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|Πάντα ῥεῖ.《パンタ・レイ》

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 “いいかい あの名を呼ぶときは気をつけるんだ”

 それは個の名前ではなく 連なる「理(ことわり)」
 古い皮を脱ぎ捨てては 新しい肌を纏い 誰でもあって 誰でもないまま そこに在る
 彼女たちが微笑むとき 背後の森も共に笑う 決して一人では来ない そして決して一人では去らない
 残された影の中に もう一人の彼女を見つけても 決して覗き込んではいけないよ
 ――そこから、こちらを見返されるからね



 寒気が地を這い、夜の草原は息を潜めていた。
 風に揺れる枯れ草は疎らで音を立てず、瞬きもせず冷たく光る星々も遥か遠く感じる程、すでに世界は死に寄っている。

 そんな中、俯せになっている屍めいた影が一つ。
 幼い身体は何度も引き裂かれ、衣服は裂け、血は黒ずみ、土と区別がつかなくなっている。
 呼吸は浅く、喉が震えても咳をする力は残っていない。ただ完全には止まっていないというだけの命が、そこにあった。

 と、音も無く夜空が割れる。
 緑と青、淡い紫が混じり合い、暗い天蓋に光の川が流れだす。
 冷たい夜を照らすそれは、祝福でも吉兆でもない。
 そこに“現れた”現象だった。
 今際の際に居る少年の瞳が、その光を映す。
 死に瀕して霞んだ視界の中で、オーロラだけが異様なほど鮮やかに記憶に焼き付いて行く。

 さく、さく、と草を踏む音。

 重くも軽くもない足音が、一定の距離を保って近付く。
 少年には、もう音の主の輪郭は見えない。ただ冷たい気配と、獣の体温だけが僅かに分かった。

 見下ろす視線が、少年の瞳に留まる。
 閉ざされることなくオーロラを映した、その美しい色変わりの瞳に、ほんの一瞬興味を引かれたかのように。

「死ぬの?」

 同情も急ぎもない。
 問いとして放たれた声は澄んでいて、抑揚がなかった。

 少年は唇を微かに震わせ、音にならない息を漏らす。
 やがて掠れた声がようやく形を取った。

「……ぃ、ゃだ……」

 女は続けて尋ねる。

「生きたいの?」

 返事は、言葉にならなかった。
 微かな頷きを見て取った女は、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
 枯れ草を踏み、少年と同じ高さまで視線を落とす。外套の影が広がり、空の光は遮られた。オーロラの揺らめきは、もう少年の目には届かない。

「そう」

 小さく、確認するように女は呟いた。
 それから淡々と告げる。

「なら、叶えてあげる」

 声の調子は変わらない。救済を告げる声音でも、取引を持ちかける調子でもなかった。ただ、結果を述べるように。

「その代わり」

 女の言葉に、少年は反応できない。意識は揺らぎ、ほとんど闇に沈んでいる。それでも耳だけが、辛うじて声を拾っていた。

「あなたは、今より我らの庭、草木の苗床、命の養分。|永久《とわ》にその身を捧げなさい」

 理解も拒否も無く、少年の身体が軋んだ。
 骨でも肉でもない何かが内側から弾け、皮膚を破るようにして新緑の若木が背を伸ばす。
 枝は絡み合い、幹は脈打つように太くなる。痛みの悲鳴は上がらない。声を上げる為の力さえ、もう残っていなかったのだ。

 軈て目線の先に、異物が現れる。
 幹に縫い留められた脈打つ心臓。まだ温もりを失わず、規則正しく拍動している。

 狼が一歩前に出る。
 鈍い音。少年の意識には、一瞬後に至近距離に落ちた狼の首の輪郭……その特徴的な耳の形だけが、最後まで消えずに残っていた。

 女は、狼の胸から心臓を取り出す。
 次いで、自身の掌を刃で裂き、血を流す。二つの心臓をその手で握り潰すと、濁った音と共に、それらは煌めく深紅の石へと変わった。

 女は石を人差し指と親指で摘み上げ、掲げる。
 仰ぎ、口を開き、何の躊躇もなくそれを飲み込んだ。

 そうして女が若木を抱くと、その一点を中心に大地が応える。
 まるで|鉄の森の揺り籠《アングルボダ》を編むかの如く根が走り、幹が立ち上がり、次々と樹が生える。草原は歪み、夜の中に森が形を成していく。

 女は、最後にひとつだけ言葉を落とした。

「安心して?」

 その声は、やはり澄んでいる。

「その力で餓えを満たそうとし続ける限り、あなたの魂はこの地に縛られない」

 祝福なのか。あるいは、何らかの宣告か。
 答えを返す者は、もういない。


 それから、そう長くないうちに。
 呪われた魂が彷徨い、軈て再び人の形を取った頃には、夜と森はすでに馴染んでいた。
 少年だったもの――システィア・エレノイアは静かに立ち上がる。
 身体は人のまま、頭には狼の耳があった。風に揺れて微かに動くそれは、まるで最初からそうであったかのように自然だ。
 不思議と尻尾だけは存在しない。

 理由を考えることはなかった。考えようとする前に、身体が動く。
 森を荒らす侵入者が現れれば、少年は静かにそれを狩った。
 竜漿の魔力を物質へと変え、大剣にも、槍にも、刃にも変えて、淡々と振るう。血に濡れることを厭わず、命を奪うことにも躊躇はない。

 それは怒りでも、憎しみでもなかった。
 ただ、必要なだけ。

 永久に、どこかで吸われ続ける命を補うために。
 飢えを満たさなければ、立っていられないから。歩き続けられないから。

 夜の森に、血の匂いが残る。
 それが、彼が「生きたい」と願った結果だとも知らずに。



 鉄の森の蔦が 心臓に深く根を張り 個としての私は 静かに名の中に溶けていく
 私は私であり 私ではない私
 魔女《イアールンヴィジュル》――この名が私を縛り この名が私を不滅にする
 鉄の葉が降る夜 私たちはまた 一つの意志に還る
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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