雪催い、午後8時
薪が爆ぜる音をBGMにして火が躍る。煉瓦を積み上げて作られた暖炉の内側が、煤で真っ黒になっているのが見えた。長い年月をかけてこの空間を暖め続けてきたのだろう。災害や争いを想起させることも多い炎だが、冴え冴えとした空気が肌を刺す今の季節ばかりは〝炎に命を守られている〟と実感する。その|朱《あか》が揺れる様子すらも、今は慈母の柔らかな掌のように見えた。
「主、料理が来たぞ。次も来るからどんどん食べると良い」
「ハイハイ。相変わらず雷獣クンは殆ど食べないわけね」
湯気を上げて運ばれてきた大皿には、層の厚いハンバーガーとハッセルバックポテトが仲良く並んでいる。トゥルエノ・トニトルスは蒼玉の瞳を輝かせながらも、それら全てを大皿ごと緇・カナトの方へ寄越した。精霊であるトゥルエノが殆ど食事を摂らないのはいつものことだ。大量の料理を注文するのはカナトに食べさせるため。要するに〝食わせ煩悩〟のようなものなのだとカナトは認識している。それすらも今に始まったことではないので、カナトは大人しくナイフとフォークを手に取り、まずは薄くスライスされて大振りの華のように開いたポテトをいただいた。
その日、√ドラゴンファンタジーの某国では初雪が観測された。陽が落ちる頃に一旦は落ち着いたものの積雪はふんわりと残っており、クリスマスの時季というのも相俟って夜の街は雪の白とイルミネーションの光でいつも以上に明るい。雷という属性を持つせいかトゥルエノは天候や季節の変化に敏感で、それを人の営みの中で実感したがる節がある。そんな彼がしんしんと雪が降り積もる中、食事に出掛けようとカナトを半ば強引に誘ったのはつい先程のことだ。
「暖炉を調理にも使う店なんだな。さっきそこで焼いてた肉、このハンバーガーのパティだ」
「おお、焼き立てか。主、美味いか?」
「美味い美味い」
二人が連れ立ってやって来た店は宿も兼ねた飲食店だった。煉瓦造りの大きな暖炉が象徴のように座し、部屋を暖めるだけでなく肉や魚を焼くのにも利用されている。カナトは十センチは優に超えそうなハンバーガーを両手で少し圧し潰すと、大きく口を開いて一口ずつ頬張った。焼き上げたばかりのパティから肉汁が零れ、旨味をダイレクトに伝えてくる。肉の味を楽しめるよう、ケチャップやマスタードといった調味料の使用は最低限のようだ。レタスやトマト、スライスオニオンやピクルスが惜しみなく挟まれていることから、ざくざくとした食感が小気味良い。なかなか充足感を覚えにくいカナトの満腹中枢も、これには一旦暴れるのを止めていた。
「というか、ほんとに食べないの? いつものこととはいえ、オレばっか食べてるのも店に悪いんじゃない?」
「心配無用だ。我もこれをいただいているぞ。アップルジンジャーティー、というらしい」
食べるのを止めないままに問うカナトへ、トゥルエノはカップをひとつ見せて寄越す。注がれた赤褐色のそれは間違いなく紅茶だ。朧な湯気がカナトの鼻先を掠める。林檎と生姜の香りを知覚するのと、成程と納得するのはほぼ同時のことだった。
「主の方がひと段落ついたらデザートも頼むつもりだ。そっちは我も加勢するとしよう。甘味は別腹~とも言うからな!」
「それ、言うならオレの台詞だと思うんだけどなァ」
構わずトゥルエノはテーブル端に立つメニュー表を眺める。厚みのある紙で出来たメニュー表は、三角柱の形に折られているので安定して自立している。簡易魔法が施されているのか、トゥルエノが指先を軽く振るだけでくるりと面を変えてくれる仕様だ。意思すら感じるその動きは、フィクションで描かれる擬人化表現にも似ている。だからだろうか……なんとなくその動きが可笑しくて、トゥルエノは意味も無くメニュー表の回転を数度繰り返した。
「……雷獣クンも、だいぶヒトの文化に馴染んだよねェ」
ハンバーガーをいつの間にか平らげ、焼き色が香ばしいチーズたっぷりのグラタンを引き寄せながら、揶揄うようにカナトが言う。元よりヒトが生み出したものへの興味関心が強い精霊だ。──少なくとも、カナトと出会って以降のトゥルエノ・トニトルスとはそのように見える。
「そうだろうか。まあ、我もこの姿を取るようになって暫く経つ故な」
「見た目もそうだけど……行動とか? そういうの」
「それは何より。だが、まだ見知らぬものも多いぞぅ。例えば、あのような暖炉は今日初めて見た。すごく便利そうな暖房器具だなぁ」
トゥルエノはそう言って、今は焼き林檎を手掛けている真っ最中の暖炉を指す。表情変化は大きくない彼だが、瞳の輝きは口以上に物を語っていた。
「へェ、そうだったっけ。この√の生まれなのになァ。……あー、でも土地によってはあのタイプの暖炉が一般的じゃない所もあるか」
「うむ、エアコンというものも普及しているそうだしな」
√ドラゴンファンタジーとて家電は存在する。それらが台頭することで、アナログな空調設備が廃れてきた地域も無論あるだろう。ちぐはぐで、けれどもこの世界に生まれた者ならば当たり前の光景。だから、この店のように敢えてアナログな内装を重視している場所はトゥルエノの目には逆に新鮮に映っていた。
「我は雷だ。一瞬の閃光の|後《のち》に炎も生む」
僅かに細められたトゥルエノの瞳が暖炉の火に向けられているのを、カナトは寂しくなってきたグラタン皿をつつきながら視線で追う。トゥルエノが言わんとすることはなんとなく分かった。その目に湛える柔い輝きは、いつぞやの雨の日に見せたものと同じだから。
「それを災害だとするヒトもいるだろう。──だが、我にとっては雨や雪と等しく、親しい存在だ。それがこのようにヒトの営みの中心に据えられているのは、なかなかに嬉しいものだな」
「ふうん。他人とは思えないってやつ? 親戚みたいなものとか」
カナトの相槌に、トゥルエノは「そうかもしれないな」と短く返す。ほんの一秒か二秒、彼は無言で暖炉の火を見つめていたが、すぐにはっと我に返ったようにカナトの方へと身を乗り出した。
「そうだ。主、聞いたぞ。もうすぐクリスマスという季節行事があると……!」
「まあ、街の装飾を見れば一目瞭然だよねェ」
急な話題転換にもカナトは動じない。新たに運ばれて来たスペアリブの骨の端を摘み、脂を落とさないようにしながら肉へ歯を立てた。シンプルな塩味。暖炉の火によって炙られ少し焦げ目がついたスペアリブは、煮込みの時とは全く異なる食感で食べ応えがあるのが魅力だ。
「親戚という単語を聞いて思い出したのだ。クリスマスとは、そういった近しい者と集まって祈りを捧げたり、食卓を囲んだりするのだろう?」
「間違っちゃいないけど人によるなァ。あとは宗教とか」
「祈り……は捧げる相手がよく分からないので保留とするが、食卓ならば主も楽しいのではないか?」
「ああ、言いたいことは分かった分かった。とりあえず、今は目の前の食卓に集中しようねェ」
遠回りをする気など一切無い、分かりやすいクリスマスディナーのお誘いも今は保留だ。何せ、既に二人の目の前にはテーブルを埋め尽くさんばかりの料理が並んでいる。その時その時の食べ物に感謝しなければ罰が当たる──そう適当にカナトが嘯けば、トゥルエノは素直に頷いた。
そのご褒美、とでも言わんばかりのタイミングで、トゥルエノの眼前にスキレットが運ばれて来る。中にはパンケーキに似た料理が収まっているが、スキレットよりも少し大きいのか端がはみ出すように盛り上がっていた。ポケット状になった中央にはバニラアイスが鎮座しており、ラズベリーやブラックベリー、そして一枚のミントの葉でドレスアップされている。パンケーキから仄かに上がる湯気が、大きめに盛られたバニラアイスを少しずつ溶かしている様子が見て取れた。
「おお、これがダッチベイビーか」
「へー、表面カリカリっぽい? こっちは暖炉じゃなくてオーブン焼きなんだねェ」
カナトがスペアリブを齧りながら見たままの感想を述べれば、トゥルエノが「食べるか?」と言いたげに視線を上げた。勿論、遠慮する。自分は充分に食べているし、トゥルエノが好む数少ない食べ物をわざわざ横取りしようとは思わなかった。
さくさくと香ばしい生地の表面に反して、内側はふわふわに焼き上がったダッチベイビーをトゥルエノが一口頬張る。生地の熱はアイスで相殺され、程良い温度となっているらしい。どれほど幸福の味わいであるかは……トゥルエノの表情を見れば明らかだった。
スペアリブが骨だけになった頃、脂まみれになってしまった指を綺麗に拭きながら、カナトは窓の外へ目を向ける。街のイルミネーションに紛れて、ちらちらと瞬く存在が目に入った。それが何であるかを把握した瞬間に「ああ」と洩れた声は、自分でも意外に思うほど穏やかなものだった。
「雪降ってる。これは帰り道も寒いだろうなァ」
空には雪雲が満ちて、月も星も見えない。馴染んだ夜の風景ではないけれど、小さな光が瞬いて消えてゆく様子を、暖かい部屋から眺めるのも決して悪くはなかった。
ここには灯がある。月であり、星であり、一瞬の幸福であり、閃光の兄弟である──それら全てを担う光が、今も暖炉で揺れている。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功