ふたりのちいさな大冒険
朝からあんまりにも良い天気なものだから、のんびりと朝食を食べて、一息吐きながら好きなことをして。ついでにお昼も済ませてから、邏傳はぶらりと住処を出た。
「ほんっと気持ちええ天気だわぁ。まさにお散歩びよりなんよ」
ふくふくと幸せそうに頬を緩ませて、細めた視線を足許へと落とす。きっと同じ気持ちなのだろう。いつものようにごろごろと転がりながらツボツボとついてくる|🏺《つぼティーヌ》の、その足取り(?)も軽い。
見渡す限り、森は秋一色に染まっていた。ふかふかの落ち葉の絨毯は柔らかく、赤や橙、黄のとりどりで彩られた大地へと、穏やかな午後の木漏れ日が淡い濃淡を描いている。肌に触れる大気はほどよい温もりを帯びていて、今にも微睡みに誘われそうだ。
このまま何処か良さそうな場所で昼寝も良いかもしれない――そんな考えも過ったが、邏傳ははたと思い出す。
「そいや、こないだ見つけたあの林檎ちゃん、もう実っちょるかな? そろそろ食べごろだよねー」
先日見かけたときはまだほんのりと青みが残っていたが、夜が大分冷え込むようにもなってきた今の頃合いならばちょうど良い塩梅だろう。このままあの林檎畑へと赴いて、幾つか収穫するのも妙案と言えよう。持ち運ぶ籠などは持ち合わせてはいないが、なあに問題あるまい。なんといっても、傍らには容量未知数の頼もしい収納美人たる|🏺《つぼティーヌ》がいる。
どうやら彼女もその気になったようで、嬉しそうに弾みながらごろごろツボツボと隣を転がっていたが、不意にその動きが止まる。
「ん? どしたん、|🏺《つぼティーヌ》」
どこか怯えるかのようにそっと邏傳の片脚に寄り添った|🏺《つぼティーヌ》へきょとんとひとつ瞬くと、邏傳もなにかに気づいたように顔を戻した。きょろりきょろりとあたりを見渡す。
「あれ、いつの間にか暗ぁなっちょんの」
夜になるにはまだ大分時間があったはずだ。だのに、陰よりも昏い、まさしく夜が森全体を包み込んでいた。その闇のなかに、ぼうっとひとつの灯りが燈る。
「うん? なんかある……?」
木々の影のその向こう、よくよく眼を凝らしてみれば光に縁取られたなにかがあった。じわりと湧き上がった好奇心のまま一歩を踏み出しかけたところで、ごろりごろりと半弧を描きながら|🏺《つぼティーヌ》が邏傳の前へと立ち塞がる。
「ん? 心配してくれちょるん? だいじょぶだいじょぶ! 何かあっても、なんとかなるっしょー! たぶん!」
そう云いながら、からりとしたいつもの笑みを湛えた邏傳はひかりの方へと小走りに駆け寄った。近づくにつれ、その姿形が鮮明になっていき――、
「ドア……ドアだ! なんか面白そーっ」
身の丈よりも大きなそれを前に、邏傳はとびきりの歓喜の声を響かせた。
それは、重厚な両開きのアーチドアだった。両脇には大小のジャック・オ・ランタンがあり、ドアの濃い褐色の木目とその美しい装飾彫刻を照らしている。奇妙に捻れた枝が装飾のように巻きついているが、敵意や害意のようなものは感じられない。寧ろ、ゆらゆらと揺れる|洋燈《ランタン》の灯はどこか誘う踊りのようにも見えて、邏傳の裡に湧き上がる高揚感を一層掻き立てた。
「よし、行ってみよっか。|🏺《つぼティーヌ》」
図らずも今日はサウィンの日。ならば、一足早く魔法を届けに来てくれた世界の気紛れに付き合うのも乙というものだろう。おっかなびっくりぴゅんと懐へと飛び込んできた|🏺《つぼティーヌ》を服のうえから優しく撫でると、邏傳は興味津々と云わんばかりに眸を燦めかせて、鈍い金色を放つドアノブへと手を掛け――それはもう勢いよく、盛大に開けた。
✧ ✧ ✧
(眩しっ……!)
再び視界いっぱいに陽のひかりが溢れ、邏傳は反射的に瞼を閉じようとして――できなかった。
(あれ? なんで……って俺、躰動かせん!? 知らんうちに縛られちょ……うおう!?)
不意に全身を包んだ浮遊感に声が漏れるが、音にはならなかった。低い位置からゆっくりと持ち上げられ、自分を覗き込む紫の眸と視線が交わる。
「もしかして……デンちゃんですの!?」
(あれ? この嬢ちゃんは……?)
「やっぱりデンちゃんですわ! そうですわよね!? ティーヌには分かりますの!」
(ティーヌ……って、ちょ……!? もしかしてこの子、|🏺《つぼティーヌ》なん!?!?)
大きな二重の双眸に、白い肌。艶やかな黒髪は毛先に向けて綺麗なウェーブが掛かっている。年の頃は邏傳と同じくらいだろうか。上品ながら動きやすそうな洋服を纏い、どこからどう見ても人間の娘にしか見えない。
「ああ、デンちゃん……こんな掌サイズになってしまわれて……しかも喋れませんのね? でもちいさな硝子の蜥蜴のお姿も愛らしいですわ……」
どうやら人の姿を得たらしい|🏺《つぼティーヌ》がそう云って掌に乗せた邏傳をうっとりと見つめるも、直ぐさま柔く首を横に振る。
「いけませんわ、ティーヌ! 今宵ひとときの夢だとしても、デンちゃんはお困りかもしれませんもの。もっと真剣に考えねばなりませんわ」
(なるほど、よう分からんけど|🏺《つぼティーヌ》にはこの状況の原因、ちゃんと分かっちょるんやね)
扉と壺という無機物同士の意思疎通なのか、不思議な魔法的物体仲間故に悟ったのか。いずれにせよ、動けぬ喋れぬおまけに容易く壊れそうな身とあっては、ここはすべてを彼女に託すほかはない。邏傳は渾身の念を込めて|🏺《つぼティーヌ》を見つめてみる。
「デンちゃん……分かりましたわ。このティーヌにすべてお任せくださいませ。なにがあろうと、ティーヌが全力でデンちゃんをお守りいたしますわ」
まさに以心伝心。常日頃から共に連れ歩き生まれた絆だろうか、邏傳の心情を察した娘はそう云って花笑みを浮かべると、目を瞠って視線を巡らせた。掌に乗ったままの邏傳もまた、同じ光景を|眼《まなこ》に映す。
「……海、ですわね……」
(……海、だわぁ……)
|🏺《つぼティーヌ》から毀れた声と、邏傳の心中の声が重なった。
どうやら森の端にいたらしいふたりは、すぐそばに見える広い海原に暫し言葉を失くす。念のため警戒を怠らぬまま、そろりそろりと歩き出すと、地面はやがて白砂へと変わった。さくさくと踏み跡を残しながら歩を進め、波打ち際で立ち止まる。
周囲に何者もいないことを確認した|🏺《つぼティーヌ》は、深くひとつ息を吐いた。再び空気を吸い込み、ふふ、とちいさな笑み声を洩らす。
「これが潮の香り、ですのね」
不思議道具であるとて、元来壺である身ならば、普段はあまり香りというものを意識することはなかった。だが、大好きな邏傳が語る話は、なんだって覚えている。雪で遊んだことも、花見をしたことも、海の月へと願ったことも。
「ほら、デンちゃんも去年、海に行きましたでしょう? だからティーヌも、一度来てみたいと思っていましたの」
そのささやかな願いが叶ったのだと喜ぶ娘の横顔に、邏傳もまた、硝子の眸にきらりと光を抱いた。いつも可愛い可愛いと愛でてはいたが、裡でそんなことを考えてくれていたなんて。そのいじらしさに、益々愛おしさが募ってゆく。
「海も、こんなにも綺麗なものですのね。それに、今のティーヌの目線の高さ……デンちゃんと同じくらいですわよね。いつもデンちゃんがこうした景色を見ているのだと思うと、それだけで幸せですわ」
いつも自由に転がらせていたが、たまには肩に乗せたりするのも良いかもしれない――思わずそんなことを考えてしまう主を知ってか知らずか、|🏺《つぼティーヌ》は邏傳を丁寧に頭のうえへと乗せると、器用にそのまま海沿いを歩き出した。粗方、周囲の地形を把握すると、唇へと指を添えて思案する。
曰く、恐らくここは島で、今は|人気《ひとけ》はないものの、船などがあり最近使った様子もあることから誰かしら人はいるようだった。ただ、周囲の海岸線はすぐに岩壁に遮られており、島のほかの地域へと行くには森を抜けるか船を借りるしかなさそうだ。
「お借りしたらまた返しに来ないといけないのは手間ですわね……ここは森を抜けていきましょう」
唯でさえ、人の姿はまだ慣れぬ。そのうえ船の操舵となれば、いざというときに邏傳を護り切れぬやもしれない。その懸念も過った娘は主へと語りかけながら、再び森へと足を踏み入れた。幸い、木々の背は高いものの平坦な道は歩きやすく、脅威になりそうなものも見当たらなかった。一度、大柄な虎とは遭遇したが、「こんなこともあろうかと」と|🏺《つぼティーヌ》が腰に下げていた壺――見た目は普段の|🏺《つぼティーヌ》に瓜二つだが、なんの変哲もない壺らしい――から大量の海水を消防士よろしく噴射し、早々に撃退できた。恐らく、本来の|🏺《つぼティーヌ》の能力は今の彼女にとっては壺を媒介にした√能力のようなものなのだろう。
心地良い木漏れ日のなか、途中で見つけた野苺の甘さに舌鼓を打ちながら歩くこと一刻ほど。漸く拓けた場所に出た娘は、まぁ、とちいさく感嘆した。
「デンちゃん、街ですわ!」
云って、紫水晶のような眸を耀かせながら、オレンジ色の屋根連なる方へと続くなだらかな道を駆け出した。穏やかな秋風に黒髪が靡き、一層娘の足取りも弾む。
ほどなくして辿り着いた港町は、ちょうど祭の時期でもあったようでどこも活気に溢れていた。新鮮な食材も興味はそそられるが、それよりも|🏺《つぼティーヌ》の心を掴んだのは通り沿いに出ていた露店たちだった。一軒一軒、そわそわと胸躍らせながら店先を覗いては、並ぶ品々をじっくりと眺める。
「どれも綺麗ですわね……あっ、でも、お代が要るのですよね……?」
すぐに持ち合わせがないことに気づき、明らかに落胆する。|壺《自身》のなかには色々なものが入ってはいるが、生憎金銭はない。そも、あったとしてもこの夢の世界で流通しているそれとは限らない。硝子のオブジェの身ではどうすることもできぬ邏傳も、娘の頭のうえでもどかしい思いを抱くばかりだ。
「……って、あら? 腰のポーチにお財布が……!」
なにかなにかと身につけているものを確認していた|🏺《つぼティーヌ》の顔が、忽ち明るくなった。中身を確認する娘の頭上から、邏傳も倣って中を覗く。案の定、入っていたのは見たことのない紙幣と通貨だったが、余所の露店を一瞥すれば、人々も同じものを使って売買をしていた。同じくそれに気づいた|🏺《つぼティーヌ》の顔からも、忽ち落胆の色が消え去っていく。
「であれば、ティーヌは欲しいものがあるのです。……その……緑色の、綺麗な宝石が……」
何故かもじもじと恥じらいながら語る娘は、ゆっくりと頭のうえから邏傳を下ろした。掌に乗せ、そうっと打ち明ける。
「緑色は……デンちゃんの眸の色、でしょう?」
白磁の肌に黒髪という見目も、大好きな主と対のいろ。眸は揃いであっても良かったが、娘にとって緑はなによりも大切だから、敢えてそれを映えさせるいろがいい――そう常日頃思っていたことが|夢《ここ》で再現されるほどに、邏傳の存在は特別だった。
――自分への用向きがないときでも、いつも見つめてくれているその眼差しを感じていられるように。
そう願う娘は、幾つかの露店を巡ると、一目惚れした一等綺麗な緑石を買い求めた。天鵞絨の小袋に入れられたそれを取り出し、柔らかな午後の陽にかざしてみる。
「綺麗ですわね……ふふ、」
肩に乗った邏傳の双眸に映る、眩く透いた緑。
ともすれば、この一夜限りの夢が終われば消えてしまうものかもしれぬ。
――それでも。
「今日此処に来られて、ティーヌは幸せですわ、デンちゃん」
共に過ごしたこのちいさな大冒険は、きっと。
あたたかな記憶となって、いつまでもふたりのなかで鮮やかな|彩《いろ》を咲かせ続けるのだろう。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功