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√夜のアルジア『欠落楽園』

#√ドラゴンファンタジー #ノベル #クリスマスノベル2025 #エルフ

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 #√ドラゴンファンタジー
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●√
 残穢だ、これは。
 自覚しても、『それ』自体がどんなものなのかわからない。
 おぼろげな輪郭。
 酷く柔らかくて、酷く無機質で、酷く……なんだったのか。
 思い出そうとすれば、後悔が込み上げてくる。
『欠落』を得ることは不幸なことだ。
 √能力者にとって、『欠落』とは埋めがたきものである。だから、死なない。死ねない。己が寄す処とするところを無自覚のままに生きていかねばならない。
 今更だけれど、永き時を生きるエルフにとって過ぎゆく時は興味の対象ではない。
 同じエルフであっても、互いに興味を抱くことはあまりない。
 それは無駄だからだ。
 どうせ失われるものに興味を割いたところで、本当に大切なものには気がつけない。
 だから、興味を持たないのだ。
 記録を残さず、ただ口伝のみにて変質していく事象を伝えることしかしない。

 硝子の棺を見下ろす。
 手にしていたものは、己達エルフが必要歳ない記録媒体。
 紙で編まれた紙片。
 それにどれだけの意味があるのかわからないけれど、『白紙の絵本』を棺に入れた。
 確かに記録に興味はない。
 幸せになってほしいとは思っていたし、幸せにできるとも思っていた思い上がりは、人の底知れぬ探究心の前に打ち砕かれた。
 それがうぬぼれだと気がついたことは、あまりにも遅きに失する。

 生きるということは常に哀しみに満ちている。
「せめて」
 呟いた言葉に意味なんてない。
 わかっている。けれど、それでも呟かざるを得なかったのは、そうでもしなければ、己が自責で押しつぶされてしまいそうだったから。
「せめて、此処ではない何処かで幸せになって欲しい。キミが願ったもの全てが叶いますように」
 冷たい土を被せる。
 硝子の棺の中で、■■■が笑ったような気がする。
 偲びない。
 そうしなければならんあいことであったけえれど、凍える息を切らす。
 喉が裂かれそうだった。
 飲み込む唾さえも凍りつくようだった。
 張り裂けそうな胸の痛みは罰であったのか。
 どうして、という感情の意味すら失われていく。
 それでも、どうしても。
 言わなければならない。
 出会ったのならば、別れが訪れるのと同じように。

 そうしなければならない。
「さようなら、■■■――」

●√
 目覚める。
 まぶたの張り付く感触に煩わしさを感じながら、指先でまぶたを剥がすように擦る。
 僅かな痛みと三叉神経を刺激する感触にむず痒さを覚えた。
 まぶたを開けば、おぼろげな視界。
 光が差し込んで、鮮やかさを取り戻していく。
 頭が重たい。
 僅かに揺れる視界。
 自らの頭が揺れたのだと自覚するまでもなく、わずかに体を伸ばす。
 皮膚の下にある筋膜が筋繊維から剥がれる音がする。
 小刻み良い、とは到底言えない音だったけれど、それだけで血が巡る。血が巡れば、体の端々に痛みが走るような刺激を与えてくれて、益々意識を鮮明なものにしてくれる。

 身体のことを僅かに思う。
 周囲を見回す。
 また、床で寝ていたのだ。だから、こうも体が凝り固まっている。
「わかっちゃいるんだけれど……」
 いつのまにか、と散乱した書類だとか書籍だとかの山を見やる。
 いつも意識が暗転する前には、明日こそは掃除をしようと思うのだが、毎朝この光景を見る度に決意をなかったことにしてしまう。
 埃が差し込む朝日に照らされて舞う様をしばらくぼんやりと眺めていた。
「積もっているんだろうなぁ、埃も」
 つ、と指先で床を撫でる。
 ざらり、とした嫌な感触。

 ふ、と息を吹けば指先からまた埃が舞う。
 拭った跡の残る床を見下ろす。
 やらなければならないだろうか?
 うっすらと白くなった床を前に身を起こしたまま、考える。
 床である。
 床。
 そう、こうして眠りこけてしまうのでなければ、足しか触れない場所である。
 手が触れたりするのならば、確かに不衛生だと思う。
 だが、足裏が汚れたところで、大した健康上の問題が起こるとは思えなかった。であれば、だ。
 いいのではないか?
 そんな横着な考えが頭の中に巡る。
 明日でもいいのでは?
 先延ばしの悪癖は、エルフの悪いところだと思う。
 明日も今日と同じように日々が巡ると信じて疑わない。変わらない今日が変わらず運んでくる。
 もしも、自分が人間だったのならば、こうは思わないだろう。
 時間がない、とあくせく働くだろう。
 もっと勤勉になるだろうな、と思うのだ。けれど、こうも考える。自分が人間であっても、限られた生命だとしても、きっとこんなふうに先延ばしにしてしまうだろうな、と。
 根本的に、と思う。

 以前は光ではなかった、と思う。
 ここまで横着を許容することはなかったはずだ。何が自分を変えたのか、なんてことをかんがえ始めれば、朝日が急かすように自分の肌を焼くに熱を与えてくる。
 ジリジリとした痛み。
 冬であっても、日差しを受け続ければ肌は焼ける。
「起きよう。まずはそれからだ」
 そして、朝食を摂ろう。
 掃除の前に生命活動の維持である。
 良い言い訳を見つけたものだ、と我ながら感心する。

 軋む体の節々を押して立ち上がり、テーブルに手をつく。
 まだ、よっこらしょ、と言うには早い年齢。
 いや、そもそも肉体的な年齢というものは、人間のそれとは大きく異なる。なので、人間のように掛け声一つ出さなければ、予備動作すらおぼつかない、なんてことはないのだ。
 まだ大丈夫。
 いけるいける。
 そんな風に思いながら、ぼんやりとした思考を巡らせた。
「ええと、何が、あったかな」
 呟く言葉すら覇気がない。
 冷蔵庫、なる文明の利器は大変に素晴らしいものだと思う。

 眼の前の四角張った箱。
 冷気を充填して、食材が腐るのを防いでくれる。
 まるで延命装置だな、と思う。
「……バターに、ケチャップに、マヨネーズ、胡椒に、ええと……」
 見事に調味料ばかりである。
 食材は?
 あれ? と考える。
 確か買い込んだはずなのだが。
 あれはいつだっただろうか? 記憶を振り返る。
「……今日は何月何日だったかな」
 カレンダーを見やる。
 あまり意味はない。 
 どうかんがえても、肌寒さとは無縁な数字が並んでいる。

「……すまほ。そうだ、すまほ」
 思い出す。
 他の√を跨いだ先で手に入れた、すごく便利な板っきれ。
 触れるだけで光を発して、時刻と日付を教えてくれる便利なもの。電気が必要だが竜漿を介して電気を供給する冷蔵庫と同じように電源の確保は、この森の中を拠点とする自分の住まいでも可能なのだ。そうだそうだ、すまほ……と思って、黒い板っきれを探す。
「どこだっけ」
 途方に暮れる。
 それもそのはずだ。
 書類と書籍が山積した部屋の中では、どこにあるのかわからない。
 横たわって眠る場所はあっても、足の踏み場はない。
 なんとも皮肉なことである。

「しかたない」
 頭皮にかゆみを感じて、黒髪を僅かに揺らしてかく。
 くあ、とあくびが小さく漏れる。
 襟足の髪がゆれて、長い耳が揺れる。
 不健康とは言わないけれど、色白な肌は少しは日に焼けた方がよい、と以前誰かが言ったような気がしたが忘れてしまった。
 ふう、と息を吐き出す。
 手にした外套を身にまとう。
 ひょい、ひょい、と寝起きだけれど軽い足取りで足の踏み場もない床の、これまた飛び石のように見える床を、けんけんぱ、と言わんばかりに歩いて拠点の扉を開ける。
 小さな家だ。
 書庫を兼ねているせいで生活スペースは酷く狭い。
 が、まあ概ね気に入っている。
 手を伸ばせば、必要なものが必要な場所にある、というのはある意味整理整頓されていると言っても過言ではないのではないだろうか? ないか。ないね。

「……う」
 太陽が眩しい。
 恐らく季節は冬。
 肌に刺さる外気の冷たさから、そう理解できる。
 正確な暦がわからなくても、まあ、なんとなく肌感覚でわかるのだ。
 羽織った外套が緩んだ首元を一度ちゃんと締めて、歩み出す。
 冷蔵庫の中に食材がない。
 食材がないのならば、どうすればいいのか。
 簡単な話である。
「楽園に行こう」
 狩りじゃないのか、と昔ながらの慎ましい生活をしているエルフたちが聞けば、卒倒しそうなことを平然と呟く。

 そう、楽園である。
 この世には、いや、√には数多くのものがあふれる豊かな√があるのである。
 まさに楽園と呼ぶにふさわしい場所。
 別に√ドラゴンファンタジーの森が嫌なわけではない。
 ただちょっと自分が住まう森は、不便だということである。
「以前はそうは思わなかったんだけれどなあ……慣れというのは恐ろしいものだね」
 一度、楽園を知ってしまえば、住めば都の森も少し不便に感じてしまうものだ。
 √能力者である特権と言えばいいのだろうか。
 本来ならば、忘れてしまうことも√能力者は不幸にも覚えてしまう。
 忘れられない。
 確かに不幸だと思う。
 忘れられればどんなに良いだろうか、と思うことも、忘れられない。
 それが。

「さて」
 無意識の内に振り切るように足を踏み出す。
 景色が様変わりする。
 √を跨いだのだ。
 鉄と石の摩天楼が聳える光景。
 陽の光を反射するガラス。
 まばゆいものを見るように瞳を伏せながら、踏み込んだ別√……楽園、√EDENの街並みを見やる。
 どこを見ても人がいる。
「こちらは雪が積もっているのか」
 積雪の白が光を反射して、目を焼く。
 背けるようにして顔を逸らしても、そこかしこに雪の白さが瞳に入り込んでくる。
 細めた瞳のまま歩む。
 目的地は一つだ。

 少しあるけば、あるのは喫茶店だ。
 √ドラゴンファンタジーにも喫茶店はあるが、自身が住まう場所は森の中だ。街まで出るのは億劫だった。
 なので、√を跨いでこうして近場の喫茶店に足を向ける。
 からころ、と扉に備え付けられた呼子が鳴る。
 むわ、と湿気を含んだ暖かい空気が肌にぶつかり、思わず目を伏せる。
 踏み込んだ先は、温かな灯りがともされた木造を思わせる店内。
「こんにちは。カウンター、いいかな?」
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ」
 店員と僅かに言葉を交わす。
 利用するのは一度目ではない。二度、三度でもない。
 それなりに通う場所だ。けれど、僅かな気安さ程度で、それ以上に踏み込んで来ないことが気に入っている。

 取り立てて、自分も何かを彼らに語りかけることはない。
 求めているのは、朝食の横着を許容してくれることだけである。
「モーニングを」
「コーヒーで構いませんか? いつもの」
 頷く。
 店主とのやり取りも慣れたものである。
 腰を落ち着け、カウンターの木造テーブルに肘を突く。
 軽く頬に触れる。
 店内の温められた空気と外の冷気に晒された肌が急激な温度変化に戸惑うように、ざらりとした感触と共に熱を持ち始めていた。
 カウンターの奥では店主が淀みない所作で、コーヒーミルの取っ手を掴んで抵抗を感じさせる音を響かせて、ぐるぐると回している。
 すり潰されていく音。
 その音はわずかに心地よい。
 何もかんがえなくていい。
 あれをしよう、これをしよう、とかんがえなくていい唯一の時間だ。

 相手に全てを任せてしまえばいい。
 時間さえ過ぎれば、眼の前に食事と飲み物が提供される。
 あれこれ、自分のために何かを考えるのは億劫だった。
「どうぞ」
「ありがとう」
 短いやり取りで、眼の前にモーニングのセットが広がる。
 サラダにトースト。茹でた卵。そしてコーヒー。
 足りるのか、と思われるかもしれないが、どうしてこれくらいがちょうどいいのだ。
 よく言うが、朝食は王様のように、昼食は貴族のように、夕食は平民のように、と。
 けれど、自分は常に三食平民のようでいいと思う。
 栄養面に対してどうだとか、健康面に対してどうだとか、そんなことを考えるほど自分は上等なものではない。

 それに、と思う。
 どうせ、とも思う。
 自分は『欠落』を抱えた√能力者だ。死んでも死後蘇生する。それは捨鉢な考え方であったけれど、前向きになれるほど能天気でもない。
 自分にできるのは、記録ばかりだ。 
 それだけなのだ。
 僅かに自らの小さな書庫めいた家の惨状を思い出す。
 帰ったのならば、整理整頓しなければな、と思う。
「お仕事が憂鬱ですか?」
 店主の出し抜けな言葉に、思わず面を上げる。
「顔に出てた?」
「ええ、少しばかり。寒波が厳しいですから、きっと寒さで心が沈んでしまうのでしょう」
「そう云う時はどうするべきだと思う?」
 他愛ない会話だ。
 これも誰かの手から零れ落ちていく記憶でしかないだろう。
 けれど、それを自分は惜しいと思ってしまう。
 会話が途切れないように、と願ってしまう。

 付かず離れずを求めながら、触れれば求めてしまうのは、悪癖だ。
「とにかく暖かくすることですな。例えば、コーヒーが冷めぬ内に腹に納めてしまう、というように」
「それはそうだ。でも、美味しいコーヒーだ。一気に飲み干してしまうのは、名残惜しいよ」
「その時は、おかわりしていただければ」
「商売上手なことを」
 なんて、くだらない笑い話にもならない話。
 この会話も何度目だろうか。
 老齢の店主にとっては、定番の話文句なのだろう。自分にとっては、変わりない符丁めいたやり取り。
 だが、嫌ではない。
 きっと、この行為は自分の心の慰めに過ぎないのだろう。例え、慰められたて、『欠落』がなんであるのか理解できぬままではただ、撫でるだけの行いに過ぎないのあろうけれど。

「ごちそうさま」
 支払いをすませて、喫茶店を出る。
 見上げる日は天頂を示している。
 一日はまだ終わっていない。
 なら、どうするべきか。散策をしてもいいかもしれない。
 そこまで考えて、いやいや、と頭を振る。
 頭上には太陽の輝きに失せた星がある。忘れるな、というような風に後押しされるようにして、 ジル・ノクタルジア(真昼の星あかり・h11537)は、帰り道を歩む。
 √をまたぐ。
 忘れてしまったものが『欠落』。
 なら、埋め得ぬ『それ』を求めて、自分は望む。

 何を。
『多くを覚え忘れずにいること』を、だ。
 時は繊細だ。
 過ぎ去れば風化していく。
 どんなに大切なことも、時という名の風に脆く、かき消えていく。
 だから、『記録を残す』のだ。
 そうやって、生きていく。

 呼気を漏らせば、白く染まる。
 その光景すら覚えておこう。
「今日という物語を、残そう」
 例え、全てが偽りであったとしても、愛着は生まれるのだ。情と呼ぶのかもしれないけれど。
 それが自らの心を『欠落』のように抉るのあとしても。
 この痛みこそが、自分に残された――。
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