星彩の標
遠く遠くーー見つけた光は仄かに燈り、時折揺らぎさえするのに…その灯火が潰えることは決してない。
どんなに淡く溶けてしまいそうな光でも「ここにいるから」というように灯り続けている。
ボクは知っている…この|ひかり《標》のことを。
冥い海の中を独り彷徨い
たとえ、この眼が光を失っても。この耳が唄を失っても。
あなたという燈火が心の中で温もり続けているからーー
「ひゃー、雲の中みたいに真っ白なんだよ……!」
頭を左右に振りながら視界を確認しても、先の景色が見えない程の深い霧の中に|降葩・璃緒《ふるひら・りお》(花ひらり・h07233)は迷い込んでいた。
まるで雲海の中を潜るように、辺りは白い霧が四方だけでなく天地さえも覆い隠している。散歩の途中、√の入口に迷い込んでしまうことは今迄も多々あったけれど、こんなにも不透明な世界は初めてかもしれない。
(人の気配も、動物の気配もない…うわぁー、流石に心細いかも…)
建物や森林や川といった物があれば、少しでも地形を想像して歩くことが出来るけれど、それすらこの世界には未だ見当たらない。あるのは"白"ただひとつ。これでは場所を確認する所の話ではない。
そうして暫し迷子のまま行方も知らず歩いていると、璃緒は僅かな変化に気付く。それは霧の中…その先から掠めた甘い香り。
その香りが何であるかに直ぐ気付けたのは、璃緒にとってこの甘い香りは記憶を呼び起こす、思い出の花だったからだ。
「これは、金木犀の香り!こんな霧の深い場所に、金木犀が植わっているの?」
それは秋の訪れを甘やかに知らせる小さき黄金色の花。それを想うと、璃緒の心の中に温かな陽射しが差し込んでいく。その温もりに背中を押された気がして、香りを頼りに先へ進むことにした。
未だ霧が晴れる兆しはなかったけれど、香りを辿った先に璃緒は小さな光が灯っていることに気付いた。
「お家の灯り? もしかしたら、誰か居るのかも! 」
光に誘われるように濃霧の中を少し駆け足で進んでいく。白い霧で鎖された世界で唯一の座標。その元へと辿り着き、出会った光の正体が金木犀の花そのものであることを璃緒は知った。
その幻想的な光景に璃緒は金木犀の花をまじまじと色んな方向から観察する。
「電飾とか…じゃない、よね。花が光ってるんだ! 」
夜空に浮かべた星屑のように沢山の花を連ねている。風に吹かれたわけではないけれど、時にちらちらと小さな花が流れ星のように落ちていっては白霧の雲海へと消えていく。
「わぁ、綺麗なんだよー! 不思議だねぇ。どうして光ってるんだろう?」
鞄の中からスマホを取り出して写真に残そうとするが、この濃霧の中ではぼんやりとその光が曖昧に写るのみであった。この美しさを残して広めることが出来ないのは残念だけれど、だからこそしっかりと記憶に刻んでおこうと思えた。
「……優しい、光なんだよ」
はらりと落ちゆく花びらを手のひらに受け止めながら、璃緒はその光に心を温めていく。初めて出逢った花のはずなのに、どこか懐かしい気持ちさえ芽生える。
その理由は璃緒本人にも分からない。もしかしたら、あの日から遡る喪った記憶に触れるようなことなのだろうか。ーーそれとも、これは…もっと近くに在るものだったかもしれない。
璃緒は鞄から小さな硝子小瓶を取り出すと、その中に手のひらに集めた金木犀の花を納めた。甘い香りと共に、この美しい光をどうしても師匠に見せたいと思った。
「花びらはお土産に持って帰っちゃお。ふふ、師匠に見せるんだー」
小瓶を見つめていると、ふふっと小さな笑顔が溢れる。何処までも続く霧に鎖された世界で独り歩き続けるのは、正直不安でいっぱいだった。その心細さも金木犀の花に導かれてから、いつの間にか安堵に変わっていく。
「なんだか、灯台みたい。あれって、確か…船乗りさん達の道しるべ、なんだよね。いつでも同じところに帰ってこれるように、ずっと…光を照らし続けてくれる。……金木犀を辿って行ってみようかな。ここで立ち止まってても、仕方ないもん」
それが陽だまりの場所への道しるべなら、きっとこの霧の向こう側へ連れて行ってくれる気がして、踏み出す勇気に変えていける。
この光を見ていたら、きっと大丈夫って、そう思えるから。
ーーそれならば、帰ろう。ボクの道しるべの場所へ。
あなたがくれた、帰る場所。
おかえりなさい、って言える場所。
『みてみてー!師匠!!』
『そんなにはしゃいで…どうしたというのです、璃緒』
『おさんぽしてたらね、小さなお星さまを拾ったんだよ! 師匠にプレゼント。このお星さま、すごいんだよ!だって、あまい香りがするの!えへへ、すごいでしょ?とっておきだね! 』
『ーー……、璃緒』
ーー白い霧を抜ける最中、いとおしき追憶が花綻ぶように蘇る。
あの時に見せた、あなたの少しだけ驚いたような表情と一瞬柔く緩んだ優しい眼差しを、ずっとずっと憶えている。
師匠は自分を律している人だ。時にその厳格さが人を遠ざけるのかもしれないけれど、ボクはそんな師匠が時折見せる静かな微笑みが大好きなんだ。
だから…あの日と同じ、あなたに小さな黄金色のお星さまを贈りたい。今度は、まるで満天の夜空から降り注いだような…とびきりの光るお星さまを。
沢山の|たからもの《愛情》をもらったから。
存在を成す為の名前も、生きていく術も、とびきりの魔法も。
あなたがひとつひとつ丁寧にボクに託してくれた、たからもの。
何度も|春夏秋冬《ひととせ》を巡りながら、花の知識と育み方を注いでくれた。あなたが好きだと言ってくれた、煌く輝石竜の証は授かった名と共に今は誇らしく思える。
数え切れないくらいのたからものが、あなたへの縁を結び導いてくれているから、きっと何度でもボクは其処へ帰るのだろう。
今度はボクが師匠にとびきりのたからものをあげたい。その微笑みがひとつでも多く、花開いて欲しいから。
遠くへ行くことが叶わないあなたの代わりに、ボクがたくさんのしあわせを束ねて渡すよ。
こうして不思議な場所に導かれた先で出逢ったものや、日常の中に感じたささやかな喜びが、笑顔の種になってくれたら…何度伝えても足りないくらいの、たくさんのありがとうに…なるかな。
大きな一歩が白雲の濃霧を抜けていく。自然と歩幅は広く、やがて駆け足となって、光のもとへ迷い無く目指す。
ーーああ、はやく会いたいな。
手のひらの上で輝く小さな星彩が、あなたとボクを繋ぐ"標"となってくれますように。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功