結局、何よりも大切な材料は
「……ヨシ」
着物をたすき掛けにし、袖を整え割烹着を着用し、目の前の材料と向き合う。
見た目こそまるで今から料理を始めるかのような姿だが、その前に置かれているのは料理のそれとは異なり……アロマのエッセンシャルオイル、蜜蝋などが並んでいた。
趣味と言うには少し語弊がある、かもしれない。常日頃の手仕事。普段通りのそれにちょびっと、手を加えるだけ。
沸かしている湯の様子を見ながら、オイル類と蜜蝋をビーカーに入れて。程よいタイミングで火を弱め、鍋に先のビーカーを入れて湯煎する。
冬の乾燥、その対策にと作っているものだが、理由は他にもいくつか。かさついた指や手でひとに触れたくないということや、唇も気になる。美容に気を遣っているというだけではない。『真に効果のあるものは、自分で作らねば手に入らない』のだ。
……夜も深まり、すっかり寒くなってきた。手を暖かな火に近付けて、ふうと息を吐く。
内容物がすっかり溶けたビーカーの中へ、精油を入れていく。
ダマスクローズ。かなりの高級品だが美容効果は抜群。
フランキンセンス、乳香。教会で焚かれることもある神聖な香り。
純正のラベンダーは、火傷や肌荒れに効能のある治癒効果。……今まではこのラベンダーだけだったが、今回は前者のふたつも、それぞれを一滴ずつ。
保存料として、ビタミンEも原液で二滴――。
出来上がったそれを、リップクリームの空容器へと注いでいく。二本分注ぎ終わった後、月明かりの当たる窓際へ置き、固まるまで静置しておく。満月の光は魔力を持つとされているから。
一本は自分用に。もう一本は……贈りたい人がいる。
――よく晴れた空だ。月は鮮やかな金色に輝いていて、どの星よりも強い光をもって、暗い街を照らしている。どこかで見たような金色に、ジェイはふと笑みを浮かべた。
日頃から呪詛除けを兼ねて化粧をしているジェイにとっては、リップクリームは必要不可欠に近いもの。きちんと手入れをしなければ唇が切れてしまう。それに乳香の香りや、普段は入れないダマスクローズを用いたのは、なんとなく。
なんとなく……なんでだろう? 本人にも曖昧だ。けれど、『彼』の名を呼ぶ唇が綺麗だと、嬉しいと思った。言語化するなら、それだけだ。
残った材料にマカデミアナッツのオイルとサボテン種子のオイルを合わせ、湯煎にかけなおす。ある程度まで混ざったら引き上げて、中身を小さな泡だて器で空気を含ませながら撹拌していく。作成しているのはハンドクリームだ。
根気のいる作業。延々と手を動かし続ける必要があるが、彼にとってこれは日常であり慣れたものである。手は疲れるが。本当に、疲れるが。徐々に滑らかになっていくクリームの様子を見ながら、ジェイは考え事を続ける。
昔ならば、このような事はしなかった。生まれ育ちゆえか感情が薄く、最近になりようやく「人間的な感情」というものを理解しはじめた。
人間としてのまともな欲求を持たずに、他人のために都合よく動く。暗殺という商いをしていた暗い過去も頷ける。
けれどある切っ掛けで、変わった。殺すものから守るものへと。それが何故か。「あれ」が人類を守護していたからというのも、多少は影響しているのかもしれないが。
時に人は、たった一瞬、たったひとりとの出会いで。「その時に、持っていたすべて」が変化する事だってあるのだ。
最初に覚えたのは食欲。その他は、まだ。それでも食物の味を楽しめる余裕ができたことは、彼にとって幸いで。血の匂いばかりを嗅ぎ当てていた頃と比べれば、今はなんと平和なことか。
時折、夕方ごろ。窓を開けていると、知った場所から食事を作る良い香りが漂ってきて、それにつられて空腹感を覚えたり。茶の香りも昔よりはっきりと分かるようになった。
良いことだらけ。悪いことも多少ある。他人の目を少し気にするようになってしまった事。『新しい生業』に振り回されている事。そのデメリットを考えても、今の生活は。
――楽しいし。嬉しい。
こうして、言語化できることも、この生活も。
ふうと息を吐き。ようやく完成したハンドクリームを熱湯消毒した容器へと入れていく。とろっとしたそれを空気が入らないよう丁寧に詰め。試しに、泡立て器に残ったハンドクリームを手の甲へと塗りつけて広げて、質感を確かめる。
重すぎない軽やかな薔薇の香りに、スモーキーな柑橘系の香り。心地良い香りのそれに、ジェイは目を細めた。
さて次はリップクリームの事を考えよう。簡易的にでもラベルを貼ってラッピングしようか。自分用のものも揃いにしてしまおうか?
いや。そんな必要は無いはず。
無いハズ。なんだケド。
鈍いアイツだ。バレやしない。言い訳だって思いついた。
「作りすぎて余ったカラ」
……そう言って、渡してやればいいだけだ。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功