寂寥なる石棺の中で
●棺の中で
気が遠くなるほどほど遥か彼方、遠く遠く過ぎ去って逝った|あたたかな背中《安寧》に幾度も手を伸ばす。
この石棺のような部屋の中で、何度も、何度も。届かないとわかっているのに、それでも手を伸ばす。
万が一、億が一、今度こそと|希《のぞ》めども|希《のぞ》めども、その度に裏切られているのに。それでも試さずにはいられない。幾度の失意を味わっても潰えぬ希みを果たしたい――切望、否、きっともうこれは癖のようなもの。
「今度はどれでいこっかなあ」
身体を蝕むと言われている毒の煙を肺一杯に吸い込みながら、それすら| One more chance《わんちゃん》を希む行為であると自覚していながら、まるで酒を選ぶかのように亜空間より引っ張り出した材料をいくつか選んだ。
あれは試した、これは試した、この組み合わせはどうだったっけ?――うっかり出来上がってしまった霊薬のいくつかは、この無謀でありながら切望なる挑戦の副産物でしかない。あれらに求めた本懐は、全くの別物だ。
希んだのは、終わりだ。死だ。幽けきものではない、二度と蘇らない死。終末。安寧。安息。|能力者《EDEN》である以上、|楔《Anker》から齎されない限りは訪れることがない、本来であれば誰しもに平等に訪れるありきたりで普遍的な死。
ああ、|EDEN《楽園》の名を冠しながら、|EDEN《楽園》に逝くことができないなど、なんて悪い冗談だと何度思ったことだろう。自らが逝くのは|HELL《地獄》かもしれないが、それは、ともかく。
此度のメニューを決めるのに石棺に刻まれた|痕跡《血の跡》をなぞり、ひとつひとつ自ら迎えた終焉を思い出す。
終わるために試したのはまず、服毒。それこそ√を渡ってまでの世界中に在るあらゆる毒を試した。次に減らすこと。斬ること。蝕むこと。いたぶること。都合よくできた薬で痛覚を遮断して――まず身を切り刻んでみた。眼孔より脳を穿ってみた。己が身を内側より焼き尽くしてみた。逆に凍てつかせてみた。じわじわと腐らせてみた。肉片になれば流石に蘇らないのでは、と破裂させてみた。自棄になって腹を裂き、臓物を引きずり出してみた。魂そのものすら傷つけたこともある。溺死、轢死、圧死、窒息死、感電死、出血死、ショック死、餓死、凍死、焼死――ありふれた死因は一通り試し尽くしていて、あとは|どう《・・》至るまでのパターンでしかない。
「あ、そうだ。増やしてみよっかあ」
何がどう増えるかは、試してみてからのお楽しみ。希む結果が得られないとわかっていても、そこに辿り着くまでの工程は好奇心がはやるばかりだ。さて、まずはわかりやすく肉体的アプローチから挑戦するのは基礎基本。タイタンの霊薬をベースにいくつか材料を混ぜ込んでみる。
生命が飽和するように|世界樹《トネリコ》の根の粉末、おまけに樹液。姦しいマンドラゴラを煎じて入れたら、舌が増殖するかもしれない――さくっと〆て千切りに。多数の舌持ちと言えば多頭の幻想種、ヒュドラの毒も入れてみる。入れ物が溶解しそうになったが、そこは錬金術で強化を施した。目や耳については関連する妖怪のパーツがメイン、|百目鬼《どうめき》や|千里耳《せんじり》の涙や肝の粉末を適量。 飲めなきゃ話にならないので、飲みやすいように蜂蜜や砂糖やミルクを入れてまろやかになるように。香り立つナツメグやシナモンとかも入れてみて、ことことよぉく煮込む。かき混ぜていくうちに霊薬は、甘く香り立つも毒々しい黒色を纏った。
「ん~……料理とは反対なんだよねえ」
匙で味見をひと掬い。見た目こそ悪いが、うん、味は悪くない。狙ったとおりにほんのり甘く、喉の通りも大変良い。これならば水を飲む感覚で飲み干せてしまいそうだと安堵する。
ここでふと、首を傾げた。最近は度々料理をする機会があったが、そのどれもが見た目がよく味が悪いという真逆の結果を齎している。
(霊薬を作る感覚で作ってんだけど、おかしいなあ。液体と固体の違いか? けど、この間はかば焼きのタレだったんだよなあ)
となにやら解明しなければならない謎が増えた気もするが、それは、此れを試してから取り組むとして。そう、どうせ|次があることはわかっているのだ《生き返ることは確定しているのだ》。|残念なことに 《・・・・・・》。
「あは、ま、いっかあ」
とにかく、今は少しでも希みに手を伸ばさねば。おとぎ話の姫君だってガラスの棺で、いばらの城で、眠りについていたのだ。醒めてくれぬよう願う眠りには演出も大事というもの。小洒落な薬瓶に詰め替えて中身を一気に煽り飲む。喉を流れ落ち、胃が薬で満たされる感覚。期待に胸が高鳴る。それから5分、10分――時計が時を刻んだ。まだか、まだか、逸る気持ちが少しずつ諦観に傾くころ変化は訪れた。
「ん?」
ぽろり、口からひとつ歯が零れ落ちる。舌で歯列をなぞっても穴は、ない――抜けてすぐ、生えたか。それでもおかしい。あれだけ混ぜて|これだけ《・・・・》?
「っぁ、ぐ、」
ねえわ、と吐き出すつもりだった悪態は直後、うめき声にかわった。ぽろり、ぽろり、ころころころころ。ひとつの変異を皮切りに其れは怒涛のように。ころり変わる夏の天気のように。次から次から歯が抜けて生えて抜けて生えて生えて生えて生えて生えて抜ける前に生えて生える場所がなけれ隙間から生えて。歯茎に、舌に、舌を伝って喉にも気道にも食道にもびっしりと生えて生えて生えて生えて生えて生えて生えて――
「ァ、あ、がっァア」
押し出されて毀れた古い歯が床を埋めていく。生え続け、伸び続ける歯が気道を塞ぐ。喘ぐ喉に触れた手がぬるり赤に濡れて、歯が食い破った|首の穴《・・・》から酸素が入り込んだ。その穴すらすぐに別の歯が塞いだ。また別の穴が穿たれて本能的に吸い込む酸素、しかしすぐに塞がれてを繰り返す。度々入り込む僅かな酸素で|窒息すらできない《・・・・・・・・》。嬲られるだけで意識の途切れすら訪れず、床に四肢くずおれたルメルの身体を支えたのは――腹を突き破って赤黒くぬめる一本の|腕《・》。ガァアっ! 臓物より逆流する筈の血潮は気道隙間なく生え続ける歯に塞がれた。ガボゴボゴボ、血に溺れるとはまさにこのことか。されど迎える死が溺死であれば、まだよかった。
ひとつでは足りぬと腹から生え続け、身体を支え、床をでたらめに這う腕たちには鱗のように歯が並ぶ。もやは己が身体の変異を見る余裕はなかったが、ルメル本来の四肢すら隙間なく歯に埋もれ白鱗の蛇のよう。苦しみ喘ぎ脱力する身体は、腕に振り回されるまま壁に床に打ち付けられた。裂けた腹から、皮膚からぽろり歯が――否、歯だけではなく爪すらも毀れる。生えた腕には歯の鱗の隙間からぎょろり目が生えた。まるで|本体《・・》をうまく動かせぬのは視界がないからだ、と言いたげに。増殖。命の過剰。止まることなき無限の成長。無限をゆるされた蛇のように古き器を脱げぬ人体に、それらが与えられたら果たしてどうなるのか――増殖はやがて部位だけに留まらず。酸素を吸う道が足りぬならと気道が肺ごとみぞおちより生えた。失血するならばと血管が心臓ごと頭部より生えた。あれが足りぬこれが足りぬ、ならば|生かすために生やせ《・・・・・・・・・》と。歯と爪と止まらぬ増殖に内側より膨れ上がる人体は、破裂による破壊も迎えずに皮膚すら無限と増殖していく。
ざりざりざり、ざりざりざり、ざりざりざり、ざりざりざり。ぐるり幾刻と時計が回り切るほどの時間の果て、石棺を埋める歯と爪の中をただただ這いまわるだけの異形と化す頃には、思考はいつ薬効が切れるのかとばかり逡巡していた。生きたいのではなく、死にたいのだ。増殖に肉体が限界を迎え、死ぬだろうとまでは考えたのに。まさかこうなり果てるまで生かされるとは――。
「クソ、が、よ」
果たして一体どこに生えた口が言葉を紡いだのか、やっとやっと吐き出せた悪態の後にパンっと呆気なく肉体が破裂して――一度、|死んだ《・・・》。
沈黙。
静寂。
すいと魚が泳ぐ。視えぬ魚の影がひとつ、ふたつ、惨憺たる棺の中を泳ぐ。
ぐるり|インビジブル《魚たち》が石棺を浮遊し、残骸を一片一片啄んで、群れを成す。
腹を満たした群れは一か所に集い、人の形を成し、そして。
「ああ、クッソ、また失敗した……で、今回の効果は、確か……」
落胆と共に起き上がった男はしばし項垂れた後、また、希みに手を伸ばのだ。
気が遠くなるほどほど遥か彼方、遠く遠く過ぎ去って逝った|あたたかな背中《安寧》に追いつくために。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功