天魔生誕
果ての見えない戦いが続いていた。
これは、後の世において、『失楽園戦争』と呼ばれる災禍の記憶である。天上界に崩壊を齎した無数の悲劇、その一幕。
●天上界
「"禁庫"が破られたぞッ!」
戦場の混乱の中、誰かの声が響く。
美しき楽園とも称された天上界にも、闇はまた在る。天上界の秩序に従わぬ、"悪魔"と呼ばれる者。悪魔の造りし恐ろしき兵器を接収し、収容した地下施設、"禁庫"。そして、地上の倫理では許容不可能な手段によって√能力者にさせられた、"実験体"のセレスティアルたち。
禁庫の壁に開けられた大穴から、悪魔たちが次々と雪崩れ込んでいく。実験体らは、各々の翼をはためかせ、悪魔共を迎撃せんと並び立つ。
「総員、迎撃用意」
「"粛清"の光よ、降れ」
指揮官の実験体が声を上げ、他のセレスティアルたちが各々の武器を掲げる。実験の過程で自由意志を奪われた彼らには、欠片ほどの焦りも見られない。√能力によって生み出された光の柱が、次々に迫り来る悪魔の軍勢を妬いていく。
戦いは壮絶を極めた。殺傷力に優れた実験体の√能力が悪魔を討ち滅ぼせば、音も無く忍び寄った悪魔が実験体の首を刈り取る。
禁庫に死体が積み上がる中、一人の悪魔の声が轟いた。
「災厄の魔剣、フォーレヌス! 確かに我々が貰い受けたぞ!」
その手には一振りの剣が握られている。別世界より齎された"羅紗"が幾重にも巻き付いていて、遠くから見たとしてもその剣呑さが伝わることだろう。
実験体たちに動揺する機能は無い。それでも強い警戒がその悪魔へと向けられた。
「これがあれば貴様らなどいくら束になっても変わらん。蹴散らしてくれる!」
悪魔が羅紗から呪いの魔剣を解き放とうとする瞬間、それは舞い降りた。
「むっ……!?」
刃同士がぶつかる音。羅紗の巻かれたままの魔剣に、白き刃の直剣が打ち下ろされていた。その持ち主は、"浄化"を担うセレスティアル、ミーシャ。
「そこまでです、邪なる悪魔よ」
「少しは出来るな。だがなぁッ!」
悪魔が空の左手を突き出す。それは禍々しく刺々しい異形へと変じている。反撃を条件として起動する√能力。悪魔は勝利を確信するが、しかし。
「なんだと……!?」
悪魔の拳は、ミーシャの空いた右の手のひらが受け止めていた。速度も威力も、初めから無かったかのように。これこそが"浄化"の権能。√能力を殺す√能力。
決着までは一瞬だった。右手で掴んだ悪魔の手を引き、体勢を崩す。左手の直剣による斬撃にて一閃。
「その魔剣は、悪しき者が手にしてはならないものです」
災厄の魔剣はミーシャの手に収まり、戦の趨勢は決したかに思われた。
「うあっ……!? こ、これは……!」
ミーシャは己の迂闊さを認めざるを得なかった。初めにミーシャが放った一撃は、羅紗を切り裂き、魔剣の刀身を露出させていた。そこから溢れ出る呪いが、恐るべき速度でミーシャを蝕み始めていた。
災厄の魔剣、フォーレヌス。それは悪魔が最後に鍛造した、十三本目の魔剣である。所有者の欠落を際限なく増大させ続け、同時に際限なき力を与える、呪われし一振り。
精神が崩れ去る刹那、ミーシャはフォーレヌスを自らの左胸に突き立てた。ミーシャの判断はあまりに的確で、躊躇が無かった。
「が、はぁっ……!」
自らの"浄化"の権能の源、体内にてフォーレヌスを浄化せしめる。それがミーシャの狙いだ。だが、ミーシャを襲うのは"負担"などという生易しいものではない。
相反する二つの力がミーシャの中で暴れ狂い、全てを削り取っていく。一つ一つに刃の生えた数万の砂粒を、一度に吸い込んだかのような。あるいは、剥き出しの痛覚にヤスリをかけられるかのような。あらゆる比喩を陳腐にするほどの苦痛が、ミーシャを半ば死に至らしめる。
「ぁ、ああぁあああっ……!!」
嵐のような力の奔流の中で、ミーシャは耐え続ける。魔剣の異常を感じ取った悪魔たちも、そこへ殺到していた。
「あのセレスティアルは何をしている!?」
「我らの魔剣を奪い返せ!」
次々にミーシャへと手が伸ばされる。悪魔たちの声が呪いの魔剣を呼ぶ。
渇望と欲望の声、浄化の苦痛が、"それ"を目覚めさせるに至った。
『煩わしいぞ……羽虫共がッ!!』
世界が軋むようにして、空間が弾けた。
その戦いを見ていた者は、「突如として禁庫が消滅した」としか表現のしようが無かっただろう。解き放たれた魔剣の魔力が大爆発を起こし、周辺一帯の空間を消し飛ばした。実験体も悪魔たちも区別なく、である。
何も無くなった空間から、何かが落ちていった。それは、フォーレヌスを携えたままのミーシャだった。
ミーシャの精神は、もはや空の器でしかなかった。浄化の重い代償である。
だが、そこへ根を張るモノがあった。
自由落下を続けながら、ミーシャの羽根が黒く染まり、異形の姿へと歪んでいく。
空っぽのはずのミーシャが目を見開く。琥珀色の目が獰猛に輝いた。只人を遥かに超えた身体能力を以てして空中で回転し、黒翼をはためかせ、地表激突より数センチ前に静止する。
姿形はほぼ変わらず。なれど彼女の表情は、"実験体のミーシャ"とは全く似ても似つかぬものだ。それは、"災厄の魔剣フォーレヌス"そのものだった。
魔剣は己が持ち得なかった肉体を得た。実験体は己が失った精神を得た。ミーシャとフォーレヌスは、互いのAnkerとなり、互いの存在を繋ぎ止めたのだ。
ミーシャの身体を得たフォーレヌスが、ニタリと笑みを浮かべる。
「く、ククク……目覚めは最低だが、この器は悪くない」
肉体を得た悦びに浸る間も無く、彼、あるいは彼女は次の目的を見据えている。
「あの"浄化"の影響か、力の損耗が激しい……ならば、奪うのみ」
残る十二本の魔剣。それらから力を奪い取れば、真なる呪いの力を取り戻すことができる。
「始めに力だ。その後は……」
魔剣は思いを馳せる。あるいは、それはミーシャの肉体が持つ記憶だったのかもしれない。実験の果てにミーシャに"浄化"の権能を授け、魔剣浄化の密命を下した者。実験体を服従させる、"神"の存在。
「ああ、万物の主め。貴様は最後に葬ってくれる」
それは憎悪か、あるいは災厄の魔剣の本能か。
失楽園戦争の終焉と共に、新たなる災厄が生まれ落ちた。
その名は、『ミーシャ・エン・フォーレヌス』。混然の天魔、あるいは十と三つ目の魔剣。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功