Lost bond
――息が苦しい、と、唐突に彼は思った。
己の手を眼前に翳し、凝視する。暗色の手の先には、ぎらり光る鋭いかぎ爪。それが手袋なんかではなく正真正銘自身の手であることを、|薄野・実《すすきの・みのる》(金朱雀・h05136)は理解していた。
否、この姿を『実』とは呼べまい。今や『彼』の意識は人間であった時からは大きく剥離している――今の自分は『|金朱雀《ヘリオフェニクス》ファルド』。身も心も、怪人としての在り方に侵食されていた。
「くっ……うう!」
苦悶の声が|嘴《くち》から零れ、抗えぬ衝動に包まれる。彼は身に纏う炎を放ち、周囲を焼き尽くさんと力を揮った。逃げ惑う人々。暴走する力で蹂躙する先を見て、ファルドは初めてここが夜の繁華街であることに気付いた。長く伸びたビル群に、切り取られた月が冴え冴えと光っている。
その蒼き光に見惚れた、一瞬の後。パン、と発砲音が耳に聞こえたかと思ったら、彼の腹部に凍てつくような痛みが走り抜けた。
「あっ……あ……?」
よろめいた体を立て直して、彼は攻撃の発生源を辿る。彼は攻撃に驚いていた。不意を突かれたそのことにではなく、覚えのある攻撃だったことに――。
ゆっくりと振り返る。その先で銃を向けていたのは、予感通りの|大切な人《Anker》だった。
(「……まこと……」)
平岸・誠(Blue Bullet Brave Blue・h01578)の名を呼んだと、ファルドは思った。けれど実際にはそれは声にはならない。忌まわしき怪物と化した自分は、もうあの名を呼ぶことさえできないのだ。
膨らむ衝動が誠に向かうことだって、止めようがない。突き出す手、迸る炎。それは彼ごと世界を炎に包む――はずだったが、その前にもう一度銃声がした。
今度は、眉間。金朱雀の急所を容赦なく狙う氷の弾丸が、凍気を彼の頭へ這わせていく。ぱきりと音鳴るのを聞きながら、ファルドはもう一度誠を見た。
――彼は静かに泣いていた。頬を綺麗な涙が伝っていく。それなのに、誠は目の前の怪人――幼馴染であり親友である実の、変わり果てた姿から決して目を逸らそうとはしない。その涙に濡れた藍色の瞳こそが、誠らしいなんてファルドは思ってしまう。
(「……ああ、そうか。誠が殺してくれたら、僕は人として死ねるんだ」)
急に、そんな思考が彼の頭の中に浮かんでくる。
平岸・誠は、薄野・実のAnkerだ。怪人細胞を植え付けられ、|√能力者《死ねない怪人》になった実だが、誠にならその無限の悪夢を終わらせることができる。そう、望んでいるからこそ実は誠をAnkerに定めたのかもしれない。
三度の発砲は、二発続けて。それはファルドの両手を撃ち抜き動きを封じた。これでもう誠へ攻撃しなくて済む。安堵した彼は、裡に戻ってきた『実』の自我で、誠の攻撃を受け入れる。
(「――ごめんね、僕は君を悲しませた。こんな僕を殺す為に、君の手を汚させた」)
瞳を伏せたくなるけれど、それでは正体を秘匿し続けた今までと変わらない。実は金色の瞳で真っ直ぐに誠を見つめながら、続く銃撃を体に受ける。
――あの日、二人出会わなければ。そんな可能性が、ちらりと脳裏に過ぎる。出会いから全てなかったならば、きっとお互いこんなに苦しむこともなかったのだろう。けれど、実には全てを否定することはできない。
(「僕は……君に出会えて沢山救われた」)
実にとって、誠は出会った時からずっと|英雄《ヒーロー》なのだ。何度だって助けられた。虚弱な誠を実が助けているようで、助けられているのは実の方だった。彼がいなかった人生なんて――きっと、何の花も咲かない。
誠の銃弾は実の足も凍てつかせ、ついに残るは胴体のみとなった。涙を零しながらも、彼の向ける銃口に迷いはない。きっと次は心臓を凍らせて、実はやっと息絶えるだろう。
実は、ほうとため息をついた。心からの安堵のため息だった。そして、|嘴《くち》からは実の心そのままの声が零れる。
「最期まで僕を救ってくれるんだね。ありがとう――」
瞬間、誠の藍色の瞳が見開かれるのを実は見た。けれど誠は迷いなく――銀色の弾で、実の心臓を撃ち抜いた。
「ぐ、っ……」
体が大きく揺れて、大地に倒れる。ああ、これでおしまいだ。驚くほど素直に死を受け入れ、倒れたままに誠を見上げる実。
――しかし、その顔は次の瞬間の光景で驚愕へと変わる。
誠は泣き続けている。声も漏らさずただ泣いている。そうして、静かに銃口を自身の頭へ突き付けて――。
「ま、こ」
呼び止めようとした。けれど消えゆく命では、最後まで声にならない。ああ、氷の銃弾はまだ最期があったのだ。
実にとって誠はなくてはならない存在だった。そしてきっと、誠にとっての実もそうなのだ。だから、実が退場した世界に、誠も未練などなく――。
「……だめだ、誠……!!」
――最後の悲痛な叫び声で、実は現実へと引き戻された。
「……っ……?」
はあはあと荒い息を零しながら、周囲を見回す。そこは、彼の自室だった。窓からは朝の光が差し込んでいて、冬だと言うのに実の背中は汗でびっしょりと濡れていた。
「夢……だったのか……?」
呆然と声を漏らすと、実は自身の手へと視線を落とす。怪人の名残が消えぬ、自分の手。それをいつものように耳元へ持っていくと、そこにピアスがあることを確認する。
「……は……よかった……まだ、知られてない」
そう、あれは全て夢だったのだ。実も誠も生きているし、実の正体は誠に知られていない。
しかし、あれを『悪夢』と切り捨てられない心があることも実は自覚している。あれはある種、自分の願望だったのだ。誠に殺されて生を終えたいという願い。けれど、それを引き金に誠にも死んでほしいなんて決して思っていない。
「誠……そうだ、今日は、会いに行く約束が……」
虚ろな瞳で時計を見る。まだ約束の時間には早い。身支度整え、朝のルーティーンをこなして――彼に会いに行けるだけの精神状態を取り戻さなければと、実は思った。
――それは、ひずんだ約束の夢。
現実は決してそうならないよう、彼を立たせる影の物語。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴 成功