃ景気が良い。あの客、ずっと一人で喋ってたようだけど、何か見えてたのかね。まるで連れがいるような雰囲気だったよ」
「何かって……ハロウィンだからですか? やめてくださいよ」

 店員同士、冗談交じりの会話を交わしながらティーカップが下げられる。テーブルを軽く拭き上げ、いつでも次の客を受け入れられるよう席を整えてゆく。やけに色素の薄い女が座っていた痕跡は、数分もしないうちに消えてしまった。
 ふと、店員の目にテーブル上のキャンドルグラスが映る。いつの間にか、キャンドルに灯されていた火が消えてしまっていた。今夜は肌寒くこそあるが、風は強くない。内部を覆うような構造になっている以上、自然に消えるとは思えないが……と、首を傾げながらライターでもう一度キャンドルに火を灯した。
 まるでこの席にいた〝何か〟が、炎の温度すらも奪って行ったかのようだ。そんな想像をしたせいか、店員は身震いしている己に気付き、慌てて屋内へと戻って行った。

 今夜はハロウィンだ。人間ではないものが家の外までやって来ていても──何も可笑しなことは無い。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

挿絵申請あり!

挿絵申請がありました! 承認/却下を選んでください。

挿絵イラスト