鳥の如く羽搏く日々へ
熱狂の一夜はあっという間に過ぎ去った。
糸根・リンカ(ホロウヘイロー・h00858)とその友人たちにとって、今年のハロウィンは去年までのそれとは大きく異なる節目を表すものでもあった。歳にしてみれば一つを経ただけであっても、所謂|イツメン《・・・・》の四人を取り囲む環境は大いに変化したといえよう。小学生の肩書を捨て、中学生へ――ただ一つ段階が変わっただけでも親たちの許可してくれる範疇は格段に増え、小学生だったときには厳しく縛られていた門限破りも、特別な日には少しばかり大目に見てもらえるようになったのだ。
とはいえこの頃のハロウィン・ナイトはあまり治安がよろしいともいえない。小学生よりは下校時刻も遅くなった。平日に学校が終わってから仮装をして集まればもう夕陽は沈んでいる頃合いだろう。日が完全に陰るような時間の外出許可はさしもの中学生にも下らなかったというわけで――。
ハロウィンの翌日、リンカたちは皆で一つの部屋に仮装を持参して集まったというわけである。
「スズんちマジで大きくて顔ないわ」
「そうかな? そんなに凄いこともないと思うけど」
「いやー……ウチのチビども全員分の部屋作れそうじゃん……」
眼鏡の向こうで瞬く家の主の娘――|涼風《すずか》の不思議そうな眼差しを横目に、|美鳥《みどり》のSNSに毒されたミームと|月《るな》の感嘆の声が重なる。片やリンカの視線は部屋の壁の向こうへ投げかけられていた。
裕福な家であるとは以前から知っていたが、こうして足を踏み入れてみると圧巻だ。経緯を考えてみればメイクやネイルは整えて来るにしても、着替えを伴うような仮装で家から向かうのは大変だろうからと、着替えられるような部屋がある涼風宅に決定したという単純なものであったのだが――。
まさか着替えるための部屋を一人一つ占拠しても問題ないほどの広さだとは思いもしなかった。
当の本人は自分の部屋に集合した三人を見て嬉しげにしている。リンカが自然と思い起こすのは己の保護者が何くれとなく家の雑事を熟すさまだ。彼女らが二人で暮らしている家であっても毎日綺麗にするのは大変そうである。これほどの面積があるとなれば、相当の苦労があることだろう。
「お掃除が大変そうですね」
「ああ、大丈夫だよー、お手伝いさんがやってくれるの」
「お金持ちで草」
美鳥のツッコミはやはりネットミームの色を孕む。相変わらず大きなリュックを横に下ろした彼女を見遣ったリンカを、月の声が呼んだ。
「リンのそれ、可愛いね。スズと合わせてる?」
「あ、いえ、これは……貰い物? で」
「偶然だよねえ」
指されたのはヘアバンドである。
当初は狼の耳がついたそれだけを携えて来るつもりだった。しかし前日、√能力者たちが開いていた多種多様のパーティー会場を巡るうち、リンカの手許には尻尾や肉球のついたグローブまでもがお誂え向きに揃ってしまった。こうなれば役に立てぬ理由もないからとつけてみれば、申し訳程度の仮装も随分と賑やかになったように思える。
しかし。
横目で見遣った先の少女と並べて|合わせる《・・・・》というには、些かならずクオリティにひらきがあると言わざるを得ない。
「――すずちゃんのと比べちゃうと、簡単すぎましたかね……」
「いやー、涼風のが凝りまくりっていうか? フリルとか凄いよね、それ」
「でしょー。可愛いの選んで来たんだよ。リンちゃんオオカミに食べられちゃうねえ」
涼風の仮装は赤ずきんだ。しかしその細部の凝りようは尋常ではない。赤い頭巾の裏地も、フレアワンピースの裾で翻るフリルの密度も、さりげない部分に高級さが滲んでいる。どうやら気合いを入れて選ばれたらしいそれを満足げに揺らして、少女は先からしみじみと頷いている美鳥に水を向けた。
「でも、みーちゃんの方が凝ってると思うよ。わたしのは既製品だし」
三人の視線が自然と一人の少女に集まる。
確かに、美鳥の仮装――というよりもコスプレに近しい――衣装は、涼風のそれとは別の意味でいたく凝っている。どうやら手製らしい布地の貼り合わせや、何らかのイラストを再現したと思われる柄の几帳面な向きを見るに、かなりの努力を要したであろうことは想像に難くない。
「それ何のコス?」
「推し! のハロイベコラボ! 三面図出てたからガチっちゃったね」
月の問い掛けに対する返答は元気が良い。曰くソーシャルゲーム発の現在の推しが急遽発表したコラボ新衣装を模して突貫工事で作ったという。スマートフォンへ手慣れた調子で映される画像と見比べれば、成程惚れ惚れするほどの完成度だ。
画面を覗き込む少女たちに滔々と苦労を語る美鳥は、しかしすぐに言葉を打ち切った。三人の視線が集まるスマートフォンを手許に引き込みながら、示すのはもう一人の友人である。
「ルナのも凄くない? それ全部メイクだよね?」
「そうでーす。結構頑張ったんだよ。今度美鳥に教えてあげる」
ピースをして笑う月の纏う衣装はいつもより些か黒を取り入れたコーディネートであるという風に見える。しかし顔と爪に施された彩りは、彼女を可愛らしいヴァンパイアの一人に仕立て上げていた。
決して派手ではないが、ほんの少しの彩りを加えるだけでも|らしく《・・・》なるものだ。多くの弟妹たちの世話に追われながらも自らも手抜かりなくファッションやメイクに熱心な彼女らしい仮装といえよう。
感想が出揃ったところでようやく細やかなパーティーが始まる。めいめい持ち寄った菓子の大袋の封を切り、一人一本選んで来たジュースを並べる。どう見ても高級な――しかし涼風曰く|普段使い《・・・・》の――グラスに各々の好きなものを注いだら、乾杯と共に声が重なった。
「ハッピーハロウィン!」
まずは一口を飲み下した。それからはいつもの集まりとさしたる差はない。
同じ小学校に通っていたときとは違い、中学となれば進路や時間に差が出て来る。顔を合わせる頻度は幾分か減ったから、こうして集まる機となれば、互いの口にのぼるのは専ら近況が主である。
「涼風は調子どう? ミッション系って何か厳しそう」
「うーん、でもシスターも優しいし、そんなに変わんないと思うよ」
「シスターがいらっしゃるんですね……」
涼風は中学受験をした。両親の意向に当人が逆らわなかったこともあり、ミッションスクールに滞りなく合格したという報せを聞いたのは、三月に差し掛かろうかという頃合いであった。
此度の集まりが日曜でなくなったのも、日曜には礼拝があるという話だったからだ。日本に住まう三人にしてみれば信仰の何たるかはあやふやで、思い出せるのはせいぜい初詣で涼風の受験が上手く行きますように、などと祈りを捧げたことくらいである。とはいえ彼女の通う学校にとってみればミサは重要な式典の一つのようなものであることもすんなり理解して、集まりは土曜に組まれるのが半ば暗黙の了解である。
SNS上での遣り取りは頻繁だが、こうして顔を合わせて肉声で喋ることと、文字上で対話するのとでは感触が違う。相変わらずおっとりとした声音がリンカへ水を向ける。
「リンちゃんは? 最近はお休みの日は何してるの?」
――以前であれば幾分か迷ったかもしれない言葉だった。
友人たちには√能力のことは秘匿している。そも忘れようとする力なるものの力も大きいし、保護者の厳命もあったからだ。戦いに明け暮れるというほど戦場に赴く頻度が高いわけではないとはいえ、他の学生に比べて血腥い場に身を置いていることは間違いない。
休日に何をしているのか、時々早退してはどこで何をしているのか――問われるたびに言葉に窮していたが、今は一つ、明確な興味関心の矛先を得ている。かぼちゃのクッキーに手を伸ばしながら、リンカの声音が紡ぐのは、やはり戦いの延長にて見付けた趣味といえようものだった。
「技術の授業みたいな……機械いじり? みたいなのをやってるのが楽しくて。色々、ギミックとか考えてると、たまに時間を忘れちゃうくらいです」
「お、サボりの自白かー?」
「違いますってばぁ」
「すごー。将来はメカニックとかなれそうじゃん」
友人たちの声は楽しげだった。笑いながら言葉を返すリンカは、しかし己が何故そこに辿り着いたのかには触れぬよう、やんわりと矛先を美鳥へと転ずる。
――武器の整備を手ずからやっているうちに、構造を把握したり新しい機構を考えたりするのが少し楽しくなって来てしまったとは言えまい。それに未だ戦場にて役に立つほどの卓越した腕前とはいえず、小さなギミックを一つ二つ搭載したような小物を制作するのが関の山である。
「みどりの今の推しって、結構色々取り上げられてますよね。でもハロウィンコラボしてたのは知りませんでした」
「あっこれね。そう――なんだけど、最近ハマってるの2.5次でさ。このキャラの俳優さんがエグいの。俳優さん経由のコラボだったから、あんま追ってないと分かんないかも」
推しの話となると生き生きと語り出す美鳥は、自身の作り上げたコスプレの元になったキャラクターのグッズを、今日もリュックに括りつけている。ラバーストラップにてデフォルメされた笑顔を振り撒くキャラクターは、どうやら随分と人気があるらしい。
リンカも以前にコラボカフェに付き合ったことがある。美鳥の散財癖は中学進学を機に増えたお小遣いに裏打ちされてなお激しくなっていて、この頃は遠征などにも出掛けているようだった。そのジャンルが知らぬ間に舞台化というものをされていたようだ。まんまと見に行って、推しを演ずる俳優の方にも堕ちた――という顛末であるらしい。
散財先が増えてまたぞろ苦しむのだろう彼女は、しかし今ばかりは幸福そうな顔をして、リンカに笑いかけた。
「リンも今度また一緒に行こうね。今度は舞台」
頷く少女の横合いから、涼風の声が割って入る。意外だったのは言葉の方だ。普段であれば楽しげな美鳥のことをにこにこと見守っているだけだったであろう彼女が、まるで身を乗り出すような恰好で不満げに唇を尖らせたのである。
「良いなあ、みーちゃんもリンちゃんも、そんな楽しそうなことしてたんだ。今度一緒に連れてって」
「すずちゃんも興味あるんですか?」
「最近ね、聖書を読むから。ファンタジーっていうのかな? ああいうのが気になってるの」
曰く、祈りの時間の他にも、聖書を学ぶ授業があるのだそうだ。そうしているうちにファンタジー・フィクションの世界に興味を抱いた涼風は、美鳥の持つどこから仕入れているのだか分からぬサブカルチャー知識を頼っているという。
声を弾ませる三人に、挙手と共に笑うのは月であった。
「おーい。三人で行くならあたしも連れてってよ」
「ルナ、弟くんとか妹ちゃんたちのお世話大丈夫なの?」
「いけるいける。土曜とかたまに出掛けてるし」
ひらひらと手を振って笑う月の表情はどこか大人びて見える。メイクのせいだろうか――と瞬いたリンカは、それよりも彼女の口から零れた意外な生活に言及することにする。
「ルナがお家のことをお休みするなんて、珍しいですね」
大家族の長女はいつでも家族のことを考えている。両親はしっかりと家のことを回しているようだが、月自身の家族愛がそうさせるのだろう。心配というよりは信頼で、不安というよりは手伝いたい一心で、彼女はいつも自分の時間を家族のために充てるきらいがある。
その彼女が、自身の予定で家を空けるとは。何かそれほど興味がある先があるのだろうかと思ったのは三人とも同じだったようだ。乗り出す体は自然と月の方を向き、煌めく少女の好奇心が目を泳がせる彼女の方をじっと捉えている。
「もしかしてルナも推し活?」
「どこかお出かけしてるとか?」
重なった涼風と美鳥の声に観念するように――。
唇を引き結んで、チークだけではない赤みが差した頬を隠せもせぬままに、月は己の抱いた心の裡を白状することになったのである。
「せ、先輩、が――部活の……土曜日、たまにクラブに参加してて……」
それを見に行っているという。
呆気にとられたような沈黙が四人の間に僅かな間を差した。それでますます羞恥したらしい月がとうとう顔を覆う。中学からはクラスが離れた関係もあって、斯様に仔細な動向までは知らなかったリンカもまた、驚愕ののちには好奇心の煌めきを宿す。
「なになになに、その話が一番気になるんですけど」
「やめて! やめて!」
悲鳴じみた声を上げながら身をのけぞらせたところで逃れ得はしない。四人の中で一歩先に思春期のステップへ足を掛けた月の話は、他の三人にとってみればいたく少女心を擽るものだった。
恋――というのは、未だ中学生となって日が浅い少女たちにしてみれば、遠くフィクションの中に煌めく彗星のようなものだったのである。それが今、こうして目の前にいる仲の良い友人の心に降り注いでいるとあれば、委細知りたくなるのも当然であろう。
「どんな人なんですか? 先輩ってことは年上なんですね?」
「えー意外かも。ルナちゃんお世話する側かと思ってた」
「い、いやあ、あたしもね? そう思ってたんだけどさ? 何か、こう、面倒見てもらってたら、それが凄く、こう……いいなあ……みたいな……?」
三人の何ともいえない声が重なる。目を泳がせながらも満更でもなさそうに唇を緩める月の表情は、目の前に並べられたいかなる菓子よりも甘く見えた。
ますます質問が飛び交う。すっかりと弱ってしまった可愛らしいヴァンパイアを、狼と赤ずきんとハロウィンのコラボ衣装がまじまじと見詰める。初めての|恋バナ《・・・》に花を咲かせているうちに、あっという間に過ぎ去っていく時間を味わって――。
万聖節の日は、やがて柔らかな友人の幸福をあかあかと照らして、地平線へと沈んでいく。
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